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手放せないもの

手放せないもの

★このタイトル名は田舎時遊人さんが以前、何回かに分けて書いていた記事のタイトルです。私も同じタイトルを使わせてもらいました。その時遊人さんの記事の中で、お父上が遺した腕時計の話にとても感動しました。長い間しまっておいたその腕時計を近々、修理して時遊人さんの腕で再び時を刻み始めるかもしれないと、お話は締めくくられていました。
過去と現在が一つの物を通して有機的につながっているということの象徴的なお話だと感じ入りながら読ませてもらいました。

★‘物'のほとんどは無用になったり、使わなくなったり、使えなくなったら廃棄してしまうのが常ですが、中にはその‘物'が、その時の忘れられない思い出のオーラを出していて、そう簡単に処分できない物も結構あります。

★私の場合は、右のキスリングとピッケルです。この頑丈な帆布で縫製された横長のリュックのことをキスリングと言っていました。昭和の終わり頃までは山でときどき見かけたのですが、平成に入ってからは全く見かけなくなりました。左がいま使っている近場行きのリュックです。その軽さと扱い易さはキスリングとは比較になりません。
このピッケルもこんな長い木の柄と太くて重い鋼鉄部分のついたものはどこの山岳用品店にも、もう並んでいません。

★さて、このキスリング、若い日、槍ヶ岳、奥穂高岳、御岳、木曽駒ヶ岳、立山、富士山、等々に何回も一緒しました。両脇のタッシにイッパイ物が入っていると左右80㎝近くの長さになるので、人とすれ違う時にはぶつからないようにいちいち横を向いたり、岩の壁道ではタッシが岩に当たって体がぐらつかないようにカニのように歩いたり、その上、汗が背中の部分から滲み込んで中の衣類や食料の包み紙までベタベタになります。時には、長い行程のうちに中の果物類が潰れて逆に背中に果汁が滲みるなんてこともありました。
いま思えば極めて不便なリュックでした。でも、このカーキ色のでっかい帆布地のキスリングこそ、当時の山男のステータスだったのです。

★やがて年齢と共に鈴鹿山脈や伊吹山などの日帰りの近場の山へと代わり、このキスリングはアトリエのちょっとデカすぎるインテリアになりました。邪魔なので捨てようと何回も思いましたが、中に鼻を近づけると、あの時の汗や食料や果物や帆布地の繊維のにおいの混じったヤツが、もうとっくに乾燥しきって、なんか新たな香料のようなカオリがするのです。(フケツ!!)そして、そのたびに『よし、今年こそ再び、あのときの山へ行くぞ!』と思うのです。もちろん、このキスリングはもう使いませんが…。
そう思うあいだは、このキスリング捨てれません。

★それぞれに、手放せないもの、捨てられないものってお持ちでしょ?

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コメント

足袋ネコさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★魔法瓶、最近は優れものが多いですね。でも、山は不自由なところだから、私は‘水筒’で十分です。
★足袋ネコさんのパソコンの中、そりゃ両方とも大事にしなきゃ。昔の作品をときどき辿ると、アッ、これ使ってみようかな…、ってことありますものね。

数年前まで「キスリング」,「テルモス」ってなんだろう
と思っていました。
山の本を読むとしょっちゅう出てくる単語だったのですが
山登りをしているくせに,全く知りませんでした。
「キスリング」は見た感じとても重そうで,肩が痛そうです。
今では滅多に使っている人を見ませんが,山菜採りなどをしている人が
背負っているのを見ますね~

捨てられないもの・・・・・
パソコンにたまっているネコの写真
同じくパソコンに溜まりまくっている作品のアイデァ・・・・
いつか日の目を見るのでは・・・と。  ため息~

Bokkasaさん,こんばんは。

★ありがとうございます。
★そのミルクのみ人形、テレビの鑑定団で良い値が付くのでは?
★そうです、ゴアゴアした硬い帆布で、太い糸で縫製していて、何も入れていないカラの状態でも結構重量があるヤツです。

こんばんは。
私は、物をなかなか捨てられなくて困ります。
小学生の頃の「ミルクのみ人形」、いまだにとってあります。
本体はセルロイド、哺乳ビンはガラス、吸い口はゴム(もう変形してます)そして、それぞれのパーツをつないでいたゴムひもは伸びきって・・・とっても可愛そうな状態です。

玉清さんのリュック・・・昔、兄が山登りに使ったのと同じようです。布がゴワゴワしていたような気がしましたが。

boumamaさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★確かに自然素材の製品ってのは滅多にお目にかかりませんね。かく言う私も自分の着ているものを確かめたらジーンズ以外は上から下まで全て静電気パチパチの化繊ばかり、あっ、ジーンズ、綿だけど中国製…。大丈夫でしょうか私の体。

枯雑草さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★枯雑草さんが毎年四国を歩いてお見えのことが少なからず刺激になっています。今風の軽いリュックにいっぱい食料を詰めて、この夏は何年ぶりかの御嶽か、木曽駒あたり山小屋で泊まりたいと思っているのですが…。

いいお話

田舎時遊人さんの方にも行き、読ませていただきましたが、とてもいいお話でした。特に時計は肌身につけるものですし、キスリング(初めて知りました)も玉さんの背中で行動を共にした、謂わば分身のようなものですものね。

時は移り変わり、何でも使い捨て時代がもてはやされてるようになりましたが・・・やっと、この頃愚かさに気付いてきたといえるのでしょうか。少しずつ感じる空気が変わってきたようにも思えるのですが。
絵を始めようと思ったきっかけもこんな褪せじみた“モノ”・・・例えばこのような“手放せない”キスリングなど気持ちを込めて描きたい!と思ったから・・・・しかし、このような描きたいと思ったような天然素材のもののないことといったら・・・哀し過ぎます。

こんばんは。
棄てられないもの、思い出と一緒にあるもの、たくさんあったような気がします。いいことですよね。あっ、何方かも同じように書かれてますけれど、私も引越しが結構多かったものですから、その度に棄てさせられて、殆ど残っていません。残念なことですね。

nanbuyasさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★私もほとんど捨ててしまう性質ですので、何もありませんが、何か‘これは捨てるな!’というオーラが出るのが何点かあり、それは捨てられません。でも、子どもの時のものは一つもありません。あまり良い思い出のものはなく、多分躊躇なく捨てたのだと思います。

思いでの品が今でも手元に有るとは幸せなことですね。
私は引っ越すたびに色々な思い出の物が無くなり今ではほとんど残っていません。何と学校の卒業アルバムさえも。色々な物は私の記憶の中にしか有りません。

田舎時遊人さん、こんばんは。

★ありがとうございます。タイトルをパクって申し訳ありません。
★時計、父上の時をずっと刻んでいる、なんとステキで感動的でしょうか。過去はたしかに過ぎ去ってしまったことなのですが、その過去が今に勇気をくれたり、希望を持たせたりということも確かにあると私はときどき思うのです。

これは手放せませんね!

いや~、この風合い・・・それに、たくさんの山々をお供したキスリングとなれば、尚更手放せませんよね!新品の同じものがあったとしても、見かけは同じで中身は全然違うものですから・・・まさしく玉清博物館の殿堂入りですね!

そうそう!腕時計の件、数軒お店を回ってみたのですが、ぴったりとくるバンドが見つからず、未だにそのままです。メーカーに問い合わせてみたものの、同じバンドは無いようです。もう少し、気長にピッタリと来る物を探してみようと思っています。時間はきちんと刻んでくれていますので…

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