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心コロコロ

心コロコロ
★私の尊敬する関谷義道先生がお亡くなりになってから、もう2年になります。きょうは以前、先生からいただいた書をご覧いただこうと思います。私の宝物です。
先生は、かって10年間仕えた上司でもありますが、著名な書の大家でもありました。私は、先生のことは高校のときから存じ上げていました。当時、先生が「日展脱退声明」という声明文を出された記事を新聞で見たことがあったからです。創作者なら誰もが憧れている「日展」を、なぜ脱退されるのだろう、と当時はかなり話題を呼んだ記事でした。
当時の「日展」の状況がどのようであったかは私には知るよしもありませんが、ずっと後になって聞いたことによると、当時の日展の書部門は漢詩しか認めず、仮名交じりの作品は出品規定違反(現在はもうそんな規定はないそうです)といった、旧態依然とした出品規定や公募展の閉ざされた体質に見切りをつけて、脱退にいたったと聞きました。いかにも、気骨にとんだステキな方が、我が県にお見えになると、当時、痛快に思ったものです。
それ以来、先生は、どの団体にも所属されず、一匹狼の書家として活躍されました。墨象画のジャンルを切り開かれたり、中高の書の教科書の検定委員になられたり、NHKのドラマの題字を手がけられたり、まさに書家として八面六臂の活躍をされたのです。

★何年かを経て、その憧れの先生と、ご一緒できる職場に勤めることが出来るなんて、何という幸せの偶然かと思いました。
この書は、その職場で先生からいただいた何点かのうちの一点です。
この書を、いただいたときの先生の一言が、何ともオシャレで、グッとくる一言でした。

『‘心’ってのは、コロコロ変わるから、こころって言うんだ。だけど、主義、主張、信念を持っていないヤツは変わりようもないけどね。また、心に皺(しわ)があるのもいただけないな、顔の皺は、生きてきた歴史の年輪だけど、気持ちの中には、多くの暗い影をつくる皺は無いほうがいい。』
ですって!

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終戦の日

終戦の日
★昨年も、この時期に書きましたが、今年も種からアスターを育てました。アスターの葉や花をこよなく好む害虫ハムシとの戦いの数ヶ月でしたが、明日の飛騨への墓参に、母の大好きだったアスターをいっぱい供えることが出来ます。

★今年もまた、終戦の日を迎えました。戦争体験者が年々に亡くなられ、その悲惨さを伝える語り部が少なくなることを懸念する記事が終戦の日が近づくたびに多くなり、それが過ぎると、もうその話題も紙面から消えてしまう、その繰り返しが日本の現状です。
戦争体験者が語り継ぐ戦争の悲惨さから、平和の尊さを肝に銘じなければならないことは、もちろん大切ですが、もっと重要なことは、常に、我が国が体験した戦争の現実を子どもの時代からキチッと知識として把握し、その不条理と平和の尊さを学び続けることです。その意味で、現在の学校教育には、この部分の歴史教育が著しく欠けていると感じます。特に、戦中、戦後史などは、私たちに最も近くて、学ぶことの多い過去なのに、私感ですが、軽んじられているように思えてなりません。

★私の家内の養父は戦争末期、レイテ島の特攻隊で果てました。家内も写真でしか知りませんが、家内の養母と二十代の初めに結婚した直後にレイテ島の激戦地に向かったそうです。
私の一家は大陸からの引き揚げ者ですが、父は京城で軍部に近いところで吏員をしていたものですから、厳しい追及を受け、一家より数ヶ月遅れて命からがら引き揚げて来ました。20才上の長女は一家が京城から飛騨の町に引き揚げて間もなく、貧困と最悪の食料事情の中で肺結核を患い亡くなりました。その数年後、特効薬のストレプトマイシンが我が国にも出回り一気に結核は遠い病気になりました。母の悔しがりようは、大変なものだったと兄姉たちは、いまでも語っています。
私は、戦争最中の記憶は全くありませんが、戦後の貧困と飢えに苦しんだ家族の苦労の姿は微かながら記憶にあります。
戦争は、それぞれの家庭に、それぞれの形で悲しみの記録を残しています。戦争が残した傷跡の語り部は、なにも際立った体験ばかりを追い求めなくても、戦中戦後を跨いだ人々や戦後を必死に生き抜いた人々、そこをジッと見ていた少年少女、そんな人々は、まだ身近にもいるのです。

★しかし、貧困と飢えの中から、立ち直っていった歴史も一方で重視して欲しいと思うのです。平和ボケのいま、この平和が一朝一夕に得られたものではないのだ、という思いにいたることこそ、64回目の終戦の日を迎える私たちのもう一つの意義なのです。

★さて、敗戦による引き揚げで、外地での生活からいっぺんに奈落の底に突き落とされた父母兄姉にとっては、飛騨での生活に忸怩たるものがあったのでしょうが、末子の私にとっては、それが大いに幸いしたようです。一家は生活に追われて、末子の私は放ったらかしだったせいか、好きなように自由に子ども時代を過ごせたように思います。飛騨の山々、谷川の清流、神社、咲き乱れるシャガ、柿の木、雪景色、人情の人々、こんな美しい飛騨の山あいの町に引き揚げて来てくれたことを、いまでも感謝しています。
そんな飛騨に眠る父母の墓に、送り盆の花を持って、明日行くのです。

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バランス

バランス
★このド暑い夏にギラギラ太陽のイラストをアップするのも、どうかと思うが、今朝の太陽はそれほど嬉しかった。なにしろ、ここ半月ほどの間、まともに太陽を見たことがなかった。それも並の雨ではなくて、土砂降りの連日だった。近在の野菜農家の人も『このままだと、夏野菜は全滅かなぁ…』と嘆いていたし、全国各地で多発している洪水や土砂崩れの災害にも心が痛む。
雨が降りすぎても困るし、日照りが続きすぎても困る、自然界のバランスは私たちの生活の死活問題だ。私たちは自然界の適当なバランス頼って生活しているが、今夏のように、自然界の極端なアンバランスに遭遇する年もたまにはあるのだろう。このアンバランスがしょっちゅう繰り返されるなんてことにならないように祈る。

★話は唐突に変わるが、この自然界のバランスを無理に人間関係に置いてみた。先日、新聞でこんなスペインの諺を知った。【客の後ろ姿は美しい】と言う諺だ。これ、どういうこと?と思いながら読んでみると、来訪者があることはとっても嬉しいことだが、あまり長居をされると鬱陶しくなる、適当なところで切り上げて辞去する客の後ろ姿にはホッとする、と言う意味だそうだ。
人間関係もやっぱり適度なバランスが一番ということだろう。少々ブラックぽい諺だが、共感しきりの諺であった。肝に銘じたいと思う。

★が、私自身のことをよく考えてみると、その時々の気分で、心のキャパも許容の基準も日替わりで変わるほど勝手な自分がいる。裏を返せば、他に不快感を感じせしめる自分に気づかないこともしょっちゅうあるということだ。
結局、もっともアンバランスなのは自分自身か?。

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