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春ボケ

春ボケ

★サクラが行って、いつの間にかイチョウ並木も向こうが見えないほど葉が茂りました。外はまさに命萌えいずる時期です。私も毎日どこかに出掛けて春を満喫しています。
毎年、この時期、家に居たくないというか、机に向かいたくないというか、それほど春の外は居心地が良いものです。

★頼まれ仕事を早く片づけて、作品づくりも始めないと思い、机に向かったものの春の陽気が室内での仕事を邪魔します。やる気が起きないのでアイディアも全く出てきません。出るのはアクビばかりです。様子を見に来た家内が『きょうも仕事は続行不可能ね…』と言いながら、私の様子をパチッとデジカメに収めました。
しばらく春ボケが続きそうです。

ホントにいま、いい陽気ですね。

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夢のような

夢のような

★今朝の新聞に私の町の‘サクラ回廊’と名付けられているサクラ堤防の航空写真が掲載された。
毎年のことだがこの写真が掲載されると余所の町から見物客がドッと押し寄せて大変な混雑になる。が、今年は春休みも終わっているせいかさほどの混雑はない。

★先般、サクラの咲かない桜祭りの様子を紹介したが、あれから10日が過ぎて、いまやっと見頃を迎えた。気温20℃ぐらい、晴天、なんと美しいサクラだろうか!。夢のような世界だ。この川の上流から木曽川に流れ込むまでの数キロの堤防がサクラでビッシリ埋め尽くされている。自転車でユックリ走った。
待ちに待たせてくれた今年のサクラ、加えて昨年はサクラを仰ぐ気にもなれなかったせいか今年はいっそう美しい。

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さくらの咲かない‘さくらまつり’

さくらの咲かない‘さくらまつり’

★今年のサクラは、全国で同じような状況が展開されていると思う。
私の町も4月の第一日曜日とその前日が‘さくらまつり’と決まっていて今年も同じように実施された。この日のために用意されたさまざまなイベントも、市内の商店が稼ぎどきの出店も、堤防に並んだ露店も、例年と全く同じなのだが、いかんせんサクラの花がまだ全く咲いていないのだ。いつもならピンクの枝に見え隠れしながら通り過ぎる列車もモロに見える。向こうが素通しで見えるさくらの枝を見上げながら歩く‘さくらまつり’も初めてだ。

★しかし、せっかくのまつりなので、今年も孫と一緒に船に乗って水辺からの岸辺の風景を観覧した。この船観覧は‘さくらまつり’限定で市内の関係団体や中学生たちが総出でやっているイベントなのだが、ガイドを担当している中学生の女の子が『今年のサクラはまだ少し早いようですが、まもなく左手をご覧ください。数輪だけ咲いている樹があります。』というので目を凝らして見ると確かに数輪のサクラが咲いていた、みんなは『オッー!』と声を上げた。そして、わずか数輪のサクラに喜ぶ自分たちがおかしくて船上は大笑いになった。その中学生のガイドさんもしてやったりと言う表情をしながら一緒に笑っていて可愛かった。

★船から下りて堤防を歩いた。各露店から鉄板焼きの旨そうな香りが漂う。いつもなら身動き出来ない堤防も今年は人もまばらだ。露店のアンちゃんたちの『ヘーイ!いらっしゃい!』だけが響く。‘花より団子’と言うがそうでもない。やっぱり花がないことには団子もない。
でも私は、串焼き、ドテ、鯛焼き、綿菓子を買ってしまったが…。

★しっかり花見が出来るのは、あと1~2週間だろうか、新学期はサクラの咲き始めと同時に始まるだろう。‘さくらまつり’は残念だったが、楽しみは後にずれ込むほど嬉しい!。

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倒れない枯れ草

倒れない枯れ草

★木曽川中流域の彼方此方にあった広い河川敷の多くはブルドーザーが入り、雑木が倒され、藪を掘り起こして平地になり、そこに球場やテニスコートや変な観光施設が出来ています。悠々たる木曽川の流れとそれらは全くアンバランスな光景です。

★でも、私の町から数キロ下ると、まだ手つかずの河川敷風景が見られます。雑木と雑草に覆われた其処は小さな水溜まりが方々にあって、釣り人達が付けたのか、道らしき踏み跡が木々の間を縫っています。私も過去、この場所を何回も作品のモチーフにして描いてきました。
この作品も此処での先日の風景を描いたものです。
辺りは川風に倒れ重なった枯れ草と葉の落ちた雑木林が広がり、まだ冬の光景でした。

★でも水溜まりに近づくと、そこには、昨年の夏に繁茂した丈の高い草が枯れたままの姿で、まだ立っていました。その頑丈な雑草は乾ききって枯れ枯れになっているのに、川風にも倒されないで立っているのです。近づいて覗き込むと薄黄色の枯れた茎がシューシューと真っ直ぐに伸びていて、その一本一本の細い円柱に差し込む陽光が当たり光っていました。いつだったかSF映画で観た異星の風景を思い起こさせる空間でした。
さらに根元に目を移すと、小さな緑がポツポツと地面を割って顔を出していました。
新しい命の芽吹きをガードするために、倒れないで必死で冬を越し立ち続けてきた水辺の枯れ草群なのです。

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『花が上がってくる』 ということ

『 花が上がってくる 』 ということ

★以前にも書いたが、家内が町内の近隣ケアグループの責任者をやっているので、そのお手伝いである。
今年も年度末が近づいたので、ケア対象の年齢歳以上の18名のお年寄りのお宅に届ける花鉢を車に積んで、そのお宅に花鉢を配り届けた。ご夫婦ともご健在のお宅には2鉢、一方だけが年齢に達したお宅には1鉢いうように配ったのだが、そのお宅を間違えて、戻って慌てて玄関先から撤去して、お隣の対象のお宅に配り直したりしながら、やっと配り終えた。

★この寄せ植えの花鉢、私がずっと以前に勤務していた美濃市で友人になった花屋のコウちゃんに無理を言って作ってもらったものだが、さすがその道のプロは考えることが違う。
『玉さん、お年寄りにせっかく花鉢を贈るのだったら、年寄りが体を動かして毎日しっかり花の世話をすれば、少なくとも3~4ヶ月は花が咲いている鉢にしないとダメだよ。そういう楽しみを贈ることが大切なんじゃないか?。』と、コウちゃんは言うのである。そんなわけで春から夏にかけて、そのときどきに咲く5種類の花を寄せ植えにしてくれた。そして、世話の仕方も詳しく教えてくれたので、それを札に書いて鉢に添えて配った。

★そのときに、少なからず感銘を受けたコウちゃん言葉がある。こう言った。
『一つ一つの花は必ず咲き終わるが、終わった花をいつまでもそのままにしないで、摘み取るなり切り取るなりすれば、次に待ちかまえている新しい花がドンドン上がってくる。』と。

★『次に待ちかまえている新しい花がドンドン上がってくる。』というくだりが特に気に入った。
なるほど!花に限らず、命、生き方、物、全てに当てはまる。
若い連中が斬新なセンスで突き進もうとしているのを私たちが因習や世間体で押さえようとしている場面は無いか?、あるいは、自分自身を振り返ってみても、一つのことに固執する余り、もっと別にある可能性に目を閉じていないか?、等々、さまざまを思い起こさせてくれたコウちゃんの言葉である。

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金のなる木

金のなる木

★正式和名はフチベニベンケイ(縁紅弁慶)とか、カゲツ(花月)とか言うことをネットで初めて知ったが、一般には、カネノナルキ(金のなる木)で広く知られている南米原産の多肉植物だ。
年末からずっと咲いていたシャコバサボテンの花が萎れてしまったら、横に並んでいる金のなる木が花を付けた。例年に無いほどの見事な花付きなので、少々自慢したくてアップした。

★この木、雪や霜からだけ守っていてやれば、抜群の生命力を持っている。枝や枝先の葉がポロッと土に落ちると、その落ちた葉や枝先から根が生えて新しい木に成長する。夏の水やりだけ気を配れば嘘みたいに簡単に増やしていける植物だ。だから、かえって雑に扱われて水をからしてカラカラになって転がっている鉢を夏によく見かける。

★さて、この木の名前だが何で「金のなる木」だろう?。私もチョッと縁起のいい名前だと思って随分昔に一鉢買って来たのがもとで、次から次に増えていったのだが、鉢が増えるのとは反比例して我が家はますます「金」とは無縁になっている。以前、金持ちの友人に所望されて一鉢進呈したが、其奴はもうとっくに枯らしてしまっている。でも其奴は今でも悠々と「金」と共に暮らしている。いったい「金のなる木」の命名の所以は何だろう?。
でも、まぁ、こうして見事に花を付けた姿を見ることができること自体が「金」にまさる至福、と思うことにしよう。


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どや顔

どや顔

★ここしばらく我が家の玄関先のクジャクサボテンが自慢である。今年は特にたくさんの花房を付けた。もう10年以上前に貰った一枚の葉を鉢に挿し木(挿し葉?)したのをドンドン鉢分けして増やしたものだ。途中で余所にあげた鉢も含めると10鉢になる。
この時期、さまざまな花が咲くが、このクジャクサボテンはとりわけど派手で華やかで美しい。最近、‘どや顔’という言葉をよく聞くが、私の家では、この花が最も‘どや顔’をしているように見える。

★私が、花を育てることにかなりの興味を持っているのも、このクジャクサボテンの鉢を毎年増やしていったことがきっかけだ。
だが、ホームセンターで苗を買ってきて育てるのは好きでない。やっぱり種から芽が出る過程や、手折って捨てられた枝を貰って挿し木したところから新芽が出てくるのを見るのがたまらなく良い。育つ過程で、子ども達が昔読んでいた「小学館・植物の育て方」なる図鑑を引っ張り出して調べるのも面白いし、その時々にやってくる害虫との格闘も面白い。

★私が花を育てることに興味を持っていることを知った友人達が 『 玉さんらしくない 』 『 意外! 』と言うが、自分に対する他人のイメージを裏切ることも痛快で面白い。
花が咲いて、ひそかに‘どや顔’をしているのは結局、私かもしれない。

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曼陀羅寺のふじ

★私の町の南端に沿って流れる木曽川が岐阜県と愛知県を分けています。橋を渡って愛知県側に入ると堤防の様子がガラッと異なります。愛知県側の堤防は堅牢な堤防が二重になっており、堤防と堤防の間にチョットした町が出来ています。ウソかホントか定かではありませんが、江戸の昔から徳川御三家筆頭の領地として尾張地方の堤防は岐阜県側より高く堅牢に造り、もし、木曽川が氾濫したときは岐阜県側に水が行くようにしたのだと聞いたことがあります。でも、土木の専門家に聞くところによると『そんなことは岐阜県の人たちのひがみ根性がつくってきた噂であって、堤防の高さに差なんて無い。』と言います。

★それはともかく、その立派な堤防を過ぎて愛知県側に入った途端、彼方此方に名所旧跡や古刹がいっぱいあります。やっぱり徳川御三家筆頭の領地のなごりがそこかしこにあります。
私の町の川向こうに位置する愛知県江南市に曼陀羅寺というお寺があります。北尾張地方では最高位の格式を持つ名刹なのですが、そのことよりも境内の藤の見事さが広く観光客を集めています。約60数本の藤の木から伸びた蔓が広い境内いっぱいに張り巡らされた藤棚に這い、数千の花房を垂らしております。ここに来ると何時も思うのですが、古来から垂れ下がる藤の花房の美しさが着物柄になったり、日本画のモチーフになったり、扇子絵や簪飾りなど小物の素材になってきたことがよく理解できます。群れで見せる花の中では藤の花は最高ですね。

★今年は連休と満開が重なり、最高の藤棚でした。周辺の農家は何処も玄関先のスペースが一台500円の観光客の駐車場になり、この時期だけの臨時収入だそうです。『う~ん、ここは10台停めているから、最低で1日100台としても、1週間で…』と呟いていると、『せっかく綺麗な花を見せてもらった後で、そんな世知辛い計算をしないの!』と家内に叱られながら、農家の駐車場を後にしたのです。

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タイムスリップ

タイムスリップ

★先日の24日、長男の運転で飛騨に墓参に行ってきました。
こちらを出るときはもうすっかり葉桜になってしまって、華やかだったサクラがもう遠い昔のことのように思っていたのですが、国道を走っていると少しづつサクラが戻ってきました。美濃と飛騨の境辺りでは散り遅れた花がまだ枝に残っていて、下呂温泉に入るとサクラ吹雪が車に舞って、私の故郷の町に着くと今ちょうど満開の時期でした。同じ県内で、わずか100キロそこそこの距離なのに、ゆっくりした桜前線の北上のおかげで、今年は二度のサクラを仰ぐことができて、何だかチョットしたタイムスリップを味わったような気分になったのです。

★そして昨日、東京のAくんから『お久しぶり!高三のときに隣の机に座っていたAだけど覚えてる?今度の下呂での高校の同窓会に参加する?』電話が入りました。
私は仕事が重なって参加出来ないと言ってから、当時の懐かしい話題に盛り上がっていきました。実は、私はAくんのことが記憶になかったのです。必死で記憶をたどりながら話を続けました。話に出てくる他の友人の顔もその友人の話題も、当時の出来事の話題も、全て鮮明の記憶しているのにAくんの顔が思い出せないのです。
『玉くんと一緒に授業を抜け出して町に遊びに行って、担任のN先生にひどく叱られたこともあったな~。』とAくんは言うのですが、私はそんなことは何回もあり常習犯でしたので、それが何時のそれか分かりません。

★でも話の終わりがけに、Aくんが私の親友だった下呂温泉のHくんの近くに住まいしていたことを聞いて、『あ~!、あのAくん!』と、記憶が一気に蘇りました。
Aくんには本当に申し訳なかったと反省しきりです。ボケがひたひたと近づいて来ているのでしょうか、心配しきりです。
と言うわけで、こちらの方のタイムスリップは大失敗でした。

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忍笛(しのぶえ)

忍笛(しのぶえ)

★家内たちが習っている「詩舞」の発表会が夏にあるとかで、その衣装のアイディアをそれぞれが考えてくるようにとの宿題が詩舞の先生から出たそうです。
『考えているイメージを説明するから、そのように絵にしてちょうだい。』と言うので、言われるとおりに絵にしたものがこの女性の姿です。ただ、実際のオバサマ達よりスタイルと顔づくりをかなり補正し、年齢もグッと引き下げて描きました。

★で、描いた後、フッと以前に出会った「忍笛(しのぶえ)」のことを思い出したものですから、そのときのイメージに画面を仕立て直したのです。

★ずっと以前の三月頃だったと思いますが、今なお、伝統芸能がいきづく北陸の町での会議に参加したときのことです。夜の宴会場の電気が消され、障子に日本髪の女性の座っている影が浮かび上がるのです。
そして女性は笛を吹き始めました。障子に映る女性の影から妙なる笛の音が聞こえる。なんとも情緒的な美しいものを見せてもらいました。
地元の方の話によると、江戸時代から続く「忍笛」という伝統的なお座敷芸で、最近では後を継ぐ芸者さんも殆ど居なくなった、とのことでした。
笛を吹く姿をそのまま見せればいいものを、わざわざ平面的な影に置き換えて見せるのですから、そこにはきっと難しい動きの所作やきまりがあって、その所作を後世に伝えていく難しさがあるのだろうと、そのとき思ったものです。

先人たちが創った日本の芸能は、余裕というか、間というか、あるいはひねりというか、独特のこだわりがあるように思いますが、私も含めて現代社会ではそうしたこだわりもさして必要を感じなくなり、寂寥感しきりです。

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