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睨まれる

睨まれる
★以前、私たちがつくっていた木彫サークル「木屑会」で、凧を作って遊んだときのものだ。それぞれに江戸凧らしい絵を描いた。私は武者と龍の二点をつくった。しばらく棚の上に置いてあった。邪魔になって捨てようと思ったが、せっかく作ったものを捨てるのも勿体ないと思い、アトリエの天井にヒートンを付けて設置した。依頼10年以上も天井に張り付いたままだ。ちょうど私の机の上にあるので、仕事がイヤになって、上を向いて大あくびをすると、この武者と龍の睨んだ眼と合ってしまい、あわてて仕事に戻る。

★睨む、睨まれる、人との関係でもそう感じるときがある。「自分は睨まれているのではないか…」と。
ずっと昔のことだが、私も職場で上司に睨まれているのではないかと思ったことがある。もっとも、当時の私は、あまり周囲のことを考えずにやりたい放題の時期だったので、睨まれても仕方がなかったのだ。しかし、職場を転勤して、異動先の職場で一ヶ月ほど過ぎてから、その上司が訪ねて来てくれた。私の顔を見るなり、『おお、元気そうじゃないか!』と、笑顔で喜んでくれた。私は、若干戸惑いながらも内心「オレ、この人に睨まれているわけではなかったかも…」と、勝手に都合のいい解釈をした。

★そりゃ人と人との関係だから、睨まれたり、嫌われたり、することもあるだろうが、えてして「睨まれた感」「嫌われた感」というのは、なんか自分がやってしまった勝手な行動や言動に後ろめたいことがあったりしたときに感じることも結構あると、私の場合を振り返って思う。
が、いまだに私は反省もなくその繰り返しで、寛大な彼や彼女に感謝するのみだ。

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雪…

雪…

★Merry Xmas!!〈チョッと早いか?…〉

★前回にも書いたが、私の町のイルミネーションは、彼方此方で見られるような極彩色の豪華さは微塵もない。白色LED球の入ったロープ樹木に巻き付けただけのものだ。しかし、白色の光が冬の夜を素朴に飾る。おりしも、そこへ今回の寒気で雪が降った。ホワイトクリスマスを迎えられるのは何年ぶりだろうか。私がこの町に住んでからは、その記憶がない。雪と白色の輝き、厳寒の中で実に美しい。イヴを迎えるシチュエーションは揃った。

★だが、この寒気は一方で富士山からの悲報ももたらした。山岳気象の専門家によれば、富士山のような高い独立峰では、冬の強風が山に当たると、風は二つに分かれて山を巻くように吹く、それが双方から激突したところに、何処から吹いて来たとも分からない得体の知れない吹雪の突風が吹き荒れるという。一行がその突風に遭遇したかどうかは知る由もないが、冬山を知り尽くしたベテラン一行でさえ、抗うことの出来ない自然の猛威がそこに在ったということだ。
片山右京さんの悲しみの会見が一ファンとして痛々しく見ていられなかった。

★雪は街に降り積もり、イルミネーションとの見事なマッチングを見せ、家々からもれる明かりを一層温かく見せ、冬の街を美しく演出する。しかし、ときとして白魔と化し、無情な脅威をふるう。
自然に比して、人間の存在がいかに小さいかを富士山の悲報から思った。

★私たちは大自然の中の小さな小さな点のようなスペースを間借りしているようなものだ、と肝に銘じながら冬を満喫し、楽しいイヴを、明るい新年を迎えたいものだ、と今さらながら思うのである。

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光
★ずっと以前にも書いたが、私の町に「冬ソナ通り」なるものがあって、その両サイドがイルミネーションで光っている。イルミネーションといっても、LED豆電球のコードをイチョウの樹やメタセコイヤの枝に巻き付けただけのものだ。
この冬ソナ通り、数年前の韓流ブーム華やかな頃、全国紙でも紹介され、観光バスが立ち寄る程の賑わいを見せたこともある。もうあの時の人気も消え失せたかと思いきや、いまだに、ヨン様に憧れを抱いていると見受けられるオバサマ方の数人が、ゆっくり歩きながらデジカメでパチパチとやっている。

★まあ、冬ソナやヨン様のことはどうでもいいのだが、イルミネーションの光は美しい。夜が更けて、周囲の家明かりや門灯が消えて、人通りが少なくなり、辺りの漆黒が深まるほど、光はきれいになる。

★少々話が飛ぶが、子どもの頃、洋画が好きだった私は、田舎町の映画館によく行った。夜の部が7時頃から始まり、終わるのが9時頃だったと思う。見終わって映画館を出て家並みを抜けると、街灯もない200メートルばかりの坂道があり、左側は山の林がせまり、右側の崖下には飛騨川が流れていた。樹々が揺れる風音と下から聞こえる川の音が闇夜の恐怖を駆り立てた。懐中電灯を片手に、この坂道を走るようにして家路を急いだ。坂道を登り切ったところに小さな部落があって、いつも、この家々の明かりを見てやっとホッとしたことを思い出す。

★光は闇との相対関係にあって、闇が深ければ深いほど、それを見たときの安堵感も大きいものだ。
生活の中でも、創作活動の中でも、どん底に落ち込んでいる中で立ち直りのきっかけを見つけたときの事を「一条の光がさす」などという言い方をするのも、そういうことだろう。
どんな闇夜でも、歩いていれば必ず光りが見つかるものだ、と信じて歩きたい。

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尾根道

尾根道
★山に行く人はご存じですが、街から遠くの山々を眺めると、空との境の稜線がずっと続いています。その稜線につけられている道を尾根道と言います。即ち、谷と谷が競り上がった山の頂上部分につけられた道のことです。尾根道は峰と峰をつなぎ何処まででも続きます。3000メートル級の高い山などを縦走するときは、この尾根が尖っているために、人がすれ違うのも困難で危険な尾根道が続きます。そういう尾根のことを痩せ尾根と言います。
でも、今日は、もっともっと低い山の長閑で気持ちいい尾根道の話です。

★私の町は、伊勢湾から続く濃尾平野の北のドン突きに位置します。ですから、町の南方には全く山が無く、町から北の方に向かって徐々に山並みが始まるのです。その山並みの果てが御嶽山や白山や北アルプスってことになります。
山並みが始まる私の町の北側には300メートル程の低い山が東西に連なっています。私の町のボスが、この山々のことを◇◇◇という町名を頭につけて◇◇◇アルプスと勝手に命名しました。当初は、『オイ、いくらナンでも、海抜300メートル程度の山並みを◇◇◇アルプスとは、ちょっとやりすぎだろう』と大笑いをしたものです。が、しかし、最近になって、朝晴れているとコンビニで握り飯とリポビタンを買って、この◇◇◇アルプスなる山によく入るのですが、なかなかどうして素晴らしい山です。

★場所によっては岩山の頂上付近にちょっとした鎖場があったり、峰から峰へのアップダウンが適当にあったりして、あなどれない山です。その最もステキなところは山頂から山頂へと蛇行しながら続く尾根道です。北を見れば遥か遠くに北アルプスが、南を見れば霞む名古屋の街の向こうに海が光っています。ときどき風に乗って多分麓の鉄工場の音のようなものも微かに聞こえてきて、一人で歩いている自分を安心させてくれます。高い山の危険な痩せ尾根と違って、丸い山の背中につけられた余裕の尾根道は一日中落ち葉を踏んで歩いていても良いし、イヤになったら尾根の何処からでも麓の部落に下ればいいのです。
まだ、ほんの一部分しか歩いていませんが、休日には結構多くの人と尾根道で行き交います。その多くは、山のない名古屋圏からはるばる訪れているハイカーさんたちだったことに驚きました。
この海抜300メートルの山並み、ボスが命名したとおり、まさに庶民の◇◇◇アルプス連山なのです。

★タイトロープのような痩せ尾根を行くスリルの人生もいいけど、近くにある生活を見ながら余裕の尾根道をゆっくり歩く人生にもしたいものだ、と思いながら歩いたのです。

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