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花艶『切り絵』

花艶『切り絵』

★数年前に創った「切り絵」である。サイズは約A3サイズ(30㎝×42㎝)だ。

★話は変わるが、私は毎年、春に種を入れるところから夏の開花まで自分でやっている。というのもお盆の墓参に多くの花が要るので、種から作る方がかなり安価で済むからだ。その繰り返しの末に花持ちの良いという点で花種が固定してきた。アスター、キンセンカ、百日草の3種である。アスターは亡母が好きな花だったので育て方が難しい花だけど続けている。私が最近特に驚いているのがキンセンカと百日草である。

★私たちの年齢だと、キンセンカや百日草などは典型的な花壇の脇役で花壇の中心にいることは決してなかった。特に私が子どもの頃の百日草などは田舎の道端や畑の縁に何処かの家の庭から飛んできた種が根付いて、ひとり生えしていてあたかも野草のような風情で揺らいでいた。キンセンカにしても昔はせいぜい15センチ程の丈で、4~5株がプランターに植えられて玄関近くの足下にほったらかしされたように置かれていた。

★しかし現在の両花は品種改良の繰り返しで驚くほど豪華に進化している。夏には丈1メートル以上、花も大きくたくさん付いていて八重咲きは当たり前。とりわけ」百日草などは色種の多く、白、ピンク、黄、赤、斑入り、と無限に近い。種も安価、育て方も簡単、切り花の日持ちも抜群である。

★昔、雑草と見間違えたような両花は今や花壇の王者である。上掲の切り絵は「今や花壇の王者」を切り絵で表現してみた。
バックは絵の具を滲ませた和紙や広告紙の色部分を適当に切って裏貼りした。

切り絵/ひなた漁港

ひなた漁港

★今秋も行く予定だが、志摩半島の海岸線は複雑にギザギザと入り込んでいる。そのために大小さまざまな漁港が無数に点在している。

★この漁港もその一つだ。ホテルを10時前に出てしばらく走っていたときにフッと車窓に見えた小さな漁港の風景である。

★午前10時頃だから、出漁する船を見送った直後か、あるいは夜通しの漁から帰ってきてその成果を売りさばく市が終わった直後なのか、どことなくさっきまで人々の賑やかな声が飛び交っていたような空気が残っている漁港だった。

★仕事を済ませたのについ帰りそびれた若い男とオバちゃん、もしかしたらあの若者はオバちゃんの説教を受けながら必死に反論しているのだろうか…。

★ともあれ秋の澄み切った日差しのなかに見た海辺の暖かい風景だった。ここはどういう名前の漁港なのか全く不明だが、もし名付けるとしたら‘ひなた漁港’というのはどうだろう。

浜風(切り絵)

浜風

★もう半年が過ぎてしまった。私がこのブログを始めてから10年を越すがアップ数が年々減り続け、今やその更新間隔が6ヶ月という事態に至った。
特段の仕事もない暇な毎日なので、今こそ、様々なことに挑戦したり、取り組んだり出来る十分な時間はある筈なのだが、年齢を重ねるたびに“やる気”が少しずつ失せていく。
今年も春のサクラに始まり庭に植えた草花のこと、出品した展示会のこと等々、ブログ用の春の風景をカメラにその都度準備したのだが、画像のジフ処理や案文が面倒でゴロゴロしているうちにアップ時期のタイミングが過ぎていったというわけだ。まさに“やる気”が失せつつある老人である。

★まあ、そんな繰り言をならべても詮ないことなので、最近取り組んでいる作品を見ていただこう。以前はCG作品をいくつもここで見ていただいたが、ここ2年ほど前から切り絵に凝っている。CGによる作品づくりとは正反対の超アナログ的な制作過程がやっぱりおもしろい。

★毎年、東京の次男が旅行に連れて行ってくれるのだが、この切り絵も何年か前に行った日本海側の小さな漁港の風景をモチーフにした。
初秋の北陸、この地方には珍しいほどの晴天に海のキラキラが反射してこの風景をいっそう明るくしていた。
古民家風の民宿の窓にも光る海からの微風が届いていた。

ずっといつまででも味わっていたかったその時の風景と空気を表現したかった。

切り絵「坂道」

切り絵「坂道」

★昨秋の「二人展」に出品した切り絵である。以前に読んだある小説の読書感想文ならぬ読書感想画のようなつもりで作り始めたのだが、切り抜いていくうちにドンドン某小説の感想から離れて全く異なったイメージの切り絵になってしまった。作っているうちに思わぬ効果的な表現方法に出会ったりすると、最初のイメージなんかどうでもよくなり有らぬ方向に作品が変わっていくのは、私のようないい加減な作り手にはよくあることだ。そんなわけでこの切り絵の感想は見ていただく人それぞれにそれぞれのイメージをいだいていただければ幸甚である。

★ま、それはともかく、この作品とは全く関係ない話をしたい。
今夏の東海地方、とりわけ岐阜の酷暑は私のような老人にとってはまるで生死の境を歩いているような過酷さである。どんなに暑くても勤めに出て行く現役諸氏と違って、私は暑くなりそうな日は朝から一歩も外に出ずエアコンの涼しい部屋でゴロゴロしているものだから、たまに用事で外出すると、まるで灼熱地獄に飛び込んだようで気が遠くなりそうだ。

★ところが一昨日、飛騨へ墓参に行った帰り飛騨のとある喫茶店で遅めの昼食とっていると、空が真っ黒になっていきなり土砂降りの雨になった。雨というより空からの滝が地面に落ちてきたよう凄い夕立が1時間程続いた。雨が去った後、久しぶりの涼しい空気の中を帰途についた。この日の「短時間局地的大雨」は東海地方の彼方此方を駆けめぐったらしく、夕暮れ前に帰宅すると私の街も大きな水たまりが路に出来たりしていて、しっかり雨を被った様子だった。
その夜、ひんやりした夜気を感じてエアコンなしで寝床に入ったのは40日ぶりだった。
が、しかし、深夜1時か2時頃あまりの暑さで目が覚めてエアコンのスイッチを入れた。結局その朝6時頃、いつものように30℃近くの熱帯朝になっていた。テレビの気象情報によると先日の夕暮れ時の涼しさは大量の雨水が一時的に地表近くの空気を冷やしただけのことらしい。
と言うことで灼熱地獄はまだまだ続くようだ。エライコッチャ!!!

切り絵 「漁港晩夏」

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★先の「二人展」に並べた切り絵です。「漁港晩夏」と題しました。

★私はこれまで、北陸地方を中心とした日本海側や主に三重県の太平洋側にある名前も知らない小さな漁港を幾つ巡ったか分かりません。繋留されて波に揺れる大小さまざまな漁船群や船の上で明日の漁の準備をする人、傷んだ魚網を修理する人たち、等々、日本の漁村風景を私は大好きです。

★スケッチをしたり写真を撮ったりして、家に帰ってから水彩や油絵などの作品にしたことも度々あるのですが、なかなか思うような作品に仕上がったことはありません。

★この切り絵作品は少し視点を変えて昼の漁港独特の静かさを表現しました。
早朝から次々に漁から戻ってきた漁船、威勢のいいかけ声が響く市場の喧噪、あんなに騒がしかった朝が嘘のような午後の漁港、漁船群が軋みあう音と波の音だけが聞こえて辺りがシーンと静まりかえっている。私が感じたそんな漁港での寂寥感を表現しようとした切り絵作品です。

書斎暮色/切り絵

書斎暮色

★秋がいよいよ深まっていく。この時間のこの場所はついこの前まで熱射線のような陽光が西の窓から射し込んでいたのだが、今はもう夕陽が伊吹山あたりの山並みの向こうに落ちかけている。陽が落ちきってしまうと急に寒くなるのだが、この数十分間は適当な暖かみがまだ部屋に残っていて心地よい。

★この時間、じっとこうしていると、ただ気持ち良くて、忘れてはならないことも、忘れてもいいことも、全て忘れてしまう。そしてあくびを繰り返しながらついに睡魔に負ける。

★『食事ですよ!』と、下からの家内の声で目が覚める。外はすっかり暗く、部屋は初冬のような寒さになっている。『風邪ひいたかな…』と独り言をいいながら階段をおりる。

★そんな秋のひとときの光景を切り絵にしてみた。

だまし絵ふう切り絵

だまし絵ふう切り絵
★以前、金沢での会議に行ったとき、なかなかのお面をお土産にいただきました。有名などこかの神社の貴重なものと、詳しい説明がありましたが、忘れました。ただ、極彩色の派手さといい、表情といい、大変気に入って有り難く頂戴したのです。ずっと壁に掛けていたのですが、これをモチーフに切り絵にしてみました。

★さて、その切り絵、私は、好きで結構つくってきたのですが全く素人なので、手順や作成方法は我流です。切り絵の厄介なところは出来上がったもの(紙)全体が一枚につながっていなければなりません、当然ですが…。途中が切れていたり、シマ(島)になったりしていては、一般的に言う切り絵ではありません。どのようにして全体をつなぐかを考えながら切っていくのが、切り絵づくりの楽しいところでもあるのです。

★以前は雑誌などで見る、切り絵作家さんのやり方どおりに黒い紙を切っていたのですが、紙が黒いために、切り抜く線が分かりづらくて大変でした。そこで考えた方法が、白い紙に自由に鉛筆で絵を描いて切り抜くやり方です。切り抜いた後、鉛筆の線がいっぱい残っていて汚いのですが、その上を、ホームセンターに売っているスプレー塗料をかけて消せばいいのです。効率的で仕上がりも早く、黒い紙に描かれた見え難い線を追っかけて切り抜くという煩わしさもありません。

★この切り絵は、白と黄色と黒のスプレーで、台紙と作品に別々に着色して貼ったものです。目の錯覚で、どこがつながっている作品部分か、どこが台紙なのか分からないところがありませんか?、偶然ですが、ちょっとした、だまし絵ふうの切り絵になりました。

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花火の終わり/切り絵

花火の終わり/切り絵

◆元絵は切り絵です。今夏、最後の花火ネタです。

◆夏休み中に親戚から貰ったり、買ってきたりした花火セットがまだ残っているのでしょうか、中三の彼らは手に手に花火セットの入ったビニール袋をぶら下げて集まりました。

◆でも、セットの中にあった〈ドカーン!〉と高く打ち上がる派手な花火やところ構わず〈シャシャシャー!〉とはい回るユニークな花火は、もうとっくにやってしまってセットに残っていません。この時期まで残っているのは、昔ながらの古典的で地味な花火ばかりです。そんな花火を片付けにやってきたのでしょうか。

◆近所のみんな知っている子ばかりですが、どうも、この子たち、ついこの前までの元気がありません。口数も少ないのです。ときどき大きく光る花火に『オッー』という声と笑顔が見えるだけです。この前、ここで大はしゃぎで花火に興じてしたコイツらとは大違いです。奇声も上げず、水をはったバケツもちゃんと近くに用意して花火マナーも完璧です。

◆1時間ほど、ボソボソ話しながら花火をやっていたでしょうか、最後に、一人一人が小さな線香花火を持って同時に火をつけました。4人の花火の火玉が完全に消えると、4人は拍手をしました。〈さあ、これで夏休みは終わったぞ〉という拍手でしょうか。そうです、こちらの中学は二期制で、明日から後期の始まりです。

◆『バイバイ』とか言いながら、それぞれに帰っていく彼らは、まるであの映画《スタンド・バイ・ミー》の最後の帰宅場面さながらの後ろ姿でした。
◆こいつら、この夏、また大人になった、と思ったのです。

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いまこそ/切り絵

いまこそ

◆瀬戸内海の小さな漁村の浜辺で山国の中学生達が海の広さに感動してか、思い切りはしゃいでいます。そこを私の若い友人である写風人さんがカメラにおさめました。その写真を彼に提供していただき切り絵の作品にアレンジしました。これは、その切り絵をデジカメで撮ってジフアニメをほどこしたものです。
◆中学校の3年生のとき、大学を卒業したばかりの佐古先生という男の音楽の先生が赴任して来られました。私は音楽は大の苦手でしたが、この先生の説教が好きでした。結構抽象的な難しい言葉でしたが、それがまた私たちを子どもと見ないで大人と同等に話してくれているようで好きだったのです。その中でこんな説教がありました。
『お前達のなかには、高校になったら、就職したら、そのときはチャンと真面目にやるから、と思っているヤツがいるだろうけど、大きな思い違いだぞ、いま、現在の生活を真剣に出来ないヤツにいい未来が掴める筈がないだろう。いまの積み重ねがそのまま、お前達の未来なんだぞ!』と、佐古先生は、当時不真面目の極みだった私の方を見て言っておられるような気がしたものです。
◆郷里の友人によれば、まだ佐古先生お元気の由、お会い出来る機があることを願っています。

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未来/【切り絵】

未来/【切り絵】

★えらくメッセージ性のありそうな切り絵になってしまいましたが、今日の作品はそんなのではありません。どんな親でも抱く子どもの未来への期待と憂慮を切り絵にしてみました。
★親ならだれでも我が子を見ながら『この子は将来、どんな人生を歩んでくれるのだろう?』と思うものです。大半の親はさまざまな紆余曲折を経て今があるわけですから、自分よりは幸せで豊かな生活をつかんでほしいとも願います。以前、幼稚園児をもつ親御さんとの立ち話の中で、その方がしみじみ言った言葉です『この子の未来が分かるのなら、いまどんな準備でもしてあげるのに…』と。その澄んだキラキラした目に、もしあなたの未来が見えるのなら教えてほしいと…。