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アスター

アスターasusuta.jpg
★昨日、飛騨にある両親と先祖への墓参に行ってきた。
戦後、父の実家があった飛騨の山峡の町に大陸から引き揚げてきたときには実家は既に没落していて、家も一片の田地田畑もなく、ただ11基もの先祖の墓石だけが寂しく旧実家の敷地の片隅に林立していたという。外地で結構元気のよかった父は、まだ余力があったのでこの故郷を捨てて、都会に出て10人の大家族のために一から出直そうとも考えたそうだが、母に説得されて、飛騨に留まり先祖のお墓を守っていくことにしたそうだ。

★現在は、その墓石群に父母の墓石も加えて、父の故郷を見渡せるように小高い山の中腹に移転したが、道路からそこへ行くまで足下も悪く、夏は雑草が茂り、ハチや虫が乱舞し、冬は多分キツネの足跡らしきものが雪の上にあったりして、私の息子たちも子どもの頃はちょっと冒険気分で墓参を楽しみにしていた。

★さて、母が生前、いつの頃からだったか、お墓にアスターの花を飾りたいと言い出した。その頃、飛騨の田舎にも新しく入ってきたアスターが花屋の店頭に並びはじめ、この花が流行り始めた頃だと思う。
苗を買ってきて毎年春に植えていたようだがうまく成長しなかった、私がお盆に帰省すると庭を指さしながら『やっぱり今年もアスターは大きくならなかったわ、ここは周囲が木の陰のおおわれているから駄目なのかしら、下のお家はどこの庭にも、アスターが大きく育っているのに…』といつも嘆いていた。
私も、そんな母を喜ばせようと自分の家で毎年アスターの苗を育てたのだが、温暖で虫の多いこの地方では一層うまくいかなかった。先ず、苗の段階で虫が葉を喰う。やっかいなのは周囲の草取りをちょっとおろそかにすると雑草に埋まり、慌てて草を取ろうとすると根の浅いアスターを一緒に抜いてしまう。さらにやっと花をつけるとその花粉に小さなハムシがやってきて、肝心の花の中心部を黒く汚くしてしまう。数年は毎年アスターに挑戦したが、結局諦めてから数年後父母が逝った。

★全くの偶然だが、私の住む市内のあちこちの畑を借りてスーパーに卸す各種野菜をつくっている野菜づくりのプロがいる。そのご主人が私の家の前の畑でも野菜をつくっていて、よく立ち話をするのだが、フッと母とアスターのことや私のアスター失敗の顛末を話したら、なんと彼は野菜だけでなく花づくりの名人で、『先ず、温室で育てた苗をホームセンターで買ってくるようじゃ、アスターは地植えをしても駄目よ、苗が弱いからね、アスターほど虫がつきやすい花はないから、やっぱり種から苦労しなくちゃ』という第一声に始まり、延々アスター成功の秘訣を教えてくれた。数回にわたる植え替えのタイミング、地植えの時のマルチの敷きかた、そのときどきの除虫剤や殺虫剤の種類、肥料の種類、特になるほどと思ったのは『ハムシが花についたら、離れたところからジェットフマキラーをかければいいよ、ジェットフマキラーは蚊やゴキブリだけに使うものじゃないから』と。

★そんなわけで、この三月、彼の教えに忠実に種入れからアスターに取り組んだ。地植えのあともマルチのおかげで根元の草取りの手間が省けた。結果、こんな立派に成長し花をつけた。失敗の株は皆無だった。墓参用にバケツ一杯のアスターを手折ったが、まだたくさん残っているし、手折った下の枝の小さい蕾が秋にかけてどんどん伸びてくるだろう。

★昨日は母が好きだったアスターをどっさり供えてきた。向こうに設置されている花立てでは足りないと思ってので、こちらからも花立てを2本持っていて、墓石のまわりをアスターまるけにしてきた。
『アスターのこと、覚えていたのね』と、母は言っているだろうか…。

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コメント

枯雑草さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★親不孝の極みだった私には、初めてお盆らしい墓参が出来ました。それにしても、草花というのは土中の種の段階から花をつけるまで、その時々に異なった外敵と対峙しているということを実感しました。大変です、成長するということは。

こんにちは。
お母さま、思い入れのアスターを育て届けようとされた玉さん・・。うまく育たなかったようですが、とってもいいお話ですね。ブログの表題そのままのロマンチックメモリーですね。そして、ふとしたことからアスターの育て方を教わり、溢れるほどに育った花を・・。お母さまの帰ってこられる日の丘の墓前に届ける。いいお話の続きですね。とてもいいお盆でした。

★ありがとうございます。
★ホヤに手が入らなくなって自分の体の成長を実感する…。なるほど!、いまの人たちには想像だに出来ない、成長と物とのかかわりですね~。
★昔、奥飛騨の木造旅館で、湯殿へいく渡り廊下にランプが掛かっていたのを思い出します。

同じですね。
わが家も祖母の実家から近いところに開拓に入った。あっちの山陰に一軒、こっちに一軒、おかげで電気が通ったのは昭和30年半ば。ランプのホヤを磨くのは私たち子供の役目。成長と共に手がホヤに入りにくくなり、ある日とうとう入らなくなりました。時分の成長を実感した瞬間です。

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