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自立

自立

◆いつだったかTVの「はじめてのおつかい」と観ていて、さまざま思いを馳せたことを…。

◆「自立」、辞書を引くと「他の援助や支援を受けないで、独立すること」とあります。まあ、辞書的にはそうかも知れませんが、実社会の中ではこういうことは皆無の近いと思います。自分の行動に対し有形無形に他との関わりがないということはあり得ないと思います。

◆でも、私たちは日常の中で「自立」という言葉をよく耳にします。私はこんな風に受け止めています。《自分にもこれだけのことが出来るという自信と可能性への期待》、そう言うことを総じて「自立」或いは「自立心」と。

◆だから、子どもから大人への成長に追随して「自立心」が培われていくというものでもないような気がします。いわば、人の一生を通して、その時々に、自立心が燃え上がったり消えたり、自立心が芽生えたり萎えたり、の繰り返しなのでしょう。

◆さて、人が最初に経験する自立は離乳でしょうか、彼にその自覚らしきものがあったのかどうかは分かりませんが、母親への依存から少し離れる小さな小さな「自立」の始まりでしょう。数年後のあの「はじめてもおつかい」も自信を育む小さな「自立」なのでしょう。

◆問題はその後です。世間が広がり、自意識が膨らみ、先述の《自立心が燃え上がったり消えたり、自立心が芽生えたり萎えたり、の繰り返し》が始まります。自分の可能性への期待と挫折、慢心や驕りと落ち込み、楽観と悲観、それらを交互に経験するのが人生だと思うのです。そして、その過程で、生き甲斐も生成されて行くのだろうと。

◆私は、自分の身の丈を理解しているかのごとく、さも謙虚に自分を語る人を信用しません。誰でも、内心では「もっと!」「今より!」思っている筈です。自分の身の丈を本当に理解するのは人生の終焉が近づいたときでしょう。『精一杯やったが、ここまでだった』と。
それまでは頑張らねば、私の場合は展覧会の作品づくりに!

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コメント

枯雑草さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★枯雑草さんの心の内、多分、私と同じだと思いながら拝読しているところです。
★ブログを通しての枯雑草さんを知ることしかできませんが、あの写真の中に枯雑草さんの迫力というか情念というか、そんなものをいつも感じています。ご自分の‘生’を追求してお見えのような…。
勝手な感想お許しください。

また、難しい課題ですね。自分の可能性への楽観と悲観、
いくらかの成功と大きな挫折、そして妥協。その繰り返し・・、
そうだと、そうだったと実感します。おそらく死の直前まできっと変ることはないでしょう。でも、玉さんにカッコ付けるなと怒られそうですが、この歳になりますとね、まだまだという気持ちとともに、こういった気持ち・・、そう煩悩を何ものかで和らげたいと願う気持ちも大きいのです。あっ、年寄りのたわごとです。お許しください。

オリオさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★ほんとですね。基準にするものはありませんね。強いて言えば基準は自分自身でしょうね。オリオさんが、いつも何かに取り組んでいらっしゃるように、『俺は、何か可能性を追求いるか?』という生活が大人の自立心だと思います。(カッコイイことを書きやがって!)

この絵の年代での自立心なら解りやすくていいのですが、大人になってからの自立とは・・・なにを基準に言うのかが、本当に難しいですね!
ふ~~~む。(~難しい。)(・・・一概には言えませんね、笑)

足袋ネコさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★ホントですね。私もいつも、やりかけ感を持ったまま期限が来てしまって搬入です。一度でいいから『ウン、今度はうまくできた』という気持ちを持って搬入したいものです。
★今年は大きなヤツはもう終わりました。私たちの会は先日まで六本木にできた国立新美術館での会期が終わりました。今度は名古屋に移動するので、飾り付け作業に行ってきます。

nanbuyasさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★nanbuyasさん、挫折を乗り越えて来られたのですか。いつも素敵な写真を撮って、生き方に裏打ちされたコメントを添えられて、そんな昔があったとは意外ですが…。
★『まだ自分はなにか出来るかもしれない』という希望と欲望を持って、私は生きています。

タニコロ助さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★タニコロ助さんのように、しっかりとした目的をもって、それに向かって邁進している人が大好きです。ブログ拝見したところによりますと、目標もかなり具体化の方向へ向かっているような…。頑張ってください。
★美術館よく行かれるのですか?いいですね、必ず、眼と心の肥やしになりますものね。

響さん、こんばんは。

★ありがとうございます。
  ☆『自律』が伴って『自立』となるということですね。
  ☆いかに、自己責任・対処能力を見極めるか・・
  ☆自分に根付いてしまっている依存心に気づかずに『分相応』を
    語られると困ってしまいますね
やっぱり、こういう仕事の現場でしっかりと携わってお見えの響さんの言葉ですね。
★私も、いまはえらそうに、言いたい放題、やりたい放題ですが、いつか手足が動かなくなると依存心丸出しのくせに、口だけ達者なイヤなジジイになるのではないか、と。そのときは専門家の響さんヨロシク!

そろそろ展覧会の追い込みですか?
私はまだまだ時間があるので・・・・と言いながらいつもギリギリで慌てております。
アイデアがまとまるまでの長い事長い事。
「これでいいだろう」とオシマイにしても,次の日に見ると
「あぁ~ やっぱりこんなのではダメだ」 のくりかえし。
ギリギリになってきて・・・周りの人間に「これでやってみてもいいかな?」と聞く始末。
自分でなかなかGOサインが出せず・・・・
私はいつまでたっても自立出来ません。

挫折、挫折の人生でしたが、気が付けば、まあまあの状態に、家を建て、子を育て、最近は孫まで、何と人並みの生活をしている自分に気づきました。いつの間にか自立していたんですね。

こんばんは☆

こんばんは☆
タニコロ助と言います☆
以前、玉さんからコメントを頂いていまして、そこからこちらへお邪魔しました☆
こちらへきて、まず思ったのが、凄く圧倒される画ばかりでとても感動しました☆私はよく美術館へ行くのですが、そこで見る画は全て鳥肌が立ちます。
きっと気持ちがある画ばかりだからだと思います。
まさにここはそれなんです☆
これからも是非見にこさせてください!

コメント書いて下さって、ありがとうございます☆☆☆

これからも頑張ります☆☆

仕事上、ちょくちょく『自立』を支援することがあります。
今までになかった習慣の習得というものと、一時的に何かの理由でできなかった行動を再スタートするものとがあります。
広範囲のリハビリテーションのことです。^^
つくづく思うのは、『自律』が伴って『自立』となるということですね。
いかに、自己責任・対処能力を見極めるか・・というところが大事でしょうか。
『分相応』は私はアリだと思っている人で、まず安全とおもわれるエリアで慣らした後に、セカンドステップもありなのかな・・・と思います。
けれども、自分に根付いてしまっている依存心に気づかずに『分相応』を語られると困ってしまいますね。
いっぱい冒険をして、チャレンジ精神のある人はこのような人にはならないので、玉さんは大丈夫そうですが。^^

リガサキさん、おはようございます。

★ありがとうございます。
★お久しぶりですね。
〈子供って、学生って、守られてるんだな~としみじみ思いました〉という実感、よく分かります。学生時代の最後に、誰もがそういう言葉を口にしますね。でも、社会人になっても、仲間に、同僚に、そして親に、しっかりと守られていますよ。安心して社会人への第一歩を!

お久しぶりです。

自立…まさに今、私は自立しないといけない時期に来てしまいました。就職しなきゃ、社会人にならなきゃ…子供って、学生って、守られてるんだな~としみじみ思いました。あぁ…頑張って自立します!!

artkazukoさん、こんばんは。

★ありがとうございます。
★〈私は分相応という言葉が嫌いです。
 なんか自らの可能性を放棄しているようで。
 あるいは、人の可能性の芽を摘み取っているようで・・。)
同感です。自分にとってどこが分相応なのかまだまだ分かりません。『今のところ、これが精一杯』というのなら、私も実感することがよくありますが…。

私は分相応という言葉が嫌いです。
なんか自らの可能性を放棄しているようで。
あるいは、人の可能性の芽を摘み取っているようで・・。

自立という言葉もあまり好きではありません。
なんかしっくりいかないのです。引っかかるものがあります。
どちらかというと独立独歩の方が好きです。
もちろん、他者に対する謙虚さ、
自分の今の時点での能力に対する謙虚さは必要だと思います。
しかし、自らの可能性に対しては大きな目標をもっていいと思います。

最も、人それぞれ、いろいろな考えがあっていいのですけどね。(笑い)

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