
★これは数年前、私の町の各家庭に配布した「防災ハンドブック」の表紙のイラストです。役所内には図柄が暗いとか、重いとか、いろいろ言う奴がいましたが、当たり前です。このテーマが明るく、軽くなるはずがないのです。わざと暗く重くしたのです。あの阪神淡路大震災を忘れないために…。
★12年前の1月17日、明け方、関西から遠く離れた私たちの岐阜地方は「ドーン!」という音と振動で、飛び起きました。ホンの一瞬でした。『何の音だ!』と近所の人たちも外に出ましたが、もういつもどりの静かで澄んだ冬の朝に戻っていました。『まあ、ちょっとした地震だろうな』と言いながら、家に戻ったのです。
★そして朝食時、テレビにとんでもない惨状の映像がながれていたのです。どこのチャンネルを回しても大阪を中心とするM7の大地震の被害の報道でした。しかも、時間を経るごとに、日が過ぎるごとに、その被害の惨憺たる映像がますます惨憺たるものになっていくのです。
神戸市からその周辺都市、さらに淡路島、高速道路や近代ビルが至るところで崩壊している光景は全く信じられないものでした。併せて、至る所で火の手があがり、多くの古い庶民の街なみは焦土と化したのです。5000人を超す方々が災害の犠牲になられました。後「阪神淡路大震災」と名付けられた想像を絶する驚異の地震でした。私も関西地区には親戚も友人も多く、心配しましたが、幸いにも大事なく安堵したのです。
★このときを契機に、都市直下型地震の恐ろしさ、それに対する都市の無防備さ、防災都市への転換、等々、さまざまな視点から専門家が論じるようになりました。しかし、完全防災都市の構築は、もはや不可能です。ただ、私たちは縦横に走る活断層の上で生活しているのだから、いつか必ず大地震に襲われるという自覚と、その際の敏速な避難とそのための組織作りや協力体制を不断に確認していれば、最小の被害にとどめることは可能です。私たちの自治会でも、その防災組織の確認は毎年の自治会総会で行っているところです。
が、しかし、一方で『頼む、自分の地域だけは避けてくれ…』と、内心願っているのも偽らざる気持ちです。
★その後、中越地方にも、二度も大きな地震が襲ったことは記憶に新しいことです。いまだに仮説住宅にお住まいの方もお見えです。一日も早い地域の復興と被災された方々がくじけない強い気持ちを持ち続けていただくことを願うばかりです。
ポチッとお願いします。!




