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木肌魚

木肌魚

◆こんな経験ありませんか?、白い紙に、ただ何となく直線や曲線を描く、更に丸や四角や三角っぽい形を描く、白い画用紙はいつの間にか鉛筆の線でゴチャゴチャになる。その紙をゴミ箱に捨てようとして…、オッ、ちょっとまてよ、これ何か動物の顔みたいにみえるな…』と、

◆無意味な落書きが、いつの間にかなんかの形っぽくなったり、意外な模様になったり、というような子どもの頃の思い出は誰もが持っていると思います。

◆今年の3月、近くの公園で、まだ葉が出ていないイチョウの樹の幹が異様なほどの凹凸があり、その凹凸が捻れるように渦を巻いているのに気づきました。葉っぱの落ちたイチョウの樹なんてこれまで眼に止めなかったものですから、その異様さに驚きました。

◆ジッと見ていると、その凹凸がいろんなものに見えてきます。『これは面白いかもしれない』と、早速、デジカメに撮って、PCのフォトショップに入れ、あの頃の落書き気分でいろいろなぶりました。

◆そして出来たのが、この《木肌魚》です。PCに保存しておいて、何かのときに使おうと思っています。

◆ちなみに、樹に詳しい知人によると、イチョウの樹の幹が他の樹に比べてボコボコなのはよく知られたことで(知りませんでした)、ある観光地のイチョウは、その、もの凄い凹凸の異様さをウリにしていて、葉の無い冬に見学者が訪れるそうです。

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有から有

有から有

◆私の町が秋に行う文化月間の一環で、詩や俳句や随筆などの文芸物を市民から募集する今年のポスターのイラスト部分です。文字部分を削除してそこだけをアップしました。文芸物募集のポスターですから、他のイベントのように具体的な実体があるわけではありません。何を描いてもいいと言うことになるのですが、それがかえって『何を描こうか…』と毎年、頭を悩まします。では、今年のこのイラストは?、見る人がそれぞれに…、ということで。

◆話、ガラッと変わりますが、河原淳氏をご存じですか、まだご存命かどうか分かりませんが、若い頃、憧れたイラストレーターです。氏のことをご存じない方でも、40代以上の方なら、必ず氏のイラストをどこかでご覧になっている筈です。絵、イラスト、挿絵、美術指導者、そしてエッセイー、などなど、スーパーマンのようなクリエーターでした。

◆河原淳氏のエッセイから、私の大好きな次の一節を。

『絵は無から有を生じる式にはいかぬ。
 古い有から新しい有が芽生える。
 既成の形や色や作風を組み替えて
 新鮮なイラストレーションが誕生する。
 盗み、盗まれ、殺し、殺されながら
 美や方法が、移り、伝えられてゆく。
 すぐれたイラストレーターは創造的に盗む。
 ヘナチョコなご仁が、無から有を生じる幻影を抱き
 チョロチョロする。』…後略…

◆おそらく、氏は絵やイラストのことだけを指摘されたのでは無いとおもいます。もっと大きな…。すごい自信にあふれた素敵な一節だと思われませんか?

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無彩色

無彩色

◆前回同様、展覧会用につくった作品です。

◆なんか、こうして見ると社会派の作品のように見えないこともありませんが、そんな気張った作品ではありません。テーマは今回も環境問題を扱った啓発物ですが、そのことについては過去何回も書きましたので省略させていただいて…、

◆この作品では、全体を無彩色で表現してみようと試みました。

◆さて、「色」というのは「明暗」の表現を、ときとして狂わせます。
華やかな色相(色)の変化にばかり気を取られていると、どうも絵が薄ぺらいものになります。例えば、「深緑」と「赤」を配色して『オッ、こりゃ、ど派手でインパクトがあるぞ!』と思うと、実は、両色は明度(明るさ)が同じなので、モノクロ写真でとると同じ調子のグレーになってしまって区別がつきません。ですから色の違いだけに頼る絵は、どうしても平面的な感じになってしまいことが多いと私は思います。

◆「色」の違いと同時に「明暗」の違いも、併せて考慮したい、そんな気持ちもあって、今回は原点に帰って「明暗」だけの表現をしてみました。

◆◇私は、どうしても「色」の違いだけで人を見てしまうので…、単純ですから…。

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ふるさと

ふるさと

◆この作品も元絵は展覧会用に制作したものです。

◆こうして、ブログを開いていますと、訪れていただいた方々の珠玉のフレーズに出会えることも大きな楽しみの一つです。

◆前回の作品「もう!に対して、風刺画ふうのオシャレなイラストを描いておみえのアートカズコさんから『跳ねる水しぶきとパッと開いて散っていく花火、上昇とはかなさ…』という感想ををいただきました。
また、前々回の「何かが違う」に対して、毎年、四国巡礼の旅を続けていらっしゃる枯雑草さんは『自分は、大木には神が宿り給う、という感じを拭い去ることが出来ない…』とお寄せいただきました。
 それぞれの方々の、それぞれの審美眼、それぞれの自然観、にふれて私自身の眼幅も広げていかねば、と思うことしきりです。

◆さて、きょうは私の‘古里観’を…。
墓参に帰省するとき、車が飛騨路さしかかると、いつもすることがあります。外の音が入らないように窓を閉め、倍賞千恵子さんのテープを差し込むのです。(CDではダメです。数十年前からのままの習慣でなければ…)透き通った歌声が流れ、やがて、峠付近で、曲は、懐かしい《白い花の咲く頃》になります。この歌ばかり、何回もリピートして聞き続けるのです。
  白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日…

◆車窓には、昔のままの山並みが過ぎていきます。時折、見える農家の干し物もあの頃のままのような気がします。

◆でも、私は、生活の居を飛騨に戻すつもりはありません。不便さへの逆戻りもいやですし、戻ってみたら、『な~んだ、やっぱりこんなものだったのか…』と、必ず感じてしまう自分も嫌なのです。

◆帰りたいけど、帰らない…、望郷の念、というのは、そんな矛盾の中で膨らんでいくのです。

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もう!

もう!

◆北海道にお住まいの、響さん水無月さんのつい先日のブログ便りでは、ようやくサクラも満開を迎え、これからが春本番ということでしたが、こちらは、もう!、夏の花火大会のポスター制作です。なんと、気せわしいことでしょう。

◆私の町のこの行事は、新聞社がイニシアチブをとって行われるものですが、でも、いくらなんでも、7月の花火大会のポスターをいま、というのは、チョッとサバのよみすぎ、と思われるかもしれませんが、印刷にかかる日数や宣伝広報の期間等々から逆算していくと、やっぱり、そろそろ仕上げておかなければならないのです。

◆『花火大会のポスターかぁ~』なんて、仕事の選り好みなどしておれません。仕事ですから、なんでもOKです。でも、通常、夏が近づくと街角でみる花火大会のポスターとは、多少なりと趣を変えようと考えたつもりです。子どもたちが見て、『ありゃ~、なんじゃ、こりゃ~!』と、喜んでくれるような画面に…、と。

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何かが違う

何かが違う

◆某公募展に出品した作品です。そのCGデータにアニメを加えてご覧いただいております。

◆環境問題が叫ばれるようになってから「里山」という言葉がよく報道上に出てくるようになりました。特に、農作物への獣害では、
【かっては、人の住む里と動物がすむ山との間にあった里山は両者の緩衝地帯であったが、昨今、里山は荒れ放題か、もしくは住宅地になり、緩衝地帯の役目を為さなくなった、故に、里にいきなり山の動物が入るようになったのが獣害が増えた大きな要因である】と、報道されています。

◆私は、山国育ちなので分かるのですが、そんな、山と里山と里の区分けがハッキリしているところなんてそうありませんし、獣害の原因はもっと別のところにあるように思います。だだ、山の麓にある近くの自然環境とか、里の近くにある低い山とか、こんもりした林に包まれたお寺や神社の境内とか、そういうところを総合して里山と言うのなら、里山は、今も昔も地域コミュニティーの重要な拠点であり、大切にしなければと思います。

◆以下、環境問題とは特段、関係のないお話です。
私の郷里、飛騨の家の横に神社があり、その境内に、とんでも無い大きな欅の大木がそびえていました。境内は村の悪童たちの溜まり場で、村の子どもたちは、事あるたびにそこに集まり、そこで遊び、悪童どもの情報の集約場所であり、発信場所でした。
私が中学1年の頃だったでしょうか、朝、欅の下に村のおじさんたちが集結していました。母に何事かと聞くと、『神社のお社を建て替えるための木が必要だから、あの欅を切るんだって』と言うのです。
あまりの大木のため、切り倒してから切断し、トラックで運び出されるのに夕方遅くまでかかりました。

◆不思議なことですが、その欅の木が、その境内から消えてから、村の悪童どもが、そこに集まる回数がじょじょに減りはじめ、いつの間にかそこから子どもの遊ぶ姿も消えたのです。私たちは子どもでしたから、欅が無くなったことの寂しさなんか、そんなに感じませんでしたし、遊ぶ場所ですから、別にどうってこと無かったのですが、でも、子供心に「何かが違う…」と感じたのです。大げさに言えば、欅1本で「何かが昨日と違う」と感じたことが、小さなコミュニティーを分散させてしまったのです。

◆子ども時代に限らず、大人になっても『あれ、昨日と何かが違う…』と感じて、さめていく自分の気持ちを客観的に眺めている自分を感じたことってありませんか?。何か取り組んでいたことでも、仕事でも、人間関係でも…。

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浦島太郎

浦島太郎

◆展覧会用につくった作品です。アニメを加えてここに載せました。テーマはご覧の通り《自然》最後の砦である海の浄化を訴える環境問題啓発のポスターのつもりです。

◆見ていただいたとおり、図柄のアイディアソースは、あの‘浦島太郎'の情景をイメージして画面をつくりました。

◆さて、横道にそれて、その浦島太郎ですが、乙姫様と遊びほうけている間に、時代の流れから置き去りにされ、やっと気づいたときには、もう手遅れという昔話です。(少々、うがったとらえ方ですが…)

◆でも、この浦島太郎的人間が意外に多いことを感じられませんか?

【例1】私は40代の当初まで、PCを扱う仲間を好きになれませんでした。『字はチャンと手で書け!』と言ったものです。一太郎とかワードとかいった言葉が飛び交う職場に、どうも馴染めませんでした。私のPC嫌いは結構有名だったのです。まさに浦島太郎でした。
それから、長い時を経て、私が第一回のCGの個展をやったときのことです。当時の若い同僚が私がCG展をやっているということを聞きつけ半信半疑で見に来たのです。『あの玉さんがCGをやっているとは、とても思えない』と作品を見ながら、まだ半信半疑なのです。
(人は変わるんじゃ、いつまでも停滞しているのは周囲の変化を認めないお前の方じゃ)と心の中で言ったものです。

【例2】家内がフォークダンスグループの練習の会場を借りる申し込みに、公民館などを管理している事務所にいくというので付いて行ったことがあります。申込用紙を渡されたけど、家内は記入の仕方が分からないので、その係の人に聞いたときのことです。その男、いかにもめんどくさそうに無言で指を紙面に動かしながら書き方を‘指導'するのです。後で知人に『あの感じの悪いオヤジは?』と聞くと、元公務員のえらい人で、いま嘱託員ということです。そこを訪れる人は、そこの係の人としか思っていないのに、本人だけが元職のままのようなデカイツラなのです。まさに浦島太郎です。

イカン、イカン、人のことばっかり言っていると、いまに浦島太郎と言われてしまう!気をつけます。

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多面性

多面性

◆これも過去何回かアップしました木屑会の活動の中でつくった円空風木彫の一つです。私は仏師ではありませんので、仏像としてご覧いただかなくても、一人の人物像の円空風木彫としてご覧いただけば幸いです。素材のベイマツの切り口に油脂分がにじみ出て背面の木目の意外な美しさなどにも眼を向けていただいたりして…。

◆さて、こうして一体の木彫の正面と側面の写真を載せて見て、初めて思ったのですが、正面と側面の表情がまるで別人のような雰囲気に、少しビックリしているのです。

◆そういえば、人間って前姿、横姿、後ろ姿、にその彼が持つ内面が滲み出ているように思います。『にこやかな顔をして別れたけど、その後ろ姿には寂寥感が漂っていた…』はドラマのナレーション、『顔も言葉も優しかったけど、その横顔は恐いほど厳しかった』は、中学校時代、私に説教をしてくれた先生。

◆そして、その一人の彼が同時に見せる表情は、彼の多面性でもあるのでしょう。『彼が、そんなことをするとは思わなかった』『彼に、そんなナイーブなところがあるとは思わなかった』などという驚きは人間関係の中で、ままありますが、それは、自分が勝手に彼のイメージを作り上げ固定化しているからでしょう。
彼には、もっとさまざまな内面があり、私には想像もつかない幅の広さがあるのだという前提で、彼を見たいものです。最近、反省しきり…。

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歯車

歯車

◆この作品は3年前に、某全国公募展のデザイン部門で奨励賞をいただいたものです。テーマは“NO WAR”です。ここではキャッチコピーを外して、イラスト部分だけを載せました。

◆今、現在も世界のどこかの国々の人々は戦火の中にいます。その原因となる宗教対立、民族・部族の対立、イデオロギーの対立、領土拡張への野望、為政者の覇権争い、いずれも理解し難く、自分の立場に置き換えることが出来ません。ですから、このテーマのポスターはどうしても客観的捉えになるのでは、と、描くのを尻込みしてきました。

◆しかし、その戦禍を被り、家族や兄弟、仲間を失い、さらに荒れ果てた土地で飢餓に苦しみ、貧困にあえぐ人々の苦しみは、自分に置き換えることは出来るし、その不条理に怒りと悲しみを禁じ得ません。

◆絵を描くものは絵で、文章を書くものは文章で、それぞれが自分のカテゴリーの中で、例え「所詮、客観的」と言われようとも、“NO WAR”への発言していかねば、と思うのです。

◆何処かで、誰かが、歯車の動きを狂わせる、それは次の歯車へ、また次の歯車へ、全体の歯車が取り返しのつかない勢いでビュンビュン回り出す。日本が世界を巻き込んだ先の大戦もそうだったと思います。いま、核保有の国々が増える一方の世界で、こうなったら、もう、この歯車を止める手だては無いのです。

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