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友

◆これは、私が過ごした町の小学校と中学校です。もうとっくに鉄筋校舎になって、この木造の素朴さは微塵も残ってはいません。でも、どこへも抜けることの出来ない、どん詰まりの地理にある町ですから、中学校の向こうに見える部落も、山も、開発されることなく、今でもこの写真のままです。

◆飛騨高山での同窓会で、小学校5年生で転校していったT君との再会は40数年ぶりでした。物静かで、内に秘めた何かがあるといった彼の雰囲気は当時のままでした。そのときは昔話というよりも、お互いのその後の生活変遷についての話が多かったように思います。淡々と話す口ぶりに、当時の彼を重ね合わせながら聞き入ったものです。再会を約してメールADの交換をして別れました。

◆そして間もなく、この写真が彼からメールで送られてきました。写真の懐かしさもさることながら、小学校の5年生で転校したので、この町には10年ぐらいしか居住していない彼が、この写真を持っていたことに驚きました。もちろん私は持っていないし、当時の仲間との数少ない写真のほとんどが、もう散逸消失してありません。

◆さらに、この写真に添えられた文章を読んで、彼がこの町で過ごした幼少期の10年間を、いかに大切な思い出として留めているかが分かりました。サンショウウオの谷、ムシロ敷きの映画館、いつも登った高天原への山道、あの時の街並みの様子、地名、場所名、等々…、ずっと実家をこの町に置いていた私でさえ、記憶の端から消えようとしている数々が明確に綴られていました。彼の文章を元にして当時のこの町の微々細々の絵地図が描けると思うほどの彼の記憶でした。

◆友人というのはさまざまです。40数年のときを経て、いきなり会って、すぐ別れて、その後はメールでしか交流出来なくても、その40数年の空白が一挙に埋められる友人もいるのです。

◆彼から、先日、ある「写真誌」が送られてきました。設計士の彼が中心になって手がけた全国各地の建築物の写真集です。誰もが知っている有名ビルも、幾つかその写真集の中にありました。同窓会のときは、彼、そんなことは一言もは話さなかったのに…。それも彼らしいと思いました。

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コメント

Bokkasaさん,こんにちは。

★ありがとうございます。
★特に飛騨や東濃の山間の学校は廃校と統合が続きましたね。生徒数に関係なく、その地域に学校があって地域文化活動の拠点にするのが学校存在の意味なのに…。教育にゼニを出し惜しむ国に未来はありません。

母校

なつかしくなる写真ですね。
すぐ裏が、山で・・・。
少し登って撮ると、全校が写せる。航空写真などいらない。私が通った学校によく似ています。
でも、二つ違うとことがあります。
* 小中学校ということです。9年間、同じ学校でした。
* 私が、こちらに来てから統合され、母校がなくなってしまいました。
寂しい限りです。

artkazukoさん、こんばんは。

★いつもお訪ねいただき、ありがとうございます。
★〈友人とは何年も会わなくても、つい昨日別れたばかりという気がしたり・・。)、本当にその通りですね。私は過ぎたことは全て忘れてしまう薄情者と、自分のことを思っていたのですが、いや、そうでもないな、と思っているところです。
ほんとの‘友人’というのは、いつもどこかで意識しているものかもしれませんね。
★木造良かったですね~、卒業のとき柱のナイフで記念を彫り込んだり、秘密のしるしをつけたり…。

nanakoさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★いつかは老朽化して新しいものになっていくのは仕方ないにしても、なぜ、鉄筋に建て替えられるのか…が、分かりません。ケガをしなかったのは、木造のお陰とおっしゃるように、多少のコストはかかっても、学校は子どもたちに最も優しくあらねばならない建物のはずなのに。

40数年ぶりの再会ですか・・・。
友人とは何年も会わなくても、つい昨日別れたばかりという気がしたり・・。
きっと魂と魂は時と場所を超えて繋がっているのでしょうね。

小学校そのものが廃校になっていく現在・・
さてはて・・・。

私は明治時代に建てられた小学校に通いました。
窓はガラスでしたが、廊下と教室の境の上のほうは障子でした。
今は体育館と言いますが、そのころは講堂と言っていました。
もちろん、今は鉄筋の建物に変わっています。
転んでばかりいた私が大怪我をしなかったのは、
木造校舎のおかげだと思っています。

枯雑草さん、こんにちは。

★長い話を読んでいただいてありがとうございます。
★私たちの世代はみんなこれによく似た経験をしているのではないでしょうか、転校や卒業で別れた友人の情報を知るよすががなかった時代ですし、自分のことに精一杯で他を知る余裕もなかったし、。全て、風の便りってやつでしたね。いまになって久しぶりに会うと、なんか時空を越えて一挙に、あの時に戻ってしまいそうになるのです。

saraさん、こんにちは。

★長い話を読んでいただいてありがとうございます。
★友人というのは、何も心を打ち明けあうようないつも近くにいるヤツとは限りませんね。滅多に会わなくても、フッと何かのときに強い啓発を受けて、十分自身を考える、そんな友人もいますね。
★私にとって飛騨高山で開催した同窓会は、saraさんのおっしゃる‘駅’のようでした。

いいお話ですね。立派な木造校舎、中学校には体育館もありますね。私の通った小学校、鉄筋でしたが、入学当初は、内装の木が全部焼けて無く、コンクリートがむき出しでした。窓ガラスも殆ど無く板でした。今はもう校舎自体が無くなりましたけど・・。でも、同級の友とは、珠に会います。いじめっこが、今や大きな会社の会長さん。穏やかな語りでね・・。

素敵なお話しですね。
木造の校舎・・やはりいいですよね。私が小学4年生の頃に通っていた小学校が100周年を迎え、教室だけが新校舎になりました。子供の頃は新しい校舎が嬉しかったのですが、大人になって思い出すのはやはり木造の旧校舎なのです。
学生時代の友人は、十数年ぶりでも、会ったとたんに空白の時間を忘れてしまうかのように、心の底から話しができますよね。
きっと、校舎も友達も・・・大切な心の宝物なのですよね。

オリオさん、こんばんは。

★長い話を読んでいただいてありがとうございます。
★昔、仲の良かった友人ってのは、いつもどこかで意識していたのかもしれません。だから、40数年ぶりでも一気にその空白が埋まるのでしょうね。

いいお話ですね。
しみじみと読ませてもらいました。
40年の時が同級生と会って、一気に埋まるんですよね・・・解る気がします・・・。

nanbuyaさん、こんにちは。

★ありがとうございます。
★当時、この小学校の方は古かったので立て替えは当然と思いましたが、中学校の方はそんなに古くなく良質の木曾ヒノキの柱をふんだんに使った自慢の校舎でした。何故壊すのか地元でも疑問でした。今だったら、壊すときに夜陰に乗じてヒノキの柱の一本や二本、かっぱらってくれば、いい彫刻の素材になったのに…、と思うのです。

やはり同じだなとしみじみ思いました。
木造の校舎そのものが、見る事が有りません。私の故郷では100年以上歴史のある学校そのものが無くなり、別の地域の学校と統合されるようです。もう心の中にしかあの母校は存在しません。

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