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繋ぐ、どこまでも…

繋ぐ、どこまでも…

◆この前(4/17up)キルト展のポスターの作りかけを見ていただき
ましたが、だいたい完成しましたので、もう一度ご覧ください。

◆このパッチワーク・キルト展を企画したのは、生涯教育の振興・リードする部署ですが、いかにも、ふさわしい企画をしたものだと拍手を送るものです。失礼ながら、行政らしくなくて…。

◆その意図を察するに、多分、次のようなことかと。
【親から子へと、子から孫へと、伝統が、技術が、そして心が、繋ぎ伝えられ、優しく広がっていく…。そのことこそ、生涯教育の大きなバックボーンではないか、それは、あたかも、小さな布片がつながって広がるパッチワークのように、】
と…。

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ポスターって?

ポスターって?

◆先日のキルト展のポスターと並行してつくったいた「環境月間」のポスターが仕上がりましたのでご覧ください。行政がイニシアチブをとって、環境保全に関わるさまざまな活動を集中的に町ぐるみで取り組もう、という環境月間のポスターです。

◆私の町を流れる木曽川とその周辺を撮った3枚の写真を合成したり、加工したりしながら、“これが自然だ!”という憧れの風景を表現したかったのです。(そんな雰囲気が出ているかどうかは別のはなしですが…)

◆さて、いろんなポスターを創っていて思うことがあります。特にポスターに載せる文字情報に関してですが、一般会社と行政との依頼に大きな違いがあります。その違いを新聞の紙面に例えてみましょう。
一般からの依頼は大見出し、中見出し、せいぜい小見出しを書くか書かないかぐらいの文字記載で済むのですが、行政のポスターは大見出しから小見出しはおろか、本文をかすめるほどの文字記載を依頼されることが多いのです。私は依頼通りにつくるだけですからいいのですが、
『ポスターの機能に、広報紙の機能まで付加するのは、そりゃ、無理だぜ…』って思うこともあります。

◆私は、多くの文字をポスターに入れ込まなければならないときは、キャッチコピー、期日、場所、以外の文字は豆粒ぐらいに小さくして、字間を詰めて、遠目にはラインのように見せ、ポスターの主体であるイラストや写真や色を邪魔させないようにします。
どうせ、クドクドと書いた文字は誰も読まないのですから…。

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害虫の親玉

害虫の親玉

◆今朝、フェンス越しにお隣さんの庭を見たら、根元辺りまで切り取ってしまったイチジクの木から、もう何本かの枝が出て、その先っぽに小さな芽が出ているように見えました。

◆イチジクという木は放っておくと大きくなりすぎて実が少なくなるものですから、毎年、秋、すってんてんに枝や幹の上部を切り落とすと、次の年、また新たな枝を伸ばし、甘い実をたわわにつけるのです。

◆しかし、『それにしても、これはチョッと切りすぎではありませんか?こんなに根元近くまでも…』と奥さんに訊ねると、『そうなんですよ、実は、去年、この木にカミキリムシが入ってしまって、こうせざるをなかったのですよ…』と言われたのです。
とうとう、こんな街の中まで、アイツが来たかと思いました。
:そういえば、去年、私の家の網戸によくアイツが留まっていました。
:そういえば、去年、お隣さんから、おいしいイチジクをいただくこと がなかった…(バカ!卑しいことを!)
と思いだしました。

◆カミキリムシ、虫好きだった少年時代を田舎で過ごした方々はご存じだと思いますが、カミキリムシといっても、その種類はメチャメチャ多くいて、昆虫採集の格好の標的にしたものです。

◆このカミキリムシ、実は害虫の中でも極めつきの悪いヤツなのです。特に、クリ、クヌギ、イチジク、ビワ、カシ、さらに、サクラ、ウメ等々の幹にあの鋭いハサミで穴をあけ、卵を産み付けます。卵から孵った幼虫は、幹の内部の木質を餌にして成長し、内部に大きな空洞をつくります。その際に、地中から水分を吸い上げる導管を切断するものですから、その空洞部分が腐ったり、木が枯死したりするのです。いわば、森林保全の敵なのです。ちなみに、イチジクに産卵する不届きなヤツはキボシカミキリという、やや黄みがかった体に白点のあるヤツが殆どです。

◆今夏、昆虫採集を計画の子どもさん達にお伝えください。そのターゲットはカミキリムシ科にするようのと…。

◆◆でも、あの長い触角を揺らしながら幹を登るアイツ、なかなかの貫禄はありますけど。

◆◆この悪玉の現実の姿を写風人さんの写真で得とご覧あれ!!

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むこうに

むこうに

◆春が行くと、もう思いは山です。最近は近在の手軽な山ばかりですが、以前は数日をかけて、よく山に入りました。その中でも北アルプスの端にある御嶽山は特によく入りました。
◆飛騨と信州に跨る御嶽山は標高3063メートルのかなり高い霊峰です。6合目まで車で入り、温泉宿で英気を養い、真夜中の1時頃、宿を出て登り始めます。雲海の上に出るご来光を見るためです。この飛騨側の道は急な原生林の中を歩くために、根っ子の階段のような山道です。しかも原生林の中ですから懐中電灯の明かりも吸い込まれる程の漆黒の闇です。苦しさと疲労を超えて、まるで暗闇の宇宙を彷徨っているような錯覚にとらわれます。やっと休憩の場所を見つけ、フッと闇の中を見ると、ずっと向こうの樹木の間にボッ~と明かりが見える瞬間があります。あんなところに人がいる筈がないところに…。深夜の山登りで『アッ、いま、あそこに光が…』という瞬間を見る登山者は結構多くいるのです。
◆それが、疲労による錯覚なのか、何かの自然現象なのか、分かりませんが、『いや、あれは、きっと、森の木陰でドンジャラホイとやっている山のフェアリーたちの宴に違いない』と思いましょう。

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驚き/パッチワークキルト



◆今年末に、私の町で【パッチワーク・キルト】の公募展を行うということで、そのポスターを作りかけているところです。キャッチコピーも、イラストも、まだきまっていませんが、ポスターの背景はこんな風にしたいと思っているところです。作りかけのポスターの背景だけご覧ください。初冬の開催なので雪をあしらいました。(勿論、ジフアニメのピカピカは余分です)

◆最初、ポスターをつくるにあたって、少しパッチワークキルトの知識を得ようと、いろんな本を見ました。その中で、某パッチワークキルト展の図録を見て、その表現の可能性と奥の深さに吃驚仰天しました。私は、パッチワークですから、その名のとおり、布片を繋ぎ合わせて、新しいものに生まれ変わらせる作品づくり、と言う程度の認識でしたが、いまや、完全に手芸の域を超えていると、生意気ながら思いました。その明快なテーマ性も、緻密を極めた技術の凄さも…。

◆例えば、テーマを表現するためには既成の布片では不十分なので、ある部分は自ら白絹に染色して作品を繋いだという大作もあったりして、テーマへのアプローチの迫力も感じました。ある、美術雑誌の編集者が
『手芸とアートの違いは、見る人の感性で異なるが、より多くの人に感動を与える作品がアート』とおっしゃっておられるとおり、まさに、感動しきりの作品群でした。著作権の関係で、ここにその作品写真を載せれないのが残念です。

◆私は、自分と異なる美術分野には無関心・無頓着、といった傾向が強いのですが、これ程、他分野から刺激をいただいたことはありません。この作りかけのポスターは、もし、自分がキルトに取り組むことがあったのなら(多分ありませんが)こんな図柄が出来ないものだろうかという思いながらイメージしたものです。
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何でもない報告

★さっき、新しいジフアニメ記事をアップしたところ、作品がが規定より少しデカ過ぎたらしく、これまでの記事がプラグインの方に押し出されてとんでもない無茶苦茶なブログに壊れてしまいました。慌ててアップ記事を削除したところです。早速、写風人さんに聞いたところ、『玉さんのテンプレートはアップ記事の大きさによって画面を調整する機能が無いのではないか』とのこと、今夜はもう打ち止め、明日、新しい記事をアップし直します。
★記事の大きさは、欲張らずに控えめなサイズで!

気難し屋

気難し屋

◆シャガ、水はけの良い、木漏れ日の山の斜面などに群生する晩春の山野草です。地中を這うように根が繋がり、先々で芽を出し、群生地域をつくっていくのです。全国どこでもありますので、ご存じの方も多くお見えかと思います。

◆その飛騨の山峡の町で、私が、ものごころついてから最初に覚えた花の名前がシャガです。あまり草花に興味のない私にとって、よほど強い印象の花だったのでしょう。彼女は実家の裏山の斜面や、すぐ横にある神社の杉林の地面にビッシリ群生していて、最初に山国の初夏を飾るのは彼女達でした。小ぶりな花ですが、多分、姿形から見て、アヤメやショウブの仲間でしょう。でも、それらと違って花びらの色と柄にかなり意匠を凝らしていて、これが野生の花かと思うほどもきれいさです。

◆その山峡の町は、5月中旬、近隣のどの町よりも多くあちこちに彼女が咲き乱れるのです。だから、‘シャガの○○’といったように彼女の名を頭に付けた商品や温泉の屋号があるほどなのです。しかし、彼女、なかなかの気難し屋で、彼女を花瓶にでもと、切り花にすると30分で完全に萎れてしまうし、他所に移植しても、よほど彼女の気に入った場所でないかぎり、絶対に根付いてくれないのです。

◆私も、いまの家に住むようになってから、飛騨に帰省するたびに、彼女の株を持ち帰って、家の庭に場所を変えながら、毎年、移植したのですが、いつも嫌われっぱなしでした。移植を始めてから5年目に、フッと、彼女は気むずかしいから、ちょっと変わった所へと思い、花壇から出てきた邪魔な小石を一カ所に集めている所に、無造作に移植してみたら、なんと、それがしっかり根付いたのです。3~4年でその一角が彼女のテリトリーになりました。ここは飛騨より暖かいものですから、4月はじめに花を付け、いま伸び放題です。この写真が我が家の彼女です。【バックの絵は、彼女の郷里のイメージです。】

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イメージ〈春〉

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◆春が行ってしまわないうちに、〈春〉のイメージイラストをご覧ください。

◆京都です。最寄りの新幹線駅から、40分程度で行けるものですから、よく行きます。いつ行っても、表面的には古都のイメージから、ほど遠く、人であふれています。夜の新京極界隈などは、まっすぐに歩けません。修学旅行の生徒、腰にジャラジャラ鎖をぶら下げた若者、歌舞伎の隈取りのようなメイクをした女の子、見事に和服を着こなしたご婦人、そして、キラキラ輝くショウウインドーの直ぐ隣に歴史を感じさせる小さなお寺や祠がジッと佇んだりしています。さらに、ひとつ裏に入ると表の喧噪が消えて、町屋の灯りが揺らいでいます。まさに、人も、ファッションも、町の様相も、新旧のルツボのような京都です。京都ですから、神社仏閣が素晴らしいことは言うまでもありませんが、私は、そんなごった煮の京都が大好きです。

◆でも、繁栄を極めた平安の昔も、きっと今とそんなに変わらなかったのではないか、と思うのです。日本中から、あらゆる階層の人々が都を目指し、都の集まり、さまざまな市が立ち、やっぱり、ごった返していたのでしょう。

◆この絵は、春、清水の三年坂で見た幻影です。

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よざくらについて…もうひとつ



◆一昨年、私の町の観光ガイドを更新したとき、その表紙や中扉も一新しました。その中の“まつりのまち”というカテゴリーの中扉のデザインです。

◆さて、この町も桜祭りが終わり、サクラが北に行きます。今年も思ったのですが、皆さん、あのサーチライトのでっかいヤツで夜遅くまでサクラや秋のモミジをガンガン照らすライトアップをどう思われますか?
子ども達なんかは、その姿を夜桜と思いこんでいるから困ったものです。せいぜい、露天の電灯、酒宴の明かり、家々のあかり、都会ならビルの窓明かり、に浮かぶサクラが夜桜の美しさです。時期が合えば月あかりも素敵でしょう。なんで、サーチライトでガンガン照らすのでしょうか?。情緒もなにもあったものではありません。サクラを人間に例えれば、もう寝たいのに濃いコーヒーを何杯も飲まされて『寝るのは許さん!』と言われているようなものです。

◆夜桜見学というのは季節の自然を愛でる最高の行為だと、私は思うのですが、あのライトアップは不自然さで自然を見せている間違った見せ方だとかねがね思っています。
昼の陽光と夜の漆黒、このサイクルを守ることこそ自然を自然のままで長く保全する、ごく初歩の心がけだと思うのですが…。

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よざくら/アニメ

よざくら/アニメ

◆私の家から300メートル程の所に、木曽川に流れる支流があって、その両側の堤防道路は約2キロにわたってビッシリ詰まった桜並木なのです。東海地方ではちょっと知られた桜名所です。

◆さて、やっと満開が近づきました。来週の10日には花吹雪の中で仲間との花見が出来そうです。現在、この堤防道路が歩行者専用になっています。いっぱいの露天が並び、焼きそば、タコ焼き、じゃがバタ、などの匂いが舞う花びらとともに辺りにただよっています。焼きたてのトウモロコシを買って、かじりながら、混雑の中をゆっくり歩くのです。

◆この桜名所、中央部分が幅の広い県道で分断されていて、県道から北側は人も少なく、めっきり静かなのです。夜になると、若いカップル達が県道をわたって、こちらの桜並木の方にやってくるのです。私も、若くはありませんが、夜は、露天や提灯のない、こちらの桜並木を歩くのが好きです。遠くの灯りで白く揺れる桜の美しさがたまりません。ときどき、堤防の下を通る車のヘッドライトが桜並木を一瞬、ライトアップします。若いカップルも思わず相手を忘れてその美しさを凝視するのです。そして、春の川風が頬をかすっていきます。
やっぱり、日本の春は最高です。

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“森の妖精”と“春の女神”

“森の妖精”と“春の女神”

◆先日、日曜日、“森の妖精”と“春の女神”を同時に見るという幸運に恵まれました。
家から、2時間程車を走らせたところにカタクリの群生地があると聞いて家内と見に行ったのです。子どもの頃は道端でも見かけたのですが、最近では自然環境の悪化に伴い、その著しい減少ぶりが懸念されている山野草です。行ってみて驚きました。東向きの杉林の裾の斜面がカタクリの薄紫の花で敷き詰められているではありませんか。山国の人々が十㎝にも満たない、その可憐さを見て“森の妖精”と呼び、春の到来を喜んだと聞きますが、むべなるかな、と思ったのです。
◆しかし、このカタクリ、本州にしか自生していないそうです。北海道にお住まいの響さん水無月さん、写真でその可憐さをごらんください。
◆さらに、この群生地に、羽化して間もないギフチョウが数十匹、カタクリの花にしがみつくようにして吸密をしていたのです。ギフチョウは生きた化石と言われ、絶滅危惧種の蝶です。この時期のごく短期間、里山を飛び交い、春を告げることから“早春の女神”と呼ばれているのです。特にカタクリの花の蜜を好むことでも知られています。
◆カタクリとギフチョウの連鎖、いや、必死の‘共生’かもしれません。われわれ人間が叫ぶ‘自然との共生’と言う言葉に必死さは、あるのでしょうか?
◆“森の妖精”と“春の女神”を十分堪能できた幸運に感謝しながら、そっと、その場を後にしました。

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いまこそ/切り絵

いまこそ

◆瀬戸内海の小さな漁村の浜辺で山国の中学生達が海の広さに感動してか、思い切りはしゃいでいます。そこを私の若い友人である写風人さんがカメラにおさめました。その写真を彼に提供していただき切り絵の作品にアレンジしました。これは、その切り絵をデジカメで撮ってジフアニメをほどこしたものです。
◆中学校の3年生のとき、大学を卒業したばかりの佐古先生という男の音楽の先生が赴任して来られました。私は音楽は大の苦手でしたが、この先生の説教が好きでした。結構抽象的な難しい言葉でしたが、それがまた私たちを子どもと見ないで大人と同等に話してくれているようで好きだったのです。その中でこんな説教がありました。
『お前達のなかには、高校になったら、就職したら、そのときはチャンと真面目にやるから、と思っているヤツがいるだろうけど、大きな思い違いだぞ、いま、現在の生活を真剣に出来ないヤツにいい未来が掴める筈がないだろう。いまの積み重ねがそのまま、お前達の未来なんだぞ!』と、佐古先生は、当時不真面目の極みだった私の方を見て言っておられるような気がしたものです。
◆郷里の友人によれば、まだ佐古先生お元気の由、お会い出来る機があることを願っています。

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