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気難し屋

気難し屋

◆シャガ、水はけの良い、木漏れ日の山の斜面などに群生する晩春の山野草です。地中を這うように根が繋がり、先々で芽を出し、群生地域をつくっていくのです。全国どこでもありますので、ご存じの方も多くお見えかと思います。

◆その飛騨の山峡の町で、私が、ものごころついてから最初に覚えた花の名前がシャガです。あまり草花に興味のない私にとって、よほど強い印象の花だったのでしょう。彼女は実家の裏山の斜面や、すぐ横にある神社の杉林の地面にビッシリ群生していて、最初に山国の初夏を飾るのは彼女達でした。小ぶりな花ですが、多分、姿形から見て、アヤメやショウブの仲間でしょう。でも、それらと違って花びらの色と柄にかなり意匠を凝らしていて、これが野生の花かと思うほどもきれいさです。

◆その山峡の町は、5月中旬、近隣のどの町よりも多くあちこちに彼女が咲き乱れるのです。だから、‘シャガの○○’といったように彼女の名を頭に付けた商品や温泉の屋号があるほどなのです。しかし、彼女、なかなかの気難し屋で、彼女を花瓶にでもと、切り花にすると30分で完全に萎れてしまうし、他所に移植しても、よほど彼女の気に入った場所でないかぎり、絶対に根付いてくれないのです。

◆私も、いまの家に住むようになってから、飛騨に帰省するたびに、彼女の株を持ち帰って、家の庭に場所を変えながら、毎年、移植したのですが、いつも嫌われっぱなしでした。移植を始めてから5年目に、フッと、彼女は気むずかしいから、ちょっと変わった所へと思い、花壇から出てきた邪魔な小石を一カ所に集めている所に、無造作に移植してみたら、なんと、それがしっかり根付いたのです。3~4年でその一角が彼女のテリトリーになりました。ここは飛騨より暖かいものですから、4月はじめに花を付け、いま伸び放題です。この写真が我が家の彼女です。【バックの絵は、彼女の郷里のイメージです。】

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虫こそ

虫こそ

少し気持ち悪いかも知れません。虫です。自分が飛騨で育ったからということもあるかも知れませんが、私は虫に対して一つの見解を持っています。それは『幼少時の男の子が最初に対峙し、乗り越えなければならない手強い相手、それが虫!』と言うことです。小さいけれどその姿形が異様でどことなく怖い。でも捕まえたい、捕まえると足でひっかかれたり咬まれたりする、ビックリして地面に虫を叩き付けたりもする。そんなことを繰り返しながら“怖さ”から脱却していく。少々オーバーな言い方ですが、男児が最初に家族を離れて自分自身の力で度胸や勇気を育む教材が‘虫’です。樹を見上げ、草を分け、土を掘って虫を捕っている悪ガキこそ真っ当な育ち方をしている男の子です。(右下の虫、枯葉とその葉脈をphotshopで加工してつくった創作虫です。でもこんなヤツ、山の腐葉土をめくると、その下に居なかった?…)

向こう岸の村

向こう岸の村

5歳のときから18歳まで育った飛騨のすべてが私の原風景です。飛騨の自然風景も人々の暮らしも私の記憶の中では陽光燦々たるものではなく、どちかといえば暗いものなのですが、それがまた郷愁を一層かき立てるのです。私の家は川を挟んで、やや北東の山の斜面に貼り付いていました。午後3時になると太陽は向かいの高い山に遮られて日陰になるのです。川向こうにある村を見るといつまでも太陽があたって明るいのです。子供心に向こうの村の方が店も多いし、祭囃子の音もこちらの村より大きく響いているように思ったものです。学校でも向こう岸の連中の方が威張っているように思えて、よくケンカをふっかけたものです。
でも、高校の頃近くに橋が出来て、向こう岸の部落に行きこちらを眺めると意外に明るく美しい山村風景でした。

森の奥で

森の奥で

私を育ててくれたのは飛騨の山奥です。5歳から高校を卒業するまで、御嶽山の飛騨側の登山口にあたる山峡の村で過ごしました。
霊峰で知られる御嶽山も今は6合目まで車道が出来ていますが、当時は麓から歩いたものです。私も毎夏御岳登山に挑戦しました。いくつもの山を巻き、谷を越え、原生林の中の山道を歩いていると、それはこの世のものとは思えない別世界の風景に出会うのです。
深く暗い原生林の中に突如滝が現れて、その滝壺だけに一条の陽光が注いで、そこに小さな虹が架かっているのです。森の妖精たちが宴を張るステージに違いないと思ったものです。

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