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「チョッと喫茶店バッグ・その2」 を作った

「チョッと喫茶店バッグ・その2」 を作った

★もう12月に入った。ついこの前まで暑い!暑い!と喘いでいたのに、もう師走だ、ホントに早い。

★寒くて家の中でジッとしていても手持ち無沙汰なので、「チョッと喫茶店バッグ・その2」を作った。前に見ていただいたやつは、手帳を入れるときにファスナー部分がひっかかって少々不都合を感じたので、今度は3カ所ともファスナーを長くして横のマチまで伸ばした。こうすると口が大きくなり、サッサとスムーズに物の出し入れができる。
どうでもいいことだが、ナンバーズカードも曲がらないでスッと入る。(まだ当たったことはないが…)

★小学校3年生の孫に『どうじゃ!いいだろう。』と自慢げにこのバッグを見せたら『なんか、カクカクすぎてカッコ悪い。』とダメ出しをくった。家内も『そんなにバッグばかりつくってどうするの!どうせ、少し使って飽きて、またヘンなバックを作り始めるのでしょう!』と言った、さすがご明察!。
私は『分かった、分かった、もう作らないから。』と言いながら、今度は入れ口が、ガバッと開くガマ口式の「チョッと喫茶店バッグ・その3」をそのうちに作ろうと思っている。

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真空管ラジオレコードプレーヤー

真空管ラジオレコードプレーヤー

★真空管ラジオレコードプレーヤーだ。
家内の養母が生前大事にしていた持ち物だったそうだ。それも養母がまだ独身時代から愛用していたというから、おそらく、昭和20年代頃の製品ではないかと思う。引っ越しや改築のときの整理や処分を逃れて、いま私のアトリエの棚の上にインティリアとして鎮座している。

★十年程前のことだが『壊れたという記憶がないので、もしかしたら、まだ聞こえるかもしれないね。』と家内がいうので『まさか!』と思いながら電源を入れると、ちゃんとアナウンサーの声が聞こえてきた。多分いまでも聞こえるのではないかと思うが、棚の上からコードがとどかないのでその後はこの真空管ラジオの音を聞いたことはない。
真空管さえまだ切れていなければ、電器屋の連れにチョッと内部のサビと取って貰ったりして修理をして、この骨董ラジオを聞きながら仕事をするのもオツなものだと思ったりもしている。

★ところで、私は骨董の趣味はあまりないのだが、私の仲間にはけっこう骨董に凝っている人がいる。中には目玉が飛び出るような値段の古い時代の碁盤碁石を買ってしまい、いまだに奥さんには『うん、ビックリするほど安価で手にはいったよ。』と、シラを切り通している先輩もいたりして面白い。
テレビの「何でも鑑定団」などを見ていると、とんだ偽物をつかまされてガッカリする御仁もいるが、古い茶碗や掛け軸などを大事に大事に愛おしんでいる人たちの気持ちは十分わかる。
もしかしたら、こういう人々も伝統文化の維持・保存・継承の大切な一翼を担っているのだろう。

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「チョッと喫茶店バッグ」を作った

「チョッと喫茶店バッグ」を作った

★久しぶりに革細工道具箱を引っ張り出してきて新作を作った。
以前にも手作りの通勤カバン類やスケッチブック用のショルダーバッグをアップして見ていただいたが、今回は私の日常の必要に駆られて作った小ぶりのバッグだ。チョッと外出して喫茶店で友人と会ったり、展覧会を見に行ったりする小用でも、持ち歩く小物類は結構多い。私の場合だと、財布・手帳・携帯・筆記用具・ハンカチ・テッシュー・タバコ・ライター、時にはデジカメ、等々が小さい手提げバッグやポケットに分散して押し込まれている。だから、何かを取り出そうとしても、あっちこっちのポケットや手提げをかき回して、『どこに入れたかな?…』と焦ることがしょっちゅうだった。

★てなわけで、こんな‘チョッとお出かけ喫茶店バッグ’を作ってみた。小物がバラバラにならないように三つの個別ポケットと側面にチケット入れの小さなポケットを付けた。
周囲を巻く革紐は同じ色のが売っていたのでよかったが、縫い糸は同色が無かったので白いタコ糸を買ってきて茶色に染めた。
今回はわりと丁寧に型紙をとり、制作手順をしっかり決めて取りかかったので、まぁまぁの仕上がりだ。

★ここ数週間、夜中にコンコン、コンコンと革に穴をあける音がご近所迷惑だったかもしれないし、まだ夏だが「秋深き となりは何をする人ぞ」と芭蕉の心境にさせてしまったかもしれない。お許しあれ。


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ワンちゃんに告ぐ

ワンちゃんに告ぐ

★ワンちゃんには罪がないので「ワンちゃんに告ぐ」ではなくて「ワンちゃんの飼い主に告ぐ」だ。
私は飛騨に住んでいた子どもの頃、兄が拾ってきた野良犬を少しの間、家で飼ったことはあるが、それ以来、犬との関わりは無いので、犬のきもちも飼い主の気持ちも分からないのだが、散歩の途中で街並みのコンクリートの上にオシッコをさせるのはどうなんだろう?。
それは動物のマーキング行為だから…という人もいる。マーキング行為か何だか知らないが、いまは飼い主に庇護されて生活しているのだから、そのワンちゃんのテリトリーも確定している。だから、なにもそんな先祖の野生の習性に飼い主が追随して、ところかまわずマーキングさせ放題というのはおかしいだろう。私は飼い主の躾けの問題だと思うが…。

★私の家と隣家の間に電柱が立っている。車の出し入れをするとき道路の視界を遮るので厄介な電柱だと思っているのだが、もうひとつ厄介が増えた。
昨年あたりから、朝夕この電柱にオシッコをかけていくワンちゃんがいるのだ。この道、車の通りも少ないせいか周辺の多くの愛犬家たちが犬の散歩に利用している。いずれも小さなシャベルやビニール袋を持ってフン対策には万全のマナーで散歩しているが、この中の誰かがオシッコに気を遣っていない飼い主のようだ。
この電柱の近くには畑も広がっているし、木立もあるし、雑草茂る道端もある、そういうところでオシッコを大地に還せ!。もし、地面がなくコンクリートばかりだったとしたら、せめて人家のないところのコンクリートの上でヒッソリとやれ!(ダメか?)

★コンクリートにかけられた犬のオシッコは実に始末が悪い(酔っぱらいの立ちションでも同じだろうが)、茶色のシミが付いて汚くなり不潔極まりない。敷地への入り口だから水をかけてブラシで擦り落とす。
隣家の奥さんが『ほんとに嫌ね~、私も毎朝、ここに塩をまいているの。』と言った。 塩?、‘お清め’じゃないのだから、塩をまいたって…。 が、笑い事ではない。
そこで、このようなメッセージの看板を作って、電柱に貼り付けたところである。
さて、効果あるや、なしや。

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思いがけなくトクをした気分

思いがけなくトクをした気分

★私たちは日常の中で、全く予想もしていなかった小さな幸せに出会い、得をしたような嬉しい気分になることがある。

★例えば、もう随分昔のことだが、上野駅に着いて、予定の時刻まで時間があったので、時間潰しに映画館に入った。私は洋画が好きだったが、その映画は当時あまり話題に上がっていない知らない映画だったし、そのとき既にリバイバル上映で安い入場料の映画だった。ただ時間を費やするためにだけに入ったのだが、なんとその『激しい季節』というタイトルのイタリア映画は私がそれまでに観た映画の中で最高に感動させられた。戦時下の暗いヨーロッパ社会での悲恋映画だったが、モノクロでスタンダードの画面も哀調を帯びたサントラもこれ以上考えられない程のストーリーとのベストマッチングだった。
映画を見終わった後、主目的だった上野の展覧会なんかどうでもよくなって、いい加減にサッサと美術館を走り鑑賞して岐阜に帰って来たことを思い出す。ホントに得をした気分をくれた映画だった。

★主演俳優のエリオノラ・ロッシ・ドラゴとジャン・ルイ・トランテニヤンも、もうこの世に居ないかもしれないが忘れられない。時代を経て、彼方此方にレンタルビデオ屋が出来て、その映画ビデオを探したが何処の店にも見当たらなかった。

★つい先日、同じように得をした気分を味わった。
アジサイの時期が来たので、毎年行く山間のアジサイ寺と呼ばれている小さなお寺を訪れた時のことだ。
毎年訪れるのにここで、こんな仏事が行われていることを全く知らなかった。境内からモクモクと護摩焚きの煙と炎が十人程の僧侶の読経とともに辺りの深い山中に吸い込まれていた。僧侶たちの息のあった読経のイントネーションが空に立ちのぼる護摩焚き煙の揺れのリズムとピタッと合っているように見えた。読経の合間にときどき大きな声の読経で全体の読経をリードする僧侶がいた。こういう役目の僧侶を何と呼ぶか知らないが、いわゆるリードボーカルのような僧侶がいた。何処かで見たような顔と思っていたが、昔、職場を同じくしたことのある仲間で、現在は近くの実家のお寺で僧籍を継いでいると初めて聞いた。
何気なく毎年アジサイを見に訪れている山中の小さなお寺でこんな荘厳なステキなイベントが開催されていることを初めて知ったし、まさか、そこで僧衣を纏った旧友が読経をしている姿に遭遇するとは思わなかった。

★これは余分な事だが、その夜、ドラマ「仁」の最終回、150年の時を経て過去の人から届いた手紙を読む予想外の結末が良かった。
昼のアジサイ寺から夜の「仁」の結末、清々しい一日だった。

ときどきトクをした気分に出会いますように、ポチッ!


 近隣ケア

近隣ケア

★前にも近隣ケアについて書いたことがありますが、昨年に続いて今年も家内が近隣ケアグループ長の仕事を続けるはめにになりました。ケアする対象の年齢は各自治会によって違うようですが、75歳以上のお年寄りを対象にしている自治会が多いようです。
私のところでは、そんなに特別の活動をするわけでもなく、近隣ケアグループ員が担当の地域のお年寄り、とりわけ独居の方々に気配りをして、声を掛けたり、機を見て訪問をしたりして状況を確認したり、と言った程度の仕事が主です。

★その他には、各自治会ことにアイディアを凝らして無理のない範囲で出来ることをやっています。私の町内では昨年、お誕生日ハガキと寄せ植えの鉢プレゼントをしました。
寄せ植えですが、3月に美濃市で花の栽培をやっている友人の助言も得て、キンギョソウ、パンジー、マーガレット、カーネーション、の4種の寄せ植えをデッカイ鉢につくってもらいました。その花屋の友人の話によると、『 この組み合わせなら、4月に入ると、先ずマーガレットが咲いて、次に真ん中のキンギョソウがぐんぐん伸びてきて、周囲のマーガレットが咲いて、下の方に赤いカーネーションも咲き始める、毎日、咲き終わった花を摘んで、うまく世話をすれば、6月まで持つよ。お年寄りには丁度いい楽しみじゃない? 』と言うことでした。
今日もウオーキングのときに何げに、その家々の玄関先に目をやると、キンギョソウはどこも終わっていましたがマーガレットとカーネーションが咲き誇っていました。嬉しいものです。

★問題は今年も続けているお誕生日ハガキです。家内が係を受けているうちは、お誕生日月バージョンのイラストを描いてあげようとやっているのですが、現在は飛び飛びの月なのでまだいいとしても、長寿高齢の時代ですので毎年対象者は増える一方です。そのうちに私の分も含めて12ヶ月分のイラストバージョンを考えなくてはならなくなります。そうならないうちに早めに近隣ケアの係を引退せよ、と家内に言っているところです。

★上は、今年の6月お誕生日のハガキです。

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バチあたりギックリ、再び!

バチあたりギックリ腰、再び!

★無知蒙昧、非常識と言うのは怖いものだ。私は、まあ世間並みの常識はわきまえていると思っていたが、その事を、その時まで全く知らなかった。
その時、私は庭に花壇を造るために、木曽川に河原の石を拾いに行った。丸い形の良い適当な石がゴロゴロある。10個ほど拾って、そろそろ終わろうと思い最後の石を拾ったとき、ガキッと腰に激痛が走った。痛くて身動き出来なかったが、痛みを堪えて四つん這いで車まで行き、痛みでボッ~としながら運転して家に帰った。

★動くと痛いのでただジッと布団の上で固まっていると、当時高校生だった息子が帰ってきて、ことの次第を聞き 『親父、河原の石を無断で持ってくるのは河川法か何かで禁じられているぞ。』 と言った。私は全く知らなかった。飛騨ではどの家でも河原から拾ってきた石を漬け物石に使っていたので、ずっとその感覚で河原の石を見ていた。どうもその時のギックリ腰は罰当たりギックリ腰だったようだ。

★痛いので家の中を犬のように四つ足で移動した、食事の時に「ワン!」言うと大笑いになって、笑うとまた痛んだ。外科に行ったり、鍼灸院に行ったりしたが、結局は日にち薬で次第に痛みも消えていった。
いまさら石を木曽川に返す気もなかったので、体が楽になると、早速、花壇づくりにその石を活用した。結構な出来栄えだった。

★そして、ウン十年たち、先日、その石回りの草を取ったり、若干の花壇の模様替えをしていた時だ。一度体を起こして、下に置いていた草取り道具を取ろうと、前に体を曲げた途端、再び、グキッとあの時の激痛が来た!。河川法とやらに背いた報いが再度襲ってきた。
今回は以前のように犬姿で家を動かなければならないほど重症ではなかったが、それでも痛みが去るまで一週間ほどかかった。

★余談だが、学生の時、上高地の先にある徳本小屋のオヤジが 『この国立公園内では、落ち葉一枚でも持ち帰りことを禁じているんだ、全てのものが自然環境維持の循環に必要だからね。』 と話していたことを思い出す。
でも、まさか河原の石ころまで…。

グキッ!ポチッと!


心中よりお見舞い申し上げます。

★昨日、私たちの地方でもユラユラと動いたのですが、直後、テレビで三陸沖地震による信じられない惨状を知りました。こんなことがあっていいいものだろうかと夫婦で涙しました。
言葉では言い尽くせませんが、被害に遭われた方々の悲しみは察するに余りあるものがあります。
ブログの皆様の中にもご親戚や友人が被害に遭われた方々がお見えになるのではないかと案じております。
★具体的に何をして差し上げることも出来ませんが、只々、亡くなられた方々の御霊に合掌することと、併せて、一日も早い復旧を願うことしかできません。

心からお見舞いを申し上げます。

ゴミ袋行きか、1日~2日留まるか、

ゴミ袋行きか棚行きか

★このイラストはずっと以前に描いたもので、何年か前にアップしたことあります。
友人がつとめている某団体から、機関紙の表紙を2年間分つくってくれないかと依頼されましたので、昨年と今年やっております。それで以前に描いたイラストを引っ張り出して今年の新年号の表紙に使ったのです。

★さて、こういった機関紙とか広報紙とか、宣伝誌、DM等々の類は私の場合ですと、殆ど、郵便受けからゴミ袋か資源回収箱に直通ポイ!です。ですから、『内容などは、チラ見でいいから、せめて1~2日は居間のテーブルか棚の上にでも置いていて欲しい』。それが、この手の依頼を描くときの私の心情です。
表紙次第でゴミ袋行きか、棚の上行きかを決める私のような人は結構お見えなのでは…。

★それにしても、送られてくる各種機関紙、広報紙、宣伝誌、ミニコミ誌、DMの氾濫に驚きます。新聞の膨大さも同様で、32ページから36ページありますから、8枚~9枚の大版の紙が毎日ドサッと郵便受けに入ります。そして、その各機関紙から新聞まで、ことごとくが記事のどこかに「節約」「資源保護」「環境」の啓発記事や文章が書かれています。大変な矛盾を感じます。資源回収→再生のコストよりもゴミ袋直通の数を減らした方がはるかに資源保護になると思うのですが。

★が、私も無駄文化の中にドップリ浸かって、きょうも朝から興味のない内容のテレビをつけボッーと見ながら、『さぁて…、そろそろ描くか』とテレビを消さないで二階のアトリエに向かいます。階段をドンッ、ドンッ、とゆっくり上っていると、『チャンとテレビを消してから行くの!、無駄な電気は使わないで!』と家内の小言が聞こえてきます。なんともはや…。

ポチッは節約しないで!


靴底が破裂!

靴底が破裂!

★「靴底の破裂」という不運に見舞われました。

★1月14日のことです、夜に名古屋で私たちの会の新年会があるので、家を出るとき『どの靴を履いて行こうか…』と、下駄箱を開けたところ、もう数年も履いていない安物の靴で、処分しようかと思っていたのですが、最も足に馴染んでいた靴なので捨てるに捨てきれなかった靴が目に入りました。『よし、今夜はこれを』とその靴を履いて出かけたのが間違いでした。

★名古屋駅に着いて、地下街への階段を降りるときに、何となく足のカカトに違和感を感じました。足の運びがどうもうまくいかないのです。『まだ、足がもつれる年齢ではない筈だが…』と思いながら地下街を歩いていると、さらに靴底の接地面が傾くような感じになったのです。その時です。後ろから近づいてきたご婦人が耳元で『あの~、靴に何かくっついていますよ。』と教えてくれました。
『エッ!』と足下を見ると、靴のカカトの部分が破裂したように破れていて、中から白いワタのようなボロボロがはみ出しているではありませんか!。それも両方の靴が!。辺りの何人かの人たちも気付いていたとみえて、私の足下を気の毒そうに見ながら通過して行きました。

★私は恥ずかしくて、すり足で壁際の柱に隠れて、ここの地下街に男物の靴店がないかと見渡したのですが、女性靴の店しか見当たりません。とにかく今の危機状況を脱するために『足のデッカイ女性物の靴でも買おうか…』と思ったのですが、そんなものを履いてオ☆マさんと思われるともっと大変だと思ったのです。少し冷静になってから、結局、この地下街の上に高島屋があることを思いだして、足下を隠すようにしながらやっとの思いで、9階の紳士靴売り場にたどり着きました。が、百貨店の靴はどれも値段が高い!、でも、裸足で名古屋の町を歩くわけにもいかず、おかげで今月の小遣いの大半が失せてしまいました。

★私の破裂した靴を見た、女性店員によると、その理由は、概略次の通りです。
『長期間、履かないで下駄箱に放置しておくと、カカト部分や靴底部分の素材の組織が乾燥して硬化してしまい、柔軟性がなくなります。だから、その靴を履くと、体重の重みでカカトの部分の回りの硬質ゴムが割れて、芯になっていたウレタン素材もグジャグジャになって外に飛び出してしまうのです。よくあることですよ。』と、まさかこんなことが、「よくあること」ではないでしょうが…。

★長い間履かないままの安物の靴は、未練たらしくいつまででも下駄箱に置いていないで捨てること、新年早々の教訓です。

大恥者め!ポチッ!

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