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ある作陶家の個展…‘鬼’の作品

ある作陶家の個展→‘鬼’の作品 
★今回は私の作品ではない。
私の尊敬する先輩の陶芸展の紹介である。このブログを訪れてくださった方のなかに、岐阜近辺にお住まいの方がお見えであれば、是非、お出かけいただくと嬉しい限りである。(きらりんさん、おちゃめさん、今年も是非!)
酒井氏については作年のブログの中で紹介したのでここでは省略する。

★今回も昨年同様、細工物を中心とした陶芸展である。最近では細工物陶芸作家の作品をほとんど見かけることがない中で、氏は一層その作品に緻密さを極め、またある時はユーモアやストーリー性をも付加し、細工物陶芸に新たな息吹きをふき込もうとしている。

★最近の氏の作品で眼を惹くのは‘鬼'の作品である。何故、鬼に着目したのか、そのきっかけは伺っていないが、氏は鬼の作品を創るにあたって、福知山の大江山をはじめ鬼伝説の残る全国各地を訪ね歩いている。これからも訪ね続けると言う。
以下、氏が各地の鬼伝説取材から得た‘鬼の真実'をごく短く要約するとこうなる。

★★‘鬼'の原型は地方の豪族たち 
☆群雄割拠のその昔、地方は中央政権やその傀儡たちの侵入や略奪に苦しめられる。それに立ち向かう地方を治めていた豪族たち、しかし、力の差は歴然としていた。やがて、地方の頭目である豪族たちは大きな権力の前に滅び去る。平定した勝ち組が「正義」、刃向かった者たちは「悪」という構図が出来上がるのは、古来からの常識であるが、鬼伝説もこうした中で生まれ伝承されていった。即ち、鬼の原型は大きな権力者に立ち向かったその地方の豪族たちなのである。
  「大江山酒呑童子」「桃太郎の鬼退治」も、しかりである。軍国主義への一直線をたどった明治以降、それらが一層誇張された昔話となっていったことも否めない。
  為政者の都合のいいように、その時代が次の時代に伝えられていくと言うことは、歴史にはままあることなのだ。


★さて、氏は、そんな鬼への愛情を作品に注いでいる。氏のつくる鬼は皆、好漢である。最近の子ども事情から「不登校に陥らないで元気に登校することを促す鬼」 「千客万来の活気を呼び戻す鬼」等々、いろいろ並んでいて、面白い。
もし、鬼伝説が残っている地方についての情報があれば、教えていただきたい。先輩に伝えようと思う。

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