訓練

訓練

◆例の某出版社への応募落選三部作のトリです。キノくんとオートバイ以外の人物イラストは、過去別の作品のためにつくったイラストです。使い回しイラストでは落選もむべなるかな、と言うことです。

◆この場面は、キノくんが《相手の気持ちが全て分かり合える国》のような町に迷い込んで、そこに疑心暗鬼の社会の人眼関係を見るといったところを描いたのではなかったかと思います。

◆私も、『あいつはいったい何を考えているのか』と、他人の心の内を覗いて見たいことはよくあることですが、誰もがそう思い、しかも、それが難なく覗けてしまっては、そりゃ疑心暗鬼の世界でしょうね。

◆それはそれとして、よく、友人とのケンカやいさかいで叱られて、長い説教のまとめに『相手の気持ちを分かる人間になろう』といった類の言葉を先生や親から言われたものです。まあ、『相手の痛みを知れ』と、言うことでしょうが、理屈は分かっていても耳を通り過ぎてしまう言葉のようだったように思います。

◆歳を経てから、故司馬遼太郎氏の小文に出会いました。
氏は、人々が助け合って生きていくには‘いたわり’の感情こそ必要と説き、その感情は人がもともと持っている感情ではないので、‘訓練’によって身につけるしかない、と言います。その訓練たるや、例えば、誰かが転んだとき、『あぁ、あの人痛かっただろうな~』と、感じる気持ちを、その都度、積み上げていくことでいいのだ。と、おっしゃるのです。

◆痛みを知る、その言葉そのままの解釈といえばそれまでですが、得心しました。う~ん、訓練か…、なるほど。

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コメント

水無月さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★氏のこの小文に寄せたあるコラムリストも水無月さんと同じようなことを書いていた一節がありました。
『…。そのことの訓練は、昔から親からもいつも言われて来たことなので、そんなに難しいこととは思わないが、でも、昨今の物質文明の社会では、それが極めて困難なのかもしれない。…』 と。
★私の親も、私も、私の子どもも、核家族です。水無月さんのような三世代家族とは、やっぱり違うと感じます。老いる者へのいたわり、協力の意味、喜びや心配事の分かち合い、等々の積み重ねの厚みが違います。

玉さん、こんばんは。
“いたわり”の気持ちは訓練による積み重ねが必要・・・わかるような気がします。
現代っ子には、その訓練の機会が極端に少ないのではないかと思います。
塾に追われる毎日、遊びはバーチャルな世界、人間関係も狭い・・・もっと自然界の動植物に触れたり、年代を超えてお付き合いしたりという、多種多様な体験をさせてあげられる教育が必要なのでは、と思います。
そういう私も、3世代同居するようになってから、本当の“いたわり”の気持ちが、ようやく理解できてきたかな・・・と感じます。
これって、毎日の訓練の成果でしょうか!?

響さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★人の心の内を覗きたいと思うのは、私の場合‘好奇心。あまりほめられた感情ではありません。
★自分の行動にも、心がこもっていたり、こもっていなかったり、そのときの気持ちでバラバラです。氏のおっしゃる普段の積み上げが出来ていないのでしょう。
★そのワンちゃん、おりこうですね。人間(?)が出来てる。

いたわり・・。
我が家に犬がいるんですが、息子が泣くとそばにじーっといます。
他の家族にはしないサービスなんですよね。
そういう感じに”いたわり”の原点がある気がしたりします。
愛情とか、親しみのようににじみ出るものなのでしょうね。

人の心、奥が深すぎて知りたくないです(笑。
自分のだけで精一杯だなー。

オリオさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★オリオさん、田舎町に住む私も自己中です。まず自分が事足りて、それから他人のことを、と言った具合です。自分は人からの恩恵でここまで来たのに…。これからでも‘訓練’間に合うでしょうか。死んでから、あいつはイヤなヤツだったと言われないために、ガンバ!!

足袋ネコさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★ホントにおっしゃる通りですね。でも、私は相手の気持ちを考えないで言ってしまい、後で自己嫌悪に陥ることもしばしばです。後で一所懸命フォローをしても、もう間に合いません。いかん、いかんの日々です。
★私はそのコースは行ったことがないのですが、そのロープウエイの終点から尾根づたいに西穂高に登るコース、案外楽だそうですね。私もジジイになったから、三千メートルはそのコースだな。

枯雑草さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★親のしつけ、親の愛情、親の姿から、子どもの頃からのその積み上げも、氏は‘訓練’とおっしゃるのではないでしょうか。私も枯雑草さんと同じ思いで辞書を引きました。訓練→教え、習熟させる、とあります。氏は日頃からの積み上げを強調しておられるようです。
★最近の新聞三面を賑わす、自覚のない大人や親は問題外ですね。

artkazukoさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★いろんな経験で、そこで心の機微をしる。氏はそれも含めて‘訓練’と言ってるのではないでしょうか。
★たしかに、私たちは他人の痛みに鈍感ですね。自分が事足りているときは特に鈍感です。‘いたわり’と‘同情’が一緒くたになったりして…。気をつけねば。

一概には言えませんが・・・、都会では、自己中心的な人が沢山増えているように思います。
玉さんの言われる通り・・・、「人を思いやる心」。
ついつい忙しいとか、時間がないとか、金がないとか、その他いろんな理由で「相手を思いやる心」がなくなり、自己中心的な人間になってしまうんでしょうね・・・。
「おもいやり」・これが人として一番大事な部分ですけどね。
・・・私も最近になって、つくづくそう思います。(遅い・笑)

私はどちらかというと、相手の気持ちを考えすぎて何も言えない方です。
でも言わなければならない事ってありますよね。
その壁を乗り越えるのに結構時間がかかってしまう自分がいます。
言葉を選んで話した時、「実はそんな風にはちっとも思っていなかった」という肩すかしもあったり、言えてよかったと安堵したり。
人の心は同じようで様々。でも、違うように思えても結局は一緒という事が多々ありますが 
「人の気持ちはわからない」 が一番いいバランスだと思います。
↓ 私もすぐ乗り継いで上に行ってしまう方です。
秋の新穂高は行ってはいませんが、上高地は体験しました。
本当に1日で紅葉の色が違うようです。
毎年「今年の紅葉はだめだ」と聞きますが
どうも見るタイミングの問題みたいですね。
今年は近場で紅葉を満喫いたします。

こんばんは。
人が助け合って生きてゆくための「いたわり」の感情は、親の
愛から教えられるものだと思っていました。司馬遼太郎、とても
好きですけど・・、いたわりを訓練によって見につけるという、
表現には、ちょっと独特な言い回しを感じます。どうしてでしょうか。

玉さん、こんばんは。

とかく、人は自分の痛みには敏感でも
他者の痛みには鈍感ですからねぇ・・・苦笑。
「明日はわが身・・
お互い様・・」
もはや死語になりつつあるのでしょうか?
これは訓練で培われるというより、人生でどのような経験をしてきて、そのとき他者からの愛情を受けることができたかということのような気もしますが・・・・????。

nanbuyaさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★あ、そうですか。その文章まだ読んでいません。書店で早速さがしてみます。
★司馬遼太郎、大好きです。ちょっとえらそうな言い方をすれば、史実に対して、熟考に熟考を加え、さらに素晴らしい私感を盛りつけたようなところが…。

リガサキさん、こんばんは。

★お元気ですか、課題や就活や大変なときに、のぞいていただいてありがとうございます。
★普段の‘訓練’、或いは‘しつけ’をしっかりしていると、そのときの行動に心がこもる、と言うことでしょうね。親切行動が、わざとらしたったり、付け刃みたいなものにならなくて。これから家庭を持つリガサキさんたち、子どもの‘しつけ’頑張ってください。私たちはもう遅いから。

司馬遼太郎お好きですか?司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの「白河会津の道」の冒頭部分にわが曽祖父が登場します。
ブログとは関係ないコメントになってしまいました。

お久しぶりです。

相手の気持ちを思いやるって、本当に難しいことですよね。気が付くと自己中な考え方になっていそうです。訓練でいたわりの気持ちを身につける。すごく勉強になりました。現代はそういう気持ちが足りてない人が多いもかもしれませんね…。

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