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生きている

生きている

★少し治まったようだが、この秋は彼方此方でクマ被害のニュースが紙面、テレビをにぎわせた。エサを探して街を彷徨っているツキノワグマの母子がいて、通りかかったクルマに前に母クマが飛び出てクルマを阻止し子どもを守ろうとする映像は痛ましくもあったが、ドライバーにとっては生きた心地もないほど恐ろしかったと思う。
中には最も獰猛と言われているヒグマが街を闊歩している北の町の映像もあり、度肝を抜かれた。町に現れた多くクマの殆どは猟師さんたちに駆除された。哀れな気もするが、古来から人間の恐ろしさを知らしめることも、野生動物と人が棲み分ける大きな要素だったと聞く。
クマくんたち、少々、空腹だろうが我慢して冬眠に入ってほしいものだ。

★さて、先々週の事だが、私の町の北に連なる低い里山風の山並みを一日中歩いた。
今夏の猛暑の影響に加えて、ナラ科の樹に寄生する何とか言う害虫が大量発生したとかで、クマの貴重なエサになるドングリが激減したらしいが、ここの山には太った丸々としたドングリがいっぱい転がっていた。幸いにも、ここの山並の大部分は全体が里地から立ち上がったような地形で、余所の山からクマや鹿や猿が入ってくることはないので安心だが、そんな所にだけドングリがごろごろ転がっているというのも野生獣たちには皮肉なことだ。

★今夏の猛暑は小さな虫たちにとっても受難の夏だったらしい。水溜まりや湿気の場所が極端に少ないために、産卵箇所がなかったらしい。蚊の発生が例年よりも少なかったのもそのせいだと、テレビで聞いた。そのためかどうかは知らないが、今年の尾根道の上空には道の両側を渡すようなでっかい蜘蛛の巣がやたら多かった。きっと至る所に網を張り巡らせて、空を飛ぶ少ない虫を捕らえようと必死なのだろう。

★下り道、踏みつぶしそうになったが、落ち葉の色に擬態した♂♀のカマキリが重なっていた。猛暑を乗り切って、やっと子孫を残す元気を取り戻したのか…。

みんな必死に夏を乗り切ったということだろう。

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「歌舞伎」を観てきた

「歌舞伎」を観てきた

★きのう、家内と名古屋の「御園座」に歌舞伎を見に行った。
過去、歌舞伎を見ても、能を鑑賞しても、途中で睡魔が襲い熟睡してしまって、一緒に行った仲間に笑われた。
どうも私は日本伝統文化の良き理解者ではないのでは…、と思っていたのだが、今回の歌舞伎は、なかなかどうして目をつむる暇もないほど面白かった。

★菊五郎主演の4幕八場の4時間にわたる長い舞台だったが、最近の近代歌舞伎というかスーパー歌舞伎というか、トンでもない舞台の見せ方だ。観客席上の空中を舞う宙乗りがあったり、大量の水が流れ落ちる滝を舞台に造ったり、また洒脱なギャグ台詞を言って観客を大笑いさせたり、寝ている暇はなかった。

★「伝統文化」一般に言えることだが、古のままに保存するのも重要なことかもしれないが、伝統文化の威厳や様式を決して壊すことなく、その時々の新しいアイディアを付加していこうとする歌舞伎界の努力をまざまざと拝見した気がした。若い年齢層の観客が随分多いのもそのせいだろう。この日も、遊学旅行の高校生団体が来ていて、茶髪のヤツやベルトを下にずらしたヤツもいっぱい居たが、全員が息をのんで熱心に観賞している姿がとても好ましかった。

★もうひとつ、これも歌舞伎独特の様式だろうが、表情、動き、セリフの全てがスローモーションのようでゆっくり流れているのが良い。映画やドラマや劇場舞台では、『アッ、いまあの人何て言ったの?』『えーと、この人とさっきの人の関係は?』などと頭を巻き戻してみたいと思うけど、ドンドン進行していってしまう。
その点、歌舞伎は頭の中の回転が舞台の進行にしっかりと付いて行ける。途中で頭がフィードバックしても、すぐに追いつける。

こういう感想を持つのも年のせいかな…。

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大正ロマン調

昭和4年発刊、当時3円50銭の図案集
111katto.jpg

★ここのところ大正ロマン風のイラストに少々凝りはじめているのですが、実は理由があるのです。

★少し前、名古屋の古本屋に何気なく入って別に買う予定もなく本棚を見ていたら、トンでもないものを見つけました。横文字で「カット図案集」というタイトルが右から左に書かれていて、奥付をみるとナンと「昭和四年拾月拾五日印刷」とあります。更に「定価 参圓五拾銭」とあります。香蘭社書店という出版社で約80年前に発行されたカット集です。早速購入しました。、

★ケースはボロボロながら、本体はB5サイズで分厚い表紙のバリバリの上製本、モノクロ印刷ながら78ページの中に素晴らしいイラストがギッシリ詰まっていました。
図案種はまだ当時は大正時代の風潮が色濃く残っていたらしく、いわゆる大正ロマン調といわれるイラストが各ページを埋め尽くしているのです。

★この手のデカタンス的なイラストは、19世紀末から20世紀初頭に台頭したアールヌーボーの代表者グラフィックデザイナーのミュシャの作風が原点で、当時の日本でも大流行したと聞きますがが、私は大好きです。

★そんなわけで、昭和4年発刊、当時3円50銭のイラスト集を参考にしながら、それっぽいイラストづくりを最近しているのです。

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記憶

記憶

★大正浪漫風のイラストを描いてみました。

★きょうの話はこのイラストとはあまり関係ありません。しいて言えば最後のリンゴつながりぐらいです…。

★中学校か高校一年生ぐらいのときの遠い昔のことですが、「飛騨高山の少し南に位置する久々野町から美女峠を越えて信州に通じる街道がある」という情報を聞きました。別に何と言うことはない情報ですが、当時の私たちには「飛騨から美女峠を越えて信州へ」という言葉の一つ一つに何となくロマンチックな響きを感じたのです。

★男女7~8人だったと思いますが、自転車でその美女峠を目指しました。当時のことですから、舗装道路ではなく石ころのガタガタ道で、自転車も真ん中に三角のごっついフレームがついた重い自転車でした。ヘトヘトになって自転車を漕いだ思い出はあるのですが、さて、その他の記憶は全く無いのです。

★大人になってから地図を見ると、私たちの町はずっとずっと南にある町なので、そんな美女峠まで自転車で行ったなどとは、とても考えられません。途中で引き返したのか、勝手にここが美女峠と決めつけて帰ってきたのかさえ記憶にありません。

★でも「美女峠」という名前だけはずっと気にかかっていました。
ところがここ10年程前から、「飛騨リンゴ」なるブランドがスーパーなどの店頭に並びはじめて、その産地が美女峠周辺らしいことが分かりました。

★そこで遠い昔の自転車行の消え去った記憶の中に、見たこともないリンゴ畑の風景が勝手に入ってきて、私の美女峠周辺の光景を記憶のなかにつくり上げてしまったのです。
「美女峠を越えると一気に高原の視界が広がり、リンゴの木がびっしりと並んでいる。高原の春は白い花に埋まり、秋は赤いリンゴを収穫する人々が忙しそうに働いている」。と、まあ、こんな具合です。
消えた記憶をイメージが補完して、しばらく時を経ると、あたかもそれがホントの記憶のように思いこんでしまうと言う現象はよくあると読んだことがありますが、まさに私の美女峠光景はそれなのでしょう。
総じて記憶ってのはそんないい加減なものなのかもしれません。

★が、ネットでその「美女峠」を調べると、数ある有名峠に比して、この峠はただの切り通しになっているだけで、つい通り過ごしてしまうような地味で目立たない通過点のような峠とあり、ガッカリしたのです。
う~ん、それならやっぱり、いい加減な記憶の中にある私の美女峠光景のままでいいか…。

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