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木洩れ日、尾根道、頂上、御嶽山遠望

木洩れ日、尾根道、頂上、御嶽山遠望

★私の町の北に横たわる山々は濃尾平野の北東方向の突き当たりにあたる。ここから北に向かって徐々に山々のうねりが大きく深くなり、はるか御嶽山、乗鞍岳、北アルプスへと続く。私の町の北にあるこの低い峰々は、木の国・水の国岐阜の南側の起点である。

★その峰の一つ、権現山に登ってきた。これまでも幾度かアップしたが、ここの尾根道が特に好きで、月に2~3回は通う。

★この時期は空気が澄んでいて陽光が強いので新緑のコントラストがとりわけ美しい。

★尾根道にはイタチ系の小動物と思われるフンが転がっているし、北側の谷にはイノシシ家族が数頭で棲んでいるらしい。山村の近くなら珍しくないが、かなり人気の多い市街地の近くのこんな所まで彼らが居る。『この辺りが、共生域のギリギリのところだろうか…』などと思いを巡らせながら尾根道を歩いた。頂上はすぐそこ!

チョッと喫茶店バッグ No4

チョッと喫茶店バッグ No4

★四つ目の「チョッと喫茶店バッグ」を作った。これまでの三作もここで見ていただいが、しばらく使っているとその度に不都合が出てくる。不都合の殆どが容量に関しての問題である。だから、一作目から三作目まで少しずつ大きなバッグになりつつあった。
最近、出先で待たされる時間が多く、新書版の本、イヤホーンで聞く小さなラジオ、500MLコーラのボトル、等々を入れる大きさが必要となり今回の四つ目バッグとなった。何でもかんでもバッグに押し込める根性は‘モノグサ老人’の典型である。

★が、ともあれ革細工は楽しい。あちこちに皺があって、ビロ~として薄汚い平面の革を、機能を持った道具に変えていく過程は面倒だけど面白い。
特に今回の革は手芸屋さんの店頭バーゲンで買った安物で、薄いヨモギ色の冴えない革だったが、完成後に保革油をタップリ塗り込むと油分を吸い込んだ革が少しサップグリーンを帯びたような濃い渋い目の革色になった。私の大好きな色目のひとつだ。

★さ~て、今日はどこの喫茶店に出掛けようか…。

サクラ

サクラ

★そろそろサクラも三陸地方に到着した頃だろうか、今日は全国的に久しぶりの青空が広がったようで、サクラを見上げる三陸の皆さんの笑顔を想像している。

★この写真は4月に入ってたった一日だけ晴れたときの私の町のサクラ風景である。満開サクラと青空と子どもたちの入学式がしっかりと重なるのが理想だが、自然はそんな我々の勝手な希望に簡単には応えてくれない。

★今年のサクラ、天候にも、満開期間の短さにも若干の不満はあったが、それにしても、この時期は何処に行ってもサクラが咲いていて、街中にサクラ吹雪が舞う。日本人で良かったとしみじみ思う春でもある。

100歳の天寿全う

100歳の天寿全う

★寒さが厳しくなり始めた昨年の暮れから、家の中に避難している我が家の各種鉢物の冬籠もり風景である。何もしないで、ただじっと南の窓際で春を待っている。まさに私と同じだ。
そろそろ玄関先に出そうと思っていたら、なんとこの時期になって今年最大の寒気が南下する由、コイツらが外の陽光に触れるのは来週になりそうだ。

★さて、書き出しとは全く関係のない話題だが、先日、何気なく紙面に目を通していたときのことである。いつもはその「おくやみ欄」など気に留めたことも無いのだが、その中の一行に私の故郷の町と懐かしい住所地名があり『ウンッ?』と見入ると、MTさん(100歳)と掲載されていた。

★『あ~、Mさんとこのおばさん、100歳まで生きていらっしゃったんだ…。』と、深い感慨を覚えた。私はこのおばさんをよく知っており、遠い少年時代の思い出とともにある。

★飛騨の私の住んでいた家の真東方向、飛騨川対岸の山麓に大きな農家があって、乳牛を飼っていた(遠い日のことなのでハッキリしないが、もしかしたら乳牛ではなく山羊だったかもしれない)。‘おばさん’はその家の奥様だった。私はいつも一升瓶を抱えて搾りたての牛乳(山羊乳)を分けて貰いに行くという我が家のお使い係だった。カラの一升瓶を持って行くと、既に牛乳(山羊乳)がはいった一升瓶が置いてあって、カラの一升瓶と取っ替えてくるのである。

★田舎の家並みを一升瓶を抱えて歩くのは、さすが小学生の私でも恥ずかしかったのだが、それにまさる余得が私にこのお使いを続けさせた。牛乳(山羊乳)が四分の一程入った一升瓶を貰っての帰り際に、おばさんは『ハイ、これ』と言って必ず何かをくれた。その時々によって、お菓子だったり、茹で栗だったり、冷えたトマトだったりさまざまだったが、貧乏でいつもひもじい思いをしていた引き揚げ者家族の私にとってあの時のおばさんの優しい顔とおいしいお駄賃は今でも忘れていない。

★その後、飲料業者が牛乳を配達するようになり、いつの頃からかおばさんのところにも行かなくなった。

★爾来半世紀以上経て、まさか新聞紙上で100歳の天寿を全うされたおばさんの名前を目にするとは思わなかった。心からおばさんへのお礼とご冥福をお祈りした。

2015賀状展

2015賀状展

★私の地方も例年になく寒い冬のようだが、でも、少しづつ夜明けが早くなり日暮れが遅くなっているのが分かる。明るい日中の時間が日に日に広がり春が来るのだ。ここ数日そんな思いを抱くような心地よい冬晴れである。

★今春いただいた賀状から、手作りハガキをアップした。
手作りハガキには、たった10㎝×15㎝の小さなスペースの中に深くて大きな気持ちがこもっていて良い。

2015 今年もよろしくお願いいたします。

2015 今年もよろしくお願いいたします。

★世間はすっかり日常のペースに戻っているのに、私はまだお屠蘇気分がぬけません。
あらためまして、明けましておめでとうございます。皆様も素敵な2015新年をお迎えになられたことと拝察いたします。

★年の始めだからと言って、別に特段の抱負を持っているわけではありませんが、ただ普通に、自然に、あたりまえの日々を過ごしていければ十分です。絵を描いて、友人に会って、山を歩いて、ETC…

★今年のよろしくお願いいたします。

淡路島/恒例・二男の財布で秋旅行

淡路島/恒例・二男の財布で秋旅行

★過日、11月11日から2泊3日の行程で淡路島を堪能してきた。
もう恒例になってしまったが、毎年東京の二男が連れていってくれる秋の旅だ。
宿もテレビのコマーシャルでお馴染みの「ホテル・ニュー淡路」を取ってくれたので、ここを基点にして淡路島三日間の食と風景を満喫してきたのだ。

★さて、その淡路島、明石大橋と鳴門大橋で繋がる高速道路が通ってからもう30年近く経つが、私たち夫婦には初めての地だ。『あそこに見える漁港の写真を撮りたい。』『どこか漁村のひなびた喫茶店でコーヒーが飲みたい。』『お土産にここの名物を買ってくれ。』ETC…、今年も私たちは運転する二男へのハイエナぶりを発揮しながら島を巡った。

★それにしても淡路島の風景は変化に富んでいて凄い。海岸線はほぼ一周したが、見晴るかす大海原の東側の海、大小の島が点在し漁船が行き交う西側の海、激しく渦巻く鳴門の海、この島はそんなさまざまな海に囲まれている。さらに意外だったのは内陸の美しい農村風景だ。島内の殆どの集落の田畑は緩やかな斜面に何段も重なっていて、美しい棚田の農村風景が内陸の何処にでも見られる。大きな川が形成されない島のために無数に作られた用水池がその田畑を潤している。棚田と池と点在する農家のマッチングはとても印象的な風景だった。

★美しい風景、凄い自然風景、その地だけの珍しい物、新鮮なその地の食べ物、やっぱり旅はいい、それも自分の財布は一切使わない旅なので更にいい。

★余談だが、二男が東京に戻る前に、カリマーのリュックとノースフェイスのパーカーを買って貰った。これで年末の小旅行も自慢気に行ける。

と言うわけで今年も二男の帰京ギリギまでタカリにタカッた秋だった。


「第14回・二人展」無事終える

「第14回・二人展」無事終える

★先日、11月3日に「せき・まちかどギャラリー」での『第14回二人展』を終えた。陶芸とCGという少々ミスマッチ気味の作品を列べていつの間にか14年が過ぎた。

★今回は相方の先輩が木彫両面宿儺像、私が切り絵なども加え、若干の新味も意識したのだが、総じて相も変わらずの14回目になってしまった。

★にもかかわらず、14年間ですっかり顔なじみになった地域の皆さんにはいつも『二人展』に対して期待をしていただいていること感謝の限りである。毎年展覧会初日のギャラリーシャッターが開くのを待っていて一番に見てくれるTさん。沙汰の無かったこの1年間の活動を報告に来てくれるYさんたち。遠路飛騨路から車を駆って来てくれるHさんやSさん。どれも珠玉の喜びである。

★小さなギャラリーでの大きな出会いが今回もたくさんあった。ただ感謝である。


書斎暮色/切り絵

書斎暮色

★秋がいよいよ深まっていく。この時間のこの場所はついこの前まで熱射線のような陽光が西の窓から射し込んでいたのだが、今はもう夕陽が伊吹山あたりの山並みの向こうに落ちかけている。陽が落ちきってしまうと急に寒くなるのだが、この数十分間は適当な暖かみがまだ部屋に残っていて心地よい。

★この時間、じっとこうしていると、ただ気持ち良くて、忘れてはならないことも、忘れてもいいことも、全て忘れてしまう。そしてあくびを繰り返しながらついに睡魔に負ける。

★『食事ですよ!』と、下からの家内の声で目が覚める。外はすっかり暗く、部屋は初冬のような寒さになっている。『風邪ひいたかな…』と独り言をいいながら階段をおりる。

★そんな秋のひとときの光景を切り絵にしてみた。

御嶽山

御嶽山

★私の故郷の山、御嶽山が大噴火をした。穏やかな初秋の登山を楽しんでいた人、頂上からの見晴るかす絶景に感動しながらお弁当を食べていた子どもたち。いきなりの噴火、その噴煙、噴石、ガスが頂上周辺の人々を襲った。報道によると50名以上の方々が亡くなり、二週間経った今も、まだ発見されていない方々が何人か山にいるという。
山に行く多く人は『もしかしたら自分は危険なことに遭遇するかもしれない…』と心の何処かで思いながらも『でも、自分は何事も無く無事に帰る!』と確信し、そのとおり無事に帰る。なのに、こんなに多くの方々が帰ることが出来なかった。
山で逝かれた方々の御霊が安らかでありますようにと、ただ祈ることしか出来ない。

★私の故郷は、御嶽山の岐阜県側からの登山口がある小さな町だ。子どもの頃、村の吊り橋を渡って、少し坂を登ると御嶽山麓の国有林から材木を切り出すために敷設されたトロッコ線路が通っていて、線路に沿って500メートル程上流に行くと、幾重に重なる山並みの最深に霊峰御嶽山がいつも見えた。夏は薄紫に美しく、冬は白く光っていた。私たちの誇りの山、憧れの山だった。

★最初に登ったのは中学2年生の夏だ。当時は6合目までの車道が開通していなかったので、麓から歩いて2泊3日の御嶽登山だった。今思えば、御嶽山への道も地理も詳しく知らない中学2年生3人だけの登山をよく親が許可してくれたと思う。
やがて6合目の濁河温泉までの車道が開通し、以来、幾度も御嶽山に登った。そしてそのたびに御嶽山への憧れが大きく膨らんでいった。原生林を抜け、低木地帯を過ぎ、這い松の道を登ると御嶽山飛騨頂上に着く、そこから各峰々を行く。
御嶽山の空気も、風も、辿る苦しみも、汗も、全てが私の人生を創る重要な要素になった。

★先回の噴火も今回も、幸いにも岐阜県側への影響は少なかった。山は遠からず治まり来夏はまた静かな美しい姿に戻るとを信じている。今の私には6合目から頂上を目指す体力は多分もう無い。だから、先日、せめて何時も登っている近くの権現山頂上から遙か東方に浮かぶ御嶽山に祈った。



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