希望/汽車

希望/汽車
★あの頃、岸洋子さんが歌う『希望』という歌が流行っていた。東大安田講堂事件で頂点に達するあの壮絶な学生運動が始まる直前のことである。私はノンポリだったのでせいぜい道一杯に手をつないで『安保反対!』のシュプレヒコールをしながら歩くフランスデモというやつに参加する程度だった。
しかし、主体性を無くして、ドヨ〜ンと澱んでしまった日本を何とかしたいという仲間たちの熱気は私にも分かった。私たち画学生もダダイスムを気取った抽象画を描くヤツが多かったが、今思えば、せめてカンバスの中に体制への抵抗を表現していたのだろう。

★この歌は、そんな時代背景のなかで流行った。
『希望』というタイトルなのに、メロディーにも歌詞にも、ポジティブさはない。どこか倦怠感がただようデカタンス調の歌なのだが、そういう歌特有の叙情感にあふれていて、いまでもこの汽車をモチーフにした『希望』は大好きだ。

★その3番の歌詞
希望という名の あなたをたずねて
寒い夜更けに また汽車にのる
悲しみだけが あたしの道連れ
となりの席に あなたがいれば
涙ぐむとき そのとき聞こえる
希望という名の あなたのあの唄
そうよあなたに また逢うために
あたしの旅は いままた始まる

現実からの脱皮をめざし、進もうとするがなかなかままならない。でも、やっぱり進まなければ何も見えてこない、今度は路線を替えて進んでみようか…、どうなるか分からないけど…。
私にはそんな歌詞に思える。

★話は唐突に変わるが、私が過去仕事の中でかかわってきた‘不良'と世間から呼ばれる子たちの中の多くも、やっぱり、〈現実からの脱皮をめざし、進もうとするがなかなかままならない〉で苦しんでいた。自分を見つめようとする気持ちがあるという点で、悩みも苦しみもなく現状に安穏として過ごしている子よりは、彼らの方がはるかに将来の可能性を秘めていると常々思っている。

★汽車をモチーフにした歌はたくさんある。話はさらに唐突だが、大月みやこさんの少し前のヒット演歌「女の駅」はこうだ。
はかない さだめね あなた 髪が泣く
夜明けが憎いね あなた 夢が泣く
心悲しい 女の駅は
追って 追って 追って行きたい
汽車が二人を 引き離す

ここでは、自分は汽車に乗れないと、自分で自分を決めつけている。『ウジウジしてないで、あんたも汽車に乗ったら!』と応援したくなる。

★(う〜ん、でも、大月みやこ、もいいなぁ…)

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アスター

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★昨日、飛騨にある両親と先祖への墓参に行ってきた。
戦後、父の実家があった飛騨の山峡の町に大陸から引き揚げてきたときには実家は既に没落していて、家も一片の田地田畑もなく、ただ11基もの先祖の墓石だけが寂しく旧実家の敷地の片隅に林立していたという。外地で結構元気のよかった父は、まだ余力があったのでこの故郷を捨てて、都会に出て10人の大家族のために一から出直そうとも考えたそうだが、母に説得されて、飛騨に留まり先祖のお墓を守っていくことにしたそうだ。

★現在は、その墓石群に父母の墓石も加えて、父の故郷を見渡せるように小高い山の中腹に移転したが、道路からそこへ行くまで足下も悪く、夏は雑草が茂り、ハチや虫が乱舞し、冬は多分キツネの足跡らしきものが雪の上にあったりして、私の息子たちも子どもの頃はちょっと冒険気分で墓参を楽しみにしていた。

★さて、母が生前、いつの頃からだったか、お墓にアスターの花を飾りたいと言い出した。その頃、飛騨の田舎にも新しく入ってきたアスターが花屋の店頭に並びはじめ、この花が流行り始めた頃だと思う。
苗を買ってきて毎年春に植えていたようだがうまく成長しなかった、私がお盆に帰省すると庭を指さしながら『やっぱり今年もアスターは大きくならなかったわ、ここは周囲が木の陰のおおわれているから駄目なのかしら、下のお家はどこの庭にも、アスターが大きく育っているのに…』といつも嘆いていた。
私も、そんな母を喜ばせようと自分の家で毎年アスターの苗を育てたのだが、温暖で虫の多いこの地方では一層うまくいかなかった。先ず、苗の段階で虫が葉を喰う。やっかいなのは周囲の草取りをちょっとおろそかにすると雑草に埋まり、慌てて草を取ろうとすると根の浅いアスターを一緒に抜いてしまう。さらにやっと花をつけるとその花粉に小さなハムシがやってきて、肝心の花の中心部を黒く汚くしてしまう。数年は毎年アスターに挑戦したが、結局諦めてから数年後父母が逝った。

★全くの偶然だが、私の住む市内のあちこちの畑を借りてスーパーに卸す各種野菜をつくっている野菜づくりのプロがいる。そのご主人が私の家の前の畑でも野菜をつくっていて、よく立ち話をするのだが、フッと母とアスターのことや私のアスター失敗の顛末を話したら、なんと彼は野菜だけでなく花づくりの名人で、『先ず、温室で育てた苗をホームセンターで買ってくるようじゃ、アスターは地植えをしても駄目よ、苗が弱いからね、アスターほど虫がつきやすい花はないから、やっぱり種から苦労しなくちゃ』という第一声に始まり、延々アスター成功の秘訣を教えてくれた。数回にわたる植え替えのタイミング、地植えの時のマルチの敷きかた、そのときどきの除虫剤や殺虫剤の種類、肥料の種類、特になるほどと思ったのは『ハムシが花についたら、離れたところからジェットフマキラーをかければいいよ、ジェットフマキラーは蚊やゴキブリだけに使うものじゃないから』と。

★そんなわけで、この三月、彼の教えに忠実に種入れからアスターに取り組んだ。地植えのあともマルチのおかげで根元の草取りの手間が省けた。結果、こんな立派に成長し花をつけた。失敗の株は皆無だった。墓参用にバケツ一杯のアスターを手折ったが、まだたくさん残っているし、手折った下の枝の小さい蕾が秋にかけてどんどん伸びてくるだろう。

★昨日は母が好きだったアスターをどっさり供えてきた。向こうに設置されている花立てでは足りないと思ってので、こちらからも花立てを2本持っていて、墓石のまわりをアスターまるけにしてきた。
『アスターのこと、覚えていたのね』と、母は言っているだろうか…。

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水
★せめてもの暑気払いに少し涼しそうな絵をご覧ください。

★私たちの地域は木曽川が市内を流れ、長良川からも近く、さらに大きな地下水の水瓶の上に出来ている町です。そんなわけで、数年前に水の恩恵を認識するためのイベントがありました。これは、その時につくったポスターのイラスト部分です。

★この背景部分、水の流れの冷たく澄みやかで、しかも神々しい感じを表現したいと思っていたところへ、写真家の友人が八ヶ岳山麓に分け入って撮ってきた素晴らしい写真を提供してくれましたので、その中から4枚の写真をフォトショップのツールで合成してつくった背景です。

★水に関しては、日本という国、本当に恵まれた国です。そりゃ毎年降雨量の不足から節水の事態が生じる地域もありますが、総じて生死に関わるほどの水不足はいまのところありません。全国ほとんどの山は、分け入ればきれいな谷水が流れていて、そこに涼の風景をつくっています。こんな幾筋もの谷川が集まって川になり、あるいは地下にしみこみ、下流の私たちの命をつないでいるのです。
水の蓄えがほとんどない大地を抱える国も多くあることを思えば、水と緑のこの大地をこれ以上汚すことは許されません。

★『エッ〜!、ガソリンよりも、水の方が高価なの!、信じられない、そんな国…』と、私たちは中東の国々に対して言います。でも、タモリ氏がいいことを言っていました。『いまガソリン無茶苦茶高値で1リットル180円前後、自販機で売っている○○ウォーターとかいう水、以前から500ミリリットルで120円程だから1リットルにして約240円、日本だって、水の方がガソリンよりかなり高いよ』と…。
なるほど!、それほど水は貴重なものと解しておきましょう。

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暑中お見舞い

暑中お見舞い
★暑中お見舞い申し上げます。

★子どもたち、多分、夏休みの宿題や課題をすっかり忘れて、今が一番楽しい夏休みのピーク。
暮れなずむ夏の夕陽に遊ぶ昭和村の子どもたちの姿をご覧ください。(以前、童謡の歌詞のバックイラストに描いた作品です。)

★今夏の酷暑はそうとうなものです。ちょっと外にいただけで、骨の芯まで焼きが入ったようなカンカン照りの毎日です。
家内とのウォーキングの時間を少し下げて陽が落ちてからにしたのですが、アスファルトから立ち上る熱気は全くおさまらず、歩いているうちに汗まみれのランニングの中にカビやキノコがすぐ生えてくるのではないか、と冗談が出るほど高温多湿の日が続きます。
また今夜も熱帯夜か…。

☆エアコンでガンガン冷やしながら、『この異常な暑さはCO2の地球温暖化のせいね!』などと言っている人。(キミこそ温暖化元凶のひとり…)
☆『オレ、エアコン嫌いなんだ、家では窓を開けて寝てるよ』というくせに、会社では『ぜんぜん冷えていないな!もっと設定温度を下げろ!』とわめいている、ただのケチな人。
☆『うちのエアコン、室外機は壊れていないので、室内機の方だけ換えてもらえないかしら…』と、出来ない相談を持ちかけて家電店でねばっている人。
☆もう十数年も頑張っているエアコン、数年前からカタカタと変な音がしはじめ、この夏は持ちこたえるかな…、とヒヤヒヤしながらエアコンのスイッチを入れる私の家。

★〈今夏の酷暑はそうとうなもの〉と書きましたが、思えばずっと前から夏になるたびに同じ事を言っているような気がします。子ども頃だって暑さにヒーヒー喘ぎながら登下校の長い道のりを歩いた事を思い出しますし、中学校のとき、校庭での一学期の終業式で暑さのために頭がボーとなって今でいう熱中症一歩手前までいった記憶もあります。
考えようによっては‘酷暑'と‘厳寒'があるからこそ、四季の移ろいをハッキリと感じることが出来るし、そのことで日本人独特の感性が形成されてきたのかもしません。
 とでも無理矢理思いながら、あと一ヶ月、我慢、我慢。

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月下美人

月下美人
★ず〜っと前から欲しかった‘月下美人’、昨年の秋、家内が友人から一鉢いただいてきました。それが昨夜、一房(一輪というより一房と言った方が適している容貌だったものですから…)ですが見事に花開きました。

★二週間ほど前に、鉢の下の方の葉に花芽らしき突起が出て、その突起の根元が日に日にゾウの鼻のように伸びて花芽を押し出していき、同時に先っぽの花芽は風船のように膨らんでいきます。
昨日の午後5時半、帰宅して車から降りると家内が待ちかまえていたように飛び出てきて『今夜、咲くかもよ!』と言うので、見るとポンポンに膨らんだ蕾の彼女が玄関の横で揺れていました。

★それから何回彼女を見に外に出たでしょうか、もう8時頃からは玄関の出入り口をふさぐように鉢を置いて、イッパイやりながら網戸ごしに監視です。
そして最も美しくも妖しい姿を見せてくれたのが深夜11:30です。
花が開く不思議な過程といい、見事なその容貌といい、こんな花がこの世にあるのか…、と思いながら、午前1時頃まで見とれていました。

★今朝6時、花はすっかり萎んでダラッとぶら下がっていました。
‘月下美人’…、まさに彼女は一夜限りの夢の花です。

☆今夏の終わり、涼風が吹き始めた頃、もっといい土に換えて、もっといい鉢に換えて、伸びすぎた上の葉を剪定してあげて、ギリギリまで寒さにあてて、冬はしっかり家の中で養生してやり、来夏の彼女は幾房の花を一夜に見せてくれるか…、楽しみでなりません。

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古池や…

古池や…

★この作品も過去に使った別々のイラストを少し手直しして組み合わせたリサイクル作品です。まだ見ぬ宇宙、イメージはどんな勝手なイメージでもありです。

きょうの話題、ちょっと無理矢理ねじ込んだ感がありますが、イメージつながりです。

★先日、松尾芭蕉の生涯を辿った某局の番組を見ました。わずか17文字の表現で、それを読む人々に限りなくさまざまなイメージを広げてくれる芭蕉の偉大さを再確認させてくれた良い番組だった、と私は思いました。

★が、専門家とか、研究者というのは私たちに余分な固定観念を押しつけるところもある、と若干思うこともあります。
その番組の中で、例の『古池や 蛙とびこむ 水の音』の解説をしていましたが、こんなまとめ方をしていました。
『悠久の自然の中に見る 一瞬の生の輝きとはかなさを17文字の中に表現した』 だそうです。
なるほど、うまいことを言うとは思うのですが、絵でも、音楽でも、文学でも、名作古典と言われるものは長い歴史のなかでこねくり回されて、専門家や研究者たちの言葉の博識を披瀝する素材になっているのではないか、と思うことがあるのは私だけでしょうか。この『古池や…』も、『一瞬の生の輝きとはかなさ』と、ピシッと格好良く論評されると、俳諧界での名声を捨てて、全国をボロボロ姿で彷徨した旅姿の私の芭蕉イメージが遠ざかってしまうのです。
俳句には全くのド素人の私にでも、それなりにその時の芭蕉目線をイメージ出来る、それが芭蕉の俳句のステキなところと私はかねがね思っているものですから…。

★では、私のこの『古池や…』のイメージはこうです。この句で私がいつも想起するのは高校生の頃に見た、飛騨の某地区の入植部落の廃村風景です。農家の廃屋の横に、かっては鯉が泳いでいただろうと思われる石で囲われた小さな池があって、そこに浮かんでいる落ち葉が微かに動いていることで、いまでもわずかな山水が流れ込んでいることが分かりました。『古池や…』の句の活字を見るたびに、そのときの廃村風景が脳裏に浮かび、締め付けられれるような自然の静けさを感じるのです。

★絵でも、音楽でも、文学でも、表現されたものは全てそうだと思うのですが、自分の体験や経験、あるいは原風景と知らないうちにつながり、その心の琴線に触れた作品が「好き!」になったり、なんにも触れない作品が「嫌い!」になったり、あるいは「何も感じない…」になったりするのでは、と思います。
えらい先生の論評に左右されないで、自分のレベルで、自分の感覚で、自由に表現されたものと接したいし、表現したいと、その番組をみたあとに思ったのです。

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前倒しバーゲン

前倒しバーゲン

★最近、ずっと先に行われる町のイベントのポスターづくりで忙しい日々です。どこの自治体でもそうですが、だいたいのイベントは秋に集中していることが多いものですから、その宣伝広報はもう始まっているのです。

★この作品も、11月に行われる音楽イベントのポスターをつくっているところですが、そのイラスト部分を見ていただきます。
出来るだけ晩秋の雰囲気が漂う画面に仕上げようと思いながら制作しているところです。

★作品中、‘枯れ葉'は、初冬のいつだったか道で拾った何枚かの落ち葉を、そのままスキャナで撮ってPCに保存していたものですし、‘楽器の木目部分'は某工務店が出している商品見本冊子にあったベニヤ坂の写真を少し加工して貼り付けたものです。コビトくんたちは、過去いろんな作品でつくったのが数十人いますので、そこから適当な子に登場願いました。この作品のために新しくつくったのは‘ギターを抱えた女の子'だけです。でも、この子も今後、髪型を変えたり、ブラウスを着替えたりして、あちこちに登場させるつもりです。私のポスターはいわば、イラストのリサイクルCGですが、バックの処理やレイアウトによって、この子たちはまた異なった雰囲気の中で活躍してくれるのです。

★さて、話は戻ります。イベントの宣伝広報が数ヶ月前からというのはいいのですが、今朝の新聞に入っていたチラシに驚きました。なんと【夏物最終処分バーゲン!】と、そのチラシにありました。まだ‘梅雨明け宣言'もされていないし、さぁて今年の夏休みをどう楽しもうか、とさえまだ考えていないのに、【夏物最終処分バーゲン!】にはビックリしました。
聞くところによれば、この業界も安売り激戦のあおりで、バーゲンセールがどんどん前倒しになっているとか…。

★深く考えなければ、季節が始まる前に、その季節に着る衣類が安価で手に入るのは嬉しいことですが、一方、どこかで社会システムの何かが崩壊し始めているのなら怖いことかもしれません。
が、私、前々から欲しいと思っているレザー風のジャケット、昨冬もその店に掛けてありました。なかなか売れないようです。今秋にもまたその店にかかるでしょうか。家内は『そんな高いものはダメです』と歯牙にもかけません。その店の【冬物最終処分バーゲン!】のチラシが夏の終わり頃にでも入ってこないかと待ち望んでいるのです。そりゃ、無理か…。

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流しソウメン

流しソウメン

★この夏、郊外の山の中にある森林公園で‘夏まつり’が開催されるとかで、チラシをつくりました。そのイラスト部分だけをここに載せました。原稿によるとまつりのメインは300メートルの‘そうめん流し’のようです。なので、それをマンガ風イラストにして見ました。

★さて、どんな光景にしようと思ったのですが、私の勤めている建物の最上階がレストランになっていて、昼食時はバイキングになります。私もときどき、そこで昼食をとるので、そこで見たさまざまな光景を‘そうめん流し’に参加する人々に転用しました。
 ・多分、恋人同士らしき二人、女の子が男の子の皿に食べ物をとってあげています。自分で取れ!
 ・よく見る子、昼食は毎日ここと決めているようなバイキング慣れした近所の青年がいます。
 ・箸と皿を持って、飛び回って好きなものをかき集めているガキがいます。
 ・親がお皿にのせてくれたものが気に入らなくて怒っている赤ちゃんがいます。
 ・「おいしいね!」と言いながら、楽しそうに食べているご夫婦がいます。
 ・なかなか口に合ったものがなくて、いじけているガキもいます。
それやこれやのバイキング昼食風景をそのまま‘そうめん流し’に連れてきました。

★300メートルの‘そうめん流し’?、昨年もやったようですが、私は行ったことがありません。行ったことがなくて言うのもなんなんですが、どうも心配です。箸に付いたカップの中の刻んだネギがそうめんと一緒に流れてくるなんてことは、マサカないでしょうね…。

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這っても黒豆

這っても黒豆

★先日、「過剰」の記事で見ていただいた作品の対の作品です。今回は2点しか出来そうにありませんので、二つの作品をB1の大きさに出力して秋の公募展に出そうと思っているところです。私のテーマはあるのですが省きます。、ご覧いただいた方々が自由に何でもお感じいただけばいいのです。ただ、不気味な鼓動が伝わってくる機械の表情(?)を描きたかったのは事実です。

★さて、少し前の新聞、コラム欄で〈這っても黒豆〉という諺を知りました。どういう出来事の例えにこの諺が使われていたかは忘れましたが、私、恥ずかしながら、この年になるまで、この〈這っても黒豆〉という諺を知らなかったのです。

★直訳すると、二人の男が道端に小さな黒い粒が転がっているのを見て、一人が『アッ、小さな虫が!』と言うと、もう一人が『虫じゃないよ、黒豆だよ』と言います。二人が『虫だ』『黒豆だ』と口論していると、その黒い粒がチョコチョコと動き出したのです。黒い粒は虫だったのです。『やっぱり、虫じゃないか…』と言うと、もう一人は悔しくて『いや、絶対に黒豆だ!』と動いている虫を見ながらも最後まで言い張ります。
この逸話が転じて、自分の非が明らかなのに、あるいは明らかな事実がそこにあるのに、それを絶対に認めようとしない負けず嫌いの厭なヤツのことを『〈這っても黒豆〉みたいなヤツ』と言うそうです。
確かに「頑固」とか「意地っ張り」とは少々異なった厭なヤツですね。

★ただ最近、フッと私たちの社会が〈這っても黒豆〉状態なのではないか?、とも思うのです。この調子で進んで行けば遠からず破滅がやってくることは全ての人類が分かっているのに、地球環境悪化の数々の要因も事実も明らかにされているのに、それでも尚、エネルギー消費の便利・快適社会への追求開発を優先させることを「正」としている社会そのものが〈這っても黒豆〉状態ではないかと…。

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パワー

パワー

★今年の秋に行われる「スポーツレクレーション祭」のポスターを早々に作ってしまいました。

★この類のイベントは体育の日を制定したのを機に国が音頭をとるなかで全国の各自治体で行われています。県、市町村、各種のスポーツ振興団体、地域の自治会等々が、結構、組織的につながっていて、体力向上と同時に家族や地域のつながりを目的としているようです。

★私はポスターをつくるだけで、そういう公共の仲良しイベントには一度も参加したことはありませんが、ポスターをつくるときに見た資料のよると、小さな子どもからお年寄りまで参加出来るべく、あるいはスポーツの敷居を低くするべく、実にさまざまな新しい競技種目が開発されていることに驚きます。その《ニュースポーツ入門》なる本を開くと、「インディアカ」「円形卓球」「カングクリケット」「スカットボール」等々、訳の分からない競技名が並んでいます。が、いずれもスポーツの楽しさや興味関心の喚起ために、既成のスポーツ種目に遊び要素を取り入れて、改良したものが多いようです。

★さて、ゴルフを簡易改良した「パターゴルフ」「グランドゴルフ」も当初はお年寄りのために開発されたものと聞きます。私の地区の近辺で過去自治会長をしたものたちの中で気の合った仲間が十数人集まって会をつくり飲み会や旅行を行っているのですが、上は70〜80代の年長者までいて、職業もまちまちの雑多集団です。先月末、その長老の一人が「パターゴルフ」か「グランドゴルフ」をやるから集まれと言ったとかで、幹事から連絡があり、私も仕事を午後からサボって参加したのですが、少々、たかを括って参加したのが大間違いでした。長老や準長老たちのパワーの凄いことにタジタジでした。結局、「パターゴルフ」と「グランドゴルフ」の両方をやらされ、しかも「グランドゴルフ」の方は小高い丘の斜面に設定されました。さらに、その長老たち、数十メートル離れたポストにホールインワンを連発するのです。まさに恐るべし長老パワーでした。ナント1:00から5:00まで、遊びました。久しぶりに仲間と外で遊んだ4時間でした。
そのときの彼らのパワーの印象があまりに強かったものですから、今回のポスターのイラストはそれにしたのです。

★その夜、いつもの飲み屋にみんなが集まったことは言うまでもありません。彼ら、酒も強い!

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