スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

人のイラスト・2/表情

人のイラスト・2/表情

『いつも笑みを絶やさないで…』『笑顔を忘れないで…』、よくキャッチコピーやドラマの台詞に出てくる言葉ですが、そうはいきません。人には、怒り、悲しみ、憂い、さまざまな表情があるからこそ、その中で見せる《笑み》の表情が際だつのです。しかも、その《笑み》の表情にもさまざまな《笑み》があります。イラストも或いは写真もそうかも知れませんが、その一瞬の表情を固定化して、それぞれのテーマを訴えんとするわけですから、とても難しいし、表現の責任のようなものを感じるのです。(きょうはチョッと偉そうなことを書きました。)
スポンサーサイト

それぞれの道

それぞれの道

まだ解散したわけではありませんが、3人で《木屑会》(もくそかい)というのを結成していました。一週間ごとに各メンバーのアトリエを会場にしていろんな物をつくりました。アトリエにこんな看板まで掲げて…。制作の中心は木彫でしたが、その合間に、凧、アクリル画、革細工、等々…。遊びと制作と作品のけなし合い、実に楽しい《木屑会》でした。でも仲間活動というのは、それが恒常化すると、そこから抜けて一人で別のことをやりたくなるものです。やがて、一人は家に大きな窯を備え作陶家になり、一人は南米の民族ダンスの研究家になり、私はPCに向かってCGで某市のポスターを作る日々になりました。関係ないかも知れませんが、フッと思います。人は支え合わなければならないけれど、一人でも生きられなければならない。矛盾しているようで矛盾していないのでしょうね。《木屑会》のカテゴリーを追加しましたので、追々そのときの作品も掲載していきます。見てください。

河原

河原

何時の世でも、その時代への評価は《憂慮と希望》が交錯しています。現在は自然環境保全という点で、圧倒的に《憂慮》すべき点が多い時代でしょうか。でも、全てを環境保全と切り結んで不安感を増幅させる輩もいないわけではありません。私は河原を歩くのが好きです。石、ススキ、風、流木、河原の風景はいつも今自分が考えている作品のイメージをまとめてくれるのです。さて、そこかしこに転がっている流木についてですが、『流木の多さは上流地域の治山状況の欠陥とかかわっている』という意見を聞いたことがあります。そりゃ洪水や川の氾濫防止には治山こそ重要であることは知っていますが、この川の上流は全国に誇る森林産業のメッカで治山バッチリの山々が連なっています。流木は私の子ども時代からゴロゴロあって、ストーブの薪にしたり、学校に持ち帰り色を塗ってオブジェを作ったりしたものです。流木は河原の風物詩です。それよりも、コンクリートでカンカンの壁を作る護岸工事の方が専門外の私にとっては憂慮すべきことと思うのですが…。【本サイトHPの作品F11です】

作陶家のユニークな個展

作陶家のユニークな個展

★今日は私の尊敬する作陶家のユニークな個展を紹介しましょう。一般に作陶展と言えば皿や碗といった器物が主流ですが、酒井氏の作陶は最近めっきり少なくなった細工物の作陶です。香炉、仏像、守神像などを緻密を極めた技術で焼成しています。中でも、釈迦の死を悲しむ十二羅漢(法隆寺)をモチーフにした《嘆きの像群》には小像ながら深い感銘を受けます。★氏は若い頃、絵画に傾注し、さらに木彫に打ち込み、円空仏を600体ほど彫ったでしょうか、そのデッサン力と不屈の精神が現在の陶芸作品に息づいています。★岐阜市の長良川にかかる鵜飼大橋を渡り、道なりに500M北に向かい、東に入ると喫茶【PAUSE】があります。そこが会場です。2月1日~26日が会期です。ロマン溢れる晩冬の岐阜市を一度訪れてください。

冬季うつ病…?!

冬季うつ病…?!

先日、朝のTV番組で《冬季うつ病》という病を初めて知りました。その症状は、①朝眠くて起きられない、とうとう仕事を休んでしまう事が多い。②仕事をしていても眠くてしょうがない、うつらうつら寝てしまう。③普通のうつ病は食欲なく痩せるのに、冬季うつ病はドンドン食べるから太る。etc。『おっ、特に②と③、こりゃ俺のことをいっているんじゃね~か!』と思ったのです。この病の原因はまだハッキリ分かってはいませんが、晴れの日の少ない冬、しかも日照時間の短い冬、という特有の季節が因していることは間違いないそうです。ですから、その治療法はもちろん明るい光、燦々たる太陽にあたることだそうです。光が脳のナンとかいう活性酵素をジャンジャン増やすそうです。ならば、もう心配ありません。明るい陽光が降り注ぐ春が、すぐそこまで来ています!。【この作品は某市の健康増進イベントのポスターをつくったときのイラストです】

ハンケチ

ハンケチ

再びCG画に戻りましょう。今日はCG画の舞台裏を少々。上の卵型の中は妻と私のハンケチの柄の一部分です。きれいな柄のハンケチがあるとスキャナで取り込んでそのデータをファイルにしまい込んでおくのです。ペジェでつくった人物のイラストの洋服の柄として差し込むためです。この女の子の洋服は妻のお気に入りの細かい花柄ハンケチです。私の作品に出てくる人物の服はハンケチから、着物姿のイラストは古布の柄から頂戴しているのです。古くなって色落ちしたり、破れたハンケチでもスキャナに取り込んでから捨てるのです。その破れめや色褪せた感じが、それはそれでイラストによって使い道があるのです。

Mes【切り絵】

Mes

当時は殆どの雑誌に藤城清治、滝平二郎、宮田雅之、三氏の切り絵の挿絵が載っていました。私も流行に乗ってその頃に切り絵を始めました。しかし、カッターの刃はすぐ切れなくなるし、少し力を入れると刃先がカチッと折れるしで、切り絵作りに四苦八苦していました。その記事を読んだのは確か滝平二郎氏の対談記事の中だったでしょうか。『医者の友人から貰ったメスで切り絵をしたが、切れ味が素晴らしい…』と。その話をある場所で話題にしたところ、偶然そこに居あわせた医師が『古いタイプのメスと耐用期限の過ぎたままの替え刃が残っていて処分しようと思っていたけど、切り絵に使って見ますか?』と声をかけて頂いたのです。爾来20年、時々新しい刃に付け替えて切り絵に使っていますが、その刃の丈夫さ、切れ味といったら他のどのカッターも比ではありません。

うるおい【切り絵】

うるおい

この前《すごい子たち》で欅中学校の秋の夕べコンサートの事を見て頂きましたが、この作品は7年前、同じコンサートの日、舞台に通じる幕の陰でドキドキしている吹奏楽部の子たちの姿を切り絵にしたものです。この子たちはもう社会人か或いは大学を卒業するあたりでしょうか。まだ楽器をやっているでしょうか?いや、楽器をやっているかどうかなどと言うことはどうでもいいのです。さらに新しい可能性を見つけて頑張っていることでしょうから。ただ、この子たちの頭からは、あのとき仲間たちと厳しい練習を乗り越え、素晴らしい演奏をして万雷の拍手を受けたという感動は消えないはずです。そのことがこの子たちのこれからの人生にどれだけの自信と潤いを与えることか、はかり知れない程大きなものでしょう。偏差値ばかりに明け暮れていると、将来、この自信と潤いを見つけるのに苦しむと思うのだけど…。

かぜ【切り絵】

かぜ【切り絵】

以前にある機関誌の挿絵のためにつくった切り絵です。もう10年以上前でしょうか、北関東を旅したとき鹿沼市で《川上澄生美術館》というところに入りました。それまで川上澄生という版画作家を全く知らなかったものですから、ここで彼の作品とそれに添えられた詩に初めて接し、えも言われぬ感動を受けたのです。〈ほのぼの〉〈さわやか〉〈あこがれ〉といった言葉を絵や詩にするとこうなるのだ、と思ったのです。そして二度と戻らぬ若かった頃の自分自身への郷愁も感じさせてくれました。この作品はその旅から戻ってすぐ、彼の作品のイメージを忘れないうちにつくった川上澄生版画風切り絵のつもりです。

孫の暗号?

孫の暗号?

4歳の孫が覚えた文字を懸命に書いていました。しかし周りで見ていた大人たちが『そこはこう書くの』『いや、そこんとこはまっすぐ下に突き抜けるの』などとギャーギャー言うものですから、彼女は『いいの!』と言って文字を書くのを止めて、今度はドンドン暗号か、記号のようなものを書き始めました。彼女曰く“秘密の字”だそうです。その一つ一つがあまりにも面白い形だったものですから、さっそくスキャナで撮り、イラストレーターの下に敷いてペジェでなぞらえ、こんな風に仕上げて見ました。幼児というのはとてつもない面白い形を創り出すものですね。とても大人には出来ない奔放形です。画面右のHPへのリンクバナーの顔のイラストも彼女の落書きを頂戴したものです。

すごい子たち

すごい子たち

欅中学校の吹奏楽部を長年指導してきた友人に頼まれてつくったポスターです。この欅中学校吹奏楽部の子たち、もう十数年にわたって、なかなかの活動をやっていて感服することしきりです。毎年、秋に地域の人々を対象にしたコンサートを行うのです。その演出のユーモアや意外性、そして何よりも演奏の見事さもあって、いつも体育館に入りきれないほどの観客を集めます。3年生の子たちはこれが中学校最後の演奏なので、涙を流しながらの演奏ですが、それがまた地域の人々の共感を呼び、会場は一つになるのです。さて、マスコミは中学生のマイナス部分にしか興味がないようです。そんな報道ばかりに接しているものですから、忘れそうになっていた中学生のピュアな姿をこの《秋の夕べのコンサート》で十分に見ることが出来て幸せでした。

虫こそ

虫こそ

少し気持ち悪いかも知れません。虫です。自分が飛騨で育ったからということもあるかも知れませんが、私は虫に対して一つの見解を持っています。それは『幼少時の男の子が最初に対峙し、乗り越えなければならない手強い相手、それが虫!』と言うことです。小さいけれどその姿形が異様でどことなく怖い。でも捕まえたい、捕まえると足でひっかかれたり咬まれたりする、ビックリして地面に虫を叩き付けたりもする。そんなことを繰り返しながら“怖さ”から脱却していく。少々オーバーな言い方ですが、男児が最初に家族を離れて自分自身の力で度胸や勇気を育む教材が‘虫’です。樹を見上げ、草を分け、土を掘って虫を捕っている悪ガキこそ真っ当な育ち方をしている男の子です。(右下の虫、枯葉とその葉脈をphotshopで加工してつくった創作虫です。でもこんなヤツ、山の腐葉土をめくると、その下に居なかった?…)

人のイラスト・1

人のイラスト・1

私は自分の仕事に追随して描く人物のイラストを三つのタイプに分けています。①わりと深刻なテーマのときのイラスト②見る側に硬い印象を与えたくないテーマのときのイラスト③情緒的なテーマのときのイラスト。今日のイラストは①ですが、防災マニュアルの冊子の表紙、NO WARのポスター、スポーツイベント、環境問題のポスター、等々のときにつくったイラストです。もちろんせっかくつくったイラストですから、その後のいろんな作品にも形を若干変えながら使い回しをしていますが…。後日②③のイラストも見て頂きます。こうして見ると、まだまだイラストレーターのペジェ曲線を制していないことがよく分かります。ご批判ください。

古代人の唄が聞こえる

古代人の唄が聞こえる

先史時代の遺構についてですが、よく町の中や、畑を掘り繰り返して遺構を発掘し、土器の欠片を見つけて大騒ぎをするニュースを見ます。私は考古学というものにあまり興味がないので『ところ構わず掘り返すなよ、静かに土の下に眠らせておけよ』と思うのです。ただ其処の遺構だけはちょっと雰囲気が違います。この遺構の南にある段丘の上に立ち、見晴るかす光って流れる木曽川を眺めながら当時の風景を空想してしまうのです。多分その昔は木曽川がすぐ近くまで来ていて、人々は水辺に遊び集い、振り向けば豊富な食の糧を生み出す緑の台地が広がっていたのでしょう。此処に佇んでいると遺構の周辺から当時の人々の楽しそうな会話が聞こえてくるような気さえするのです。確かにそこに先史時代の人々の生活があったと実感する空気が其処には流れていて私の大好きなスポットです。《この作品はHPの【TP6】です。以前、展覧会のために勝手につくったわが町の私的な観光ポスターです。》

STAY GOLD

STAY GOLD

この作品はまだ未完ですが、HPを模様替えしたときに載せようとしている作品の一つです。私がまだ30代の後半か40代の始め頃だったでしょうか、かのスティービー・ワンダーが歌う「StayGold」が一世を風靡しました。付いていた歌詞の邦訳の見事さもあって、あの歌声に胸を掻きむしられる思いをしたものです。私の若い友人(と言っても彼ももう50歳ですが…)も青森の大学を出て郷里に帰り、就職試験に失敗し極度に落ち込んでいたとき、この歌を聞いて奮い立ったそうです。大学時代に青森の猛吹雪の中でアルバイトをしながら学費を稼いで頑張った自分を思い起こしたそうです。「あのときの輝いていた自分、必死だった自分は何処へ行ったのか、今の自分でいいのか…」と。彼はいま、職場で周囲の信望を一身に受けて頑張っています。いい歌には不思議な力があるのですね。苦労知らずの歌手が概念的な歌詞をチャラチャラと歌うのと大違いです。

わが町



某会議の会場の壁面に各市のPRポスターを並べるそうです。この絵はそのために創ったわが町のイメージポスターです。昨夜仕上がりましたので早速文字の部分を外して掲載しました。私の町にはメジャーな名所も旧跡もありません。周辺の町には歴史を彩った地域も数々あるのですが、ここはそこからも微妙に外れているのです。ただ北に連なる山脈を仰ぐ広大な台地の町は緑に溢れていて、台地の南には木曽川が滔々と流れ、オオタカなどの貴重生物が棲息している町と言うのが唯一の売りでしょうか。しかし、私にはこの地だからこそ自然と静かに共生してきた先祖の脈々たる息吹が感じられるのです。わが町の未来は自然との共生を一層際だたせる道を歩むだけです。他に見られるような閉塞した町へ猪突猛進しないように猪年の初めに願うばかりです。

春

これは本サイトのHP【F3】の作品です。人間の生活感覚は不思議なものです。12月の暮れに暖かい日が続いても「もうすぐ春」なんて一言もいわないのに、1月になった途端に、少し晴れ間が見えると「もうすぐ春だね…」とささやくのです。正月になると心なしか土手の枯れ草の根っこの辺りに新芽らしき薄緑が目につくのも不思議です。その薄緑は、ついこの前の12月暮れにもあった筈なのに…。それに最も厳しい冬本番はこれからなのに…。暖房完備と地球温暖化の中にいる私たちにも、厳しい冬の寒さの中で春を待ちこがれた先祖の生活感覚DNAが受け継がれているのでしょうか。私は定年で職を辞して、現在二つ目の人生はこのCGによる作品づくりです。いまCGを生かした一つの内緒の目標を持っています。春は遠いけど必ずくるものだと思うから…。ガンバロウ!

取捨選択

取捨選択

昨年の11月、桜並木の堤防を歩いていて見つけた枯葉の葉脈の部分を拡大したものです。こんなに葉脈がきれいに残っている枯葉はなかなか目にしません。専門家に見せると曰く『多分、春の初め孵ったばかりの幼虫(青虫や毛虫のまだ小さい奴)が、柔らかい新葉を食べて、少し硬い葉脈部分は食べきれなかったのだろう。普通は新葉は柔らかいから全部食べるのだけどね』と。フッと思いました。このきわだった幼虫の食の取捨選択!。私たちは食に限らず万事にわたって明快な選択をしていきたいものだと。でも、自分自身の選択眼がはじめから間違っていればただの変人ですけどね。気を付けねば…。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。