朽廃美

朽廃美

◆こういう光景は全国どこにでも見られる。採石工場の廃墟である。

◆県道を走っていると飛騨と美濃の境の山の中腹に、この廃墟はある。私はこの工場の全盛期から知っている。山道を行き交うダンプカーの音、ガッガーガッガーと岩を砕く音が、麓の村に鳴り響いた。そこを通過するたびに私たちは眉をひそめたものだ。

◆高速道路の建設、埋め立て工事、新幹線の敷設、ビル建設、当時はどれだけ砂利を生成しても需要に追いつかなかったという。この採石工場の後ろの山も、その土や岩が全国の建設事業の礎になったと思いたい。

◆やがて、工場の騒音は鳴りをひそめた。いま、夏草のなかに辛うじて往時の威容を誇っているようだ。まさに、芭蕉の《夏草や 強者どもの 夢のあと》だ。

◆不謹慎かもしれないが、この光景、なんか‘朽廃美’といったような妙な美しさを感じる。

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花火の終わり/切り絵

花火の終わり/切り絵

◆元絵は切り絵です。今夏、最後の花火ネタです。

◆夏休み中に親戚から貰ったり、買ってきたりした花火セットがまだ残っているのでしょうか、中三の彼らは手に手に花火セットの入ったビニール袋をぶら下げて集まりました。

◆でも、セットの中にあった〈ドカーン!〉と高く打ち上がる派手な花火やところ構わず〈シャシャシャー!〉とはい回るユニークな花火は、もうとっくにやってしまってセットに残っていません。この時期まで残っているのは、昔ながらの古典的で地味な花火ばかりです。そんな花火を片付けにやってきたのでしょうか。

◆近所のみんな知っている子ばかりですが、どうも、この子たち、ついこの前までの元気がありません。口数も少ないのです。ときどき大きく光る花火に『オッー』という声と笑顔が見えるだけです。この前、ここで大はしゃぎで花火に興じてしたコイツらとは大違いです。奇声も上げず、水をはったバケツもちゃんと近くに用意して花火マナーも完璧です。

◆1時間ほど、ボソボソ話しながら花火をやっていたでしょうか、最後に、一人一人が小さな線香花火を持って同時に火をつけました。4人の花火の火玉が完全に消えると、4人は拍手をしました。〈さあ、これで夏休みは終わったぞ〉という拍手でしょうか。そうです、こちらの中学は二期制で、明日から後期の始まりです。

◆『バイバイ』とか言いながら、それぞれに帰っていく彼らは、まるであの映画《スタンド・バイ・ミー》の最後の帰宅場面さながらの後ろ姿でした。
◆こいつら、この夏、また大人になった、と思ったのです。

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行かないで!

行かないで!

◆『行かないで、夏休み』と思った頃のイメージを描いた。

◆私は、今年のような、どうしようもなく暑い夏は早く行ってしまって、涼風の秋が待ち遠しいのだが、子どもや学生諸君は、そう言うわけにはいかないだろう。デザインの専門学校に通う、若いブログ友人のリガサキさんは【行かないで、夏休み】という記事を書いてから、学生時代最後の旅行を楽しんでいるらしい。

◆花火大会、夏祭り、山、川、海、キャンプ、何よりも友人と自転車で深夜の徘徊、等々、そりゃ名残惜しいに違いない。もう学校が始まった地域もあるが、こちらはあと一週間、せいぜい楽しめ!

◆ここ数日、図書館や役所に、小中学生がたくさん居る。聞くと、『夏休みの一研究の仕上げです』と言う。何、仕上げ?、ウソつけ!あと一週間となって、慌ててやっているくせに。ここにも『行かないで、夏休み』と叫ぶ子たちが…。なかなかカワイイ!

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名残り駅

名残り駅

◆《駅…素敵な想い》というブログがある。そこにはさまざまな視点から駅、電車、鉄道への想いが語られている。私はその方面は全く無知なので、ただ、感心して拝見しているだけであるが、その巻頭文の一節にこう書かれている、【素敵な駅が教えてくれる 過去から未来への時間を 大切にしたい】と。

◆私は、このブログを開くたびに思い起こす駅がある。やっと、先日、墓参に行ったとき、この駅に立ち寄り懐かしい姿を写真に納めてきた。
その駅、飛騨小坂駅という。太いヒノキの大木で構成された外観は、この過疎の田舎町には似合わない。沿線は小さい駅ばかりで、何処にでもある定型的な駅舎なのに、何故、山間のこの駅だけがこんな味わい深い駅舎なのだろうと、はじめてのこの駅に降り立つ人はみんな不思議におもうという。

◆じつは、この駅、昭和40年代の初めまで、標高3063メートルの御嶽山麓に広がる大国有林から切り出される木材の集積、出荷を一手に引き受けていたちょっと知られた駅だったのだ。駅周辺の土場は材木の山で埋まり、構内の引き込み線には、出発を待つ材木を積んだ貨車が何台も待機していた。夜遅くまで、貨車を連結する音が町に響いていた。

◆が、やがて材木の需要が減り、その需要も外国材が取って代わり、少々の材木運搬はトラックに移行し、かくして、この駅は飛騨の風景の中に静かに佇むこととなった。しかも、無人駅となって。

◆かく言う私も、この駅から高校に汽車通学し、ときどきサボってこの駅前にたむろしていた。私のあまりほめられない過去もこの駅は知っている。懐かしさでシャッターをきりながら数十分そこにいたが、人影は全くなかった。ヒノキの大木で出来た駅、再び脚光を浴びることはまずない。が、今回久しぶりに出会ったことが、自分の過去を思い起こさせ、これからの自分を模索させる機会になったことは間違いない。

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絨毯タクシー

絨毯タクシー

◆暮れなずむ県都岐阜の上空です。あのときは見渡すかぎり焼け野原でしたのに、いまは隙間がないほどビルが詰まっています。でも、この夕陽はあのときとちっとも変わりません。それにしても、今日はなかなか日が暮れませんねぇ~。あとすこし、あとすこし経てば伊吹山の方に陽が落ちるはずです。そうすると、このビルの窓々が輝き始めます。

◆さぁーて!もうすぐ絨毯タクシーの稼ぎどきです。
夜景見学のお客さんをお迎えに行く前に、きょうは少々早めに出ましょう。お客さんを乗せずにカラで赤く染まる空を一人で飛んでみたいと思いまして…。

◆えっ、そんな空飛ぶタクシーがあることを知らなかったって? あっ、そうですか、もし、これに、お乗りになりたかったら、金華山頂上にある岐阜城までお越しいただき申し込んでください。岐阜城、ええ、そうです、織田信長様がしばらくお住まいになっていたお城です。もともと、この商売も《変わった物好き》で有名な信長様が、アラビアから買い求めた《魔法の絨毯》を私がいただいて始めたのですよ。だからもう400年以上、こうして夏の夜に飛び続けていることになりますね。

◆ビルの屋上に上がって、夕陽が落ちる直前、空を見上げてください。金華山の方向から西に向かってゆっくり飛んでいる少し大きめの鳥が見えます。それ、鳥ではありません。私の絨毯タクシーです。
是非、ご利用を、お待ちしています。

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8月・怒り

8月・怒り

◆広島にお住まいのブログ友人の写真を是非ご覧いただきたい。その灯籠流しの透き通った悲しみの美しさを感じることこそ平和への願いに通じる。

◆今年も、8月6日、8月9日が過ぎ、8月15日を迎える。折しも、今朝の新聞で、元アメリカ従軍カメラマンであったジョー・オダネル氏が85歳の生涯を閉じたとの報に接した。彼は原爆投下直後の広島、長崎の写真を撮り続けたが、そこに撮された映像のあまりの悲惨さをみるにつけ罪悪感から、その写真ネガを自宅のカバンに隠し封印した、そして、1989年にアメリカで反核運動が起こり始めたときにやっと、その写真を発表したという。

◆私の家族も、広島、長崎、或いは大空襲で亡くなられた方々やそのご遺族の皆さんの悲惨さには比べるべくもないが、一家は大陸からの引き揚げという、言葉に出来ない苦労を味わっている。まだ幼い私たちを守り抜いた亡き両親にはただ感謝しかない。

◆こういうことを書くと異論があることを承知で書くのだが、毎年、夏、8月に思うことがある。
今年もそうだ。原爆被災者追悼慰霊式〈平和祈念式〉の日に壇上に上がって話す、えらい人は何故、言葉の中に《怒り》を忍ばせないのか! 何故、白い紙を懐から引っ張り出して文章を淡々と読み上げるのか、広島市長のように、少しでも言葉に怒りを込めないのか。

◆原爆を投下したアメリカへ、泥沼の戦争を拡大した軍部へ、歯止めをかけなかったマスコミへ、そして、唯々諾々と従った我々日本人へ、さらに、いまなお戦争を繰り返している国とその支援国へ、それらへの怒りのメッセージを言葉の中に忍ばせないのか。

◆過去の不条理への怒りを持ち続けること、その怒りが子々孫々に受け継がれていくこと、だからこそ平和であることの尊さが実感できる。その怒りは、平和を目指すエネルギーなのだ。

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子どもの生活習慣

子どもの生活習慣

★文科省が子どもたちの《早寝・早起き・朝ご飯》を中心とする規則正しい生活習慣の啓発運動をしているようで、私の町でも、それに関するイベントが開催されるらしい。それぞれの地域がこの課題を広げて、例えば、《よく食べ・よく遊び・よく寝る》《早起きして親と一緒に食事の準備》《家族そろって楽しく食事》とか言ったようなサブテーマを掲げている地域もあるようだ。

★この絵は、私の町での、そのイベントのパンフレットに使うために描いたイラストだ。

★私の家族は子育てが《良かった、悪かった》は別にして、その件は、とっくに卒業しているので、若干、他人事のような気がしないでもない。が、はたから見ていても、いまの時代は親も子どもも大変そうだ。

★先ず、テレビからの切り離しが大変だ。テレビ番組は、まるで早寝をさせないように出来ているようだ。8時から10時は人気タレントがでてくるクイズやドラマが詰まっている。さらに24時間テレビとか27時間テレビとかには、そこに子どもが出演していることもある。『眠いとこを、ゴメンね』などと言いながらインタビューするレポーターをみたこともある。勇気、助け合い、愛、をテーマにしているのだから、少々のことは、といったマスコミの不遜の態度を感じなくもない。

★さて、食事。これも家でつくるより安上がりで美味しいお総菜がスーパーにズラッと並んでいる。あっという間にその棚が空になるので、店の人が常に補充している。そこに、大きな炊飯器が二つ置いてあって、自由にパックに詰めて量り売りもしている。釜が大きいから美味しいご飯に炊けている。
私の家も、いまは夫婦二人なので、スーパーのお総菜は重宝している。家でつくり過ぎて捨てるより、食べるだけ買えばいいからである。

★だけど、『スーパーのお総菜でも、コンビニのおにぎりでも、何でもいい、とにかく家族が一緒に食事が出来れば』と言うのも、ちょっと違う気がするし…。

★《早寝・早起き・朝ご飯》が子どもの健康的な生活習慣確立のための最重要課題であることは、異論をはさむ余地はない。が、いまは、子どもがそれを出来にくい、おとながそれを指導しにくい、そんな方向に社会全体が動いている。

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視点

視点

★先回の続きである。

★一枚目のスケッチを終えてから、南の方へ坂を登る。高台から、もう一度、その家を南から見る。さっき東側から見た光景とは随分、雰囲気が違う、茅葺きの古い家の西後ろに新しい家が新築されている。ただ、古い家の前が広い庭になっているので、洗濯物はまだそこを利用して干されているようだ。家族が多いのだろうか、たくさんの干し物が風になびいている。

★こちらから見ると、この古い家、住む人は居なくても、一家の生活仲間として踏みとどまっているようだ。これまでに、萱屋根の下方を切り取り、庇を造り、南側の外観の改装を繰り返してきたあとが見える。そんな代々の苦心を知る現在のご主人が、この古い家の処分を躊躇しているのかもしれない。

★勝手な想像をしながら、スケッチを続けた。

★一つの物事を、一つの方向からだけ見て、一つだけの判断をしてはならない。さまざまな視点を持って、さまざまな判断材料を持とう。もちろん、一人の人間に対しても…。と、思ったりもした日帰りのスケッチ行脚だった。

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やがて…

やがて…

◆きょうはスケッチをご覧ください。

◆国道ではないから、あまり広い道ではないが、郡上踊りで有名な郡上八幡町を通り抜けて、坂本峠を越え、飛騨高山に通じる道がある。最近は近くに富山につなぐ東海北陸道の完成が近い。既に、高山までは通じているので、この道はめっきり車が少なくなった。その分、ゆっくりと農村風景を堪能出来る。坂本峠の手前から脇道に入る。しばらく行くと懐かしい風景が開ける。段々畑、点在する農家、合掌造りの茅葺きの農家も何軒か見える。

◆そのうちの一軒をスケッチしようと近づく。近づくと人気は無い。でも、最近まで住居として使われていた気配もある。飛騨・美濃の脇道を辿ると、こういう茅葺きや藁葺きの家がまだある。しかし、殆ど住人は居ない。ここから、あまり遠くない世界遺産の白川村合掌づくり群の村の華やかさは、ここには微塵もない。

◆他人は言う『理にかなった建築工法、合掌造りは、まさに匠の技が息づいている』と、確かに、そうだろう。でも、そこに居を置き続けると言うこととは別問題だ。そういう家で少年時代を過ごした友人が居るが、彼は『修繕の繰り返しで、その管理たるや並大抵のものではなかった。そりゃ、現代の建築の住み心地には到底及ばない』と述懐していた。

◆ある人は近くに新築をするが、さらに、過疎が追い打ちをかける。屋根の葺き替えは少人数では不可能に近い。ある人はその家を離れ町にでる。古き伝統の家々は住人を失い、やがて朽ちる。日本の古き良き風景などという傍観者の感傷は、ここでは通用しないのだ。と思いながらスケッチをした。

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