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21世紀を見られなかった氏から

21世紀を見られなかった氏から

◆先般アップした「訓練」の中で司馬遼太郎氏の文章の中から、『いたわりの情は日頃の訓練云々…』と言う一節を紹介しました。実は、この文章、某教科書出版社の小学校6年生の国語教科書に載せらた「21世紀に生きる君たちへ」と題する文章の一部なのです。文章の前後の脈絡を述べないで、あの部分だけを取り上げたものですから、分かり難かったかと思います。ですから、きょうは、短い文章なので、その全文を《続きを読む》に載せました。(無断掲載、問題あるかもしれませんが、まぁブログのことなのでお許しいただいて、問題指摘されれば消去するつもりです)

◆氏が亡くなられる少し前の執筆です。氏はこの文章を書いた後で『歴史小説を書くよりもはるかに難しかった』と述懐されていたのを当時の新聞で読んだことがあります。関係者によると、この原稿は、書き直しに継ぐ書き直しで真っ赤になっていたといいます。それだけ氏の意気込みがすごかったのでしょう。

◆『自分は多分、21世紀の世界を見ることが出来ないだろう』『21世紀の街角には立てないだろう』と、おっしゃる氏が、子どもたちに向けた精一杯のメッセージです。自然界への認識、人の生き方、について氏の心からの希望と期待、願いが優しく、熱く語られます。私には氏の叫びのようにも聞こえます。胸が熱くなります。

◆小学校6年生には、若干、難解な感じがしないでもありませんが、この教材を扱う教師次第でしょう。この教科書を採択している地域の子どもたちは、国語の時間に、この文章に出会ったという素晴らしい財産を持って、自然や社会に眼を向けながら大人になっていくでしょう。
私は、歳を経てから出会ったのですが…。

是非、全文をお読みください。

「21世紀に生きる君たちへ」 司馬遼太郎
 私は歴史小説を書いてきた。
 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
 歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
 歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
 だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは、───もし君たちさえそう望むなら───おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。
 私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
 君たちは、ちがう。
 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。
 「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」
 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。
 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
 人間は───繰り返すようだが───自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
 ───人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
 この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
 そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

 さて、君たち自身のことである。
 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
───自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 21世紀においては、特にそのことが重要である。
 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
 科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は、助け合って生きているのである。
 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たような言葉である。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

 鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
 もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。
 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

(注/文中の‘田中’は司馬氏の本姓です。)


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コメント

artkazukoさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★おっしゃるとおりですね。私たち地球人が自分中心に全てを考えていくのは、まぁ仕方ないにしても、そこでちょっと立ち止まって人以外のものの都合も考える気持ちがあると、随分、気持ちのいい地球になるのですが、と言いつつ、後戻りもイヤだし…。どうしようもありませんね。石油が枯渇して、CO2が減り、新たな生活様式が生まれるまで待つ以外には。

響さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★〈君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた〉と、氏がイメージしたような世界がホントにやってくると良いのですが…。まぁ、自然の維持は難しいにしても、人と人との関係はこの氏の言葉のようでありたいですね。
★でも、この文章小学校6年生向けなんて…、氏の子どもに対する一所懸命さが伝わります。

科学者は科学を追及すればするほどに神の存在を感じるのだそうです。
一つのことが解明すれば、さらにその先の不思議が生まれてくる・・
それは永遠に続くという感じがします。
そして人間のちっぽけさを思い知らされる・・・
とかく、人々は自分を中心に物を考えます。
猫や犬、虫、植物等など、非人間の立場から物を捕らえたら
どのように写るか・・・
人間が擬人化して描いた動物に対して、当の動物はどのような感想をもつか・・など、非人間に聞いてみたいと思っていみたり。。

こんばんは。
報道や情報の氾濫のせいだと思いますが、混沌としたように感ずる世の中に生きているのかと思うときもありますが、
玉さんのご紹介してくれた文章をお書きになる人がいる、
それだけでシシガミ様のようにすうーっと心を爽やかにしてくれている気がします。

司馬遼太郎さんの文章、かっこいいです。^^

外道sさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★この文章、ホントに心にきますね。だから、何をしようという具体的なものは別にないのですが、なんか自然や社会への見方が変わるというか、読んで心の肥やしになるというか、そんな気がします。
★〈私の文章力ではこの思いをなかなか伝える事が出来ません。〉とんでもありません。外道sさんのブログの言葉といい、書いていただくコメントといい、思いがビンビン伝わってきます。

足袋ネコさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★私も年代やそのときの事象を覚えるだけの歴史は嫌いでしたが、歴史小説は好きです。誰もその時を見ていた者はいないので、わずかな文献を頼りにして、そこに作家の判断を重ねて書くのでしょうが…。特に司馬氏の歴史小説の取材はすごいと感じました。
★歴史の大きな流れが、未来に希望を与えてくれたり、警鐘を鳴らしたり、してくれるような気がします。
★年齢と共に、もう久しく北アルプスに入っていません。その、独標までぐらいなら来年はやってみようか…。

nanbuyaさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★21世紀への氏の本意はnanbuyaさんと同じだと思います。文章のおもてに見える希望ではなく、限りない21世紀への憂慮だと私は思います。いわば、氏の‘警鐘’ではないでしょうか。

枯雑草さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★大変おこがましい言い方ですが、氏はこういう文章は苦手だったのではないかと思います。しかし、原稿を依頼されて悩んだ末に、ご自分の専門である歴史的視点と歴史の普遍性を背景に『よし、子どものために書いてみようか!』と思われたのではないでしょうか。なんか、いつもの氏の表現とは趣を異にする文章内容が、峻烈なほどに新鮮で、キーンと胸を打つのです。
★小学校の6年生の段階で、必死にこの文章に取り組める学習ができるのは幸せですね。

いつも・・・

確かにこの文章は心にきます。
自然の中での事。(地神?)
自然物としての人間の事
自己の確立の事
>私は、君たちの心の中の最も美しいもの
これが肝心かと・・・

玉清さんの紹介・教え何時も考え深く、コメントを書くのをためらって居るので・・・私の文章力ではこの思いをなかなか伝える事が出来ません。

「司馬遼太郎」 恥ずかしながら今まで知りませんでした。
心に染みます。

私は司馬遼太郎の本を読んだ事がありません。
歴史が苦手なので取っ付きにくい印象だったからです。
私にとって日本史、世界史は記憶に頼る学問でしたので
ちっとも楽しくありあせんでした。
でも今考えると、歴史は考える学問ですよね。
なぜ歴史はこう動いてきたのか・・・相手の立場、文化、宗教などを考え合わせるとうなずける事が多いのでしょう。
それらを総合して勉強する「歴史」は学問において一番大切な教科だと知人が言っておりました。

↓ ロープウェイを利用すると西穂高山頂は無理ですが、その手前「独標」までなら日帰りできます。

読ませていただきました。司馬遼太郎の思想、よく理解できます。
私自身は21世紀にそれほど期待はしていませんが、私の子供、孫が生きていく21世紀、どうぞ、ひどい時代に成りませんようにと、祈るばかりです。

玉清さん、司馬遼太郎さんのメッセージ、ご紹介いただいてありがとうございます。現代の若者、昔若者であった私達も含めて、何を大事に生きて行けばよいのかを、格調高い言葉で、鋭く説いていただきました。玉さんもお書きのように、推敲を重ねて苦労された跡がわかるような気がします。
最初の、歴史というものに向き合い見た「自然の人間のあり方」は、おそらく司馬さんが、最も声高におっしゃりたかったことでしょう。玉さんのこの絵もきっと、この辺のことですね。
次の自己の項を経て、「いたわり」と「たのもしさ」の大事さを説いておられる。ただ、科学や技術が自然との付き合い方の方法だとすると、自己が科学と技術を支配し・・の表現はちょっと気になります。
また、いたわりを訓練により身に着けるのくだりは、若者への説諭の文脈の中で理解できます。なーんて言ってますけど、そんなことはお見通し・・、私の読みの浅さだと思います。何度も読み直して理解したいと思います。ありがとうございました。

オリオさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★氏の文章、心に響きますね。当時、私も強い啓発をこの文章から受けました。かといって、私にはなんにも出来ませんが…。
★この文章、小学校の6年生向けですが、氏の本意は、子どもを通して、その後ろにいる大人たちに読ませたかったのではないでしょうか…、とさえ思います。

きらりんさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★この教科書出版社の教科書は、多分、きらりんさんのお子さんが通った小学校のある県では採択していないと思います。現実邸な話になって恐縮ですが、どの教科書出版社も多くの地域で採用されることを目指して、良い教材を載せることに腐心しているのです。だから、この教科書の目玉は、きっとこの氏の文章だったのでしょうね。
★私は氏の歴史小説は大好きのなのですが、こんな氏の文章に出会うのは意外でした。こういう考えが常に氏に底流にあるから、あんなに素晴らしい歴史小説を次から次へとつくり出されたのですね。
★今回の絵、少々ミステリアスな雰囲気がないでもありませんが、
悠久の宇宙、その中の地球、さらにその中の塵のような人間、考えると全てがミステリアスです。そこに手をつけようとしている人間の思い上がりを氏は戒めているようで…、そんな感じを今回の絵に。

玉清さん、ありがとうございます。
人として、どう生きていけば良いかと言うことを私たちも学んできているはずですよね?。
人として、一番大切な考え方はなにかという事を・・・。
人として生きていかなくてはならないって言う事を・・・。
もう一度よ~く考えて見ます。。。

半世紀生きてきて・・

先生 ありがとうごさいます(あえてきょうは先生と言わせて頂きます)
私もちょうど半世紀生きてきて 節目の時期で、自分をみつめなおしたりしているところです。
この教科書文、残念ながら記憶にありませんでした。
でも 今、先生からのメッセージとしても読んで
たいへん ありがたく心に受け止めることができました。

小学校の頃に読んだのと 今半世紀生きてから読むのとはきっと受け止め方が違うのでしょうね。

人生50年・・と謡った 信長・・
父も51で 永眠しました。

私は今その人たちと同じ 歳になって こんなにも燃焼の仕方が違うのかなって思うと恥ずかしくも思います。 多くの歴史上の人物は家族や自分たちの国のために 真剣にかけひきをしてきました。YESかNOの2者選択で多くの命もゆだねられてきたわけですね。それも10代で一国の主になった人もいるわけです。そういった
さまざまな歴史上の人物と関わった司馬遼太郎さんが こどもたちのメッセージを どんな思いで かかれたのでしょう。

そしてそのことばをかみくだいて教えてくっださっている 先生にも感謝です。

先生のこの絵・・つい先日 かぐやひめ から送られてきた映像を思い出しました。ガガーリンも びっくり って思いましたが・・。
中央の玉(玉清)は 亡くなられてからもなお 地球を見守っている司馬さんだったり 歴史上の人物、先祖、これから先の玉先生だったり、私だったりするのですね。
きっと、いつまでも きれいな地球であリ続けるように 多くの人が見守り続けるのだろうと 思います。

推敲に推敲を重ねた メッセージにどのくらいの
想いが つまっているかとおもうと ありがたく
司馬遼太郎の文と 先生の絵が
きっと ずっと 焼きついて 行くことと思います。
このメッセーッジを 多くの人に 広まってほしい
と思いました。 

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