16年目の「二人展」

16年目の「二人展」

★少々遅れ目の事後報告だが、先月の終わりに今年も「二人展」を実施できた。もう16年目になる。当初は先輩の作陶と私のCGイラストのミスマッチ的な取り合わせが面白くてそれなりの反響もあったのだが、16回も続くと私たち自身が自らの作風や技術のマンネリ化に不満を抱き、もうそろそろ「二人展」も幕引きか…、と迷っている段階でもある。

★しかし展覧会場という場は作品を並べて立ち寄られた人々の鑑賞に供する機能だけではないかもしれない。特にここのギャラリーでは毎年そんな思いを抱かせる出来事に会う。

★数年前のことだが、私のこのブログを覗いてくれた50年前の小学校4年生のKさんとKさんのご家族がいきなりこのギャラリーを訪れてくれたときには本当にビックリした。
以来毎年Kさんは当時のクラスのメンバーを誘ってギャラリー訪れてくれる。今年もWさん、Aさん、と共に訪れてくれた。作品鑑賞などどうでもいいので早速喫茶店に直行し、話は50年前にタイムスリップした。当時20代だった私の横着放題を小学校4年生だったこの子たちはしっかり見ていたことに赤面の至りだったが、楽しかった。

★今展ではもう一つの出会いがあった。私が管理職を拝命しての新任職場の私の部屋にいつも昼休みに遊びに来ていた子たちがいた。その中の一人が「新聞を見て来ました!」と訪れてくれた。元気な二人の女の子の母親になっていた。25年前、当時5年生だった子である。小さな新聞記事を目に留めてわざわざ会いに来てくれたことは感謝以外の何ものでもない。

★事程左様にこのギャラリーでの展覧会は作品展示は単なる出会いの手段か?と誤解をしてしまうほどの「二人展」なのだ。冒頭、もうそろそろ「二人展」も幕引きか…と書いたが多分次回17年目もあるのではないかと思っている。

今年も15回目の「二人展」ができた。

今年も15回目の「二人展」ができた。

★随分長い間さぼってしまった。
今夏の猛暑にヒーヒーしていたのに、9月に入り一気に涼風が吹き秋めいた。久しぶりの長い秋を楽しんでいたのだが晩秋になっても一向に寒い日が訪れない。今秋は美濃路を寒風が吹き向けることもなく、街道の紅葉も鮮やかさを見せないまま落ち葉になった。例年なら、12月に入るや否や冬タイヤに交換するのだが、『いつ換えようか…』などと迷っていいる昨今である。

★さて、今年も15回目の「二人展」ができた。私の場合単発的には展覧会に出品したり、個展をやったりしているのだが、毎年定期的に続けているのは、このギャラリーで先輩と開催する「二人展」だけだ。
15年という年月をあらためて思う。私たちは毎年同じような作品を展示しているせいか周囲のさまざまなものの激変ぶりを今更ながら痛感する。以前の姿を思い起こせないほどの街並みの変容、ギャラリー周辺のお店やご家族の方々の世代交代、等々、周囲の全てが足早に移ろっていく。変わらないのは私の相も変わらぬ作品の出来栄えだ。別にあせりはないが、これでいいのかとも思う。微妙な思いの15回目の「二人展」であった。

★でも、今年も50年前の小学校4年生の4人が遠くから来てくれた。50年前のたった1年間だけのお互いに通りすがりのような出会いが、いまだにこうして時を超えて昨日のことのように50年前に戻ることができる。さっき、微妙な思いの15回目の「二人展」と書いたが、この子たちへの感謝を思いつつ、やっぱりやって良かったとしみじみ思う素敵な15回目の「二人展」であった

「第14回・二人展」無事終える

「第14回・二人展」無事終える

★先日、11月3日に「せき・まちかどギャラリー」での『第14回二人展』を終えた。陶芸とCGという少々ミスマッチ気味の作品を列べていつの間にか14年が過ぎた。

★今回は相方の先輩が木彫両面宿儺像、私が切り絵なども加え、若干の新味も意識したのだが、総じて相も変わらずの14回目になってしまった。

★にもかかわらず、14年間ですっかり顔なじみになった地域の皆さんにはいつも『二人展』に対して期待をしていただいていること感謝の限りである。毎年展覧会初日のギャラリーシャッターが開くのを待っていて一番に見てくれるTさん。沙汰の無かったこの1年間の活動を報告に来てくれるYさんたち。遠路飛騨路から車を駆って来てくれるHさんやSさん。どれも珠玉の喜びである。

★小さなギャラリーでの大きな出会いが今回もたくさんあった。ただ感謝である。


今年も出来た13年目の『二人展』

『二今年も出来た13年目の人展』


★先の3日、「せきまちかどギャラリー」で『二人展』を終えた。先輩のSK氏と私が同展を始めてから、もう13年が経った。
一年に一度、この展覧会のためにだけ関市を訪れるのだが、このギャラリー周辺の10年前がどんな風景だったかさえ忘れてしまうほど街の様相は大きく変わった。
全国の地方都市はどこでもそうだが、繁華街から人が消え、店々はシャッターに閉ざされる。かっては全国に名を馳せた刃物の町関市にあるこの「せきまちかどギャラリー」周辺も例外ではない。
でも、ギャラリーをのぞいてくれる人々は多かった。今年もこの小さなギャラリーで大きな出会いがたくさんあった。

★それにしてもこの年まで美術を趣味として、公募展に出品したり、個展を開いたりできる私は幸せである。それは作品を創ったり描いたりということだけではなく、作品がさまざまな人との出会いをつくってくれることだ。展覧会は、もし私が絵を描いていなければ生涯会うこともなく思い出の中にしかなかった人間関係を呼び戻してくれたりする。今展にも約50年近く会っていなかった遠い日の友人が訪れてくれた。あの頃小学校4年生だった子が50年を経ていきなり目の前に居る。この不思議でダイナミックな人の繋がりの妙を体感できるのも、ずっと絵を描き続けてきたおかげなのだ。これからも描き続けねば!

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二人展/またまた40数年ぶりの再会

二人展/またまた40数年ぶりの再会

★他人事のような言い方で申し訳ありませんが、人は楽チンは方向にはすぐ迎合するものですね。もう2回目の巻頭広告が入りました。これまでそれが入らないように更新してきたのですが、先回、夏の終わりの風邪で怠けたら一回目の巻頭広告、あわてて更新、それから『ま、いいか…』と思っていたら、あっという間に一ヶ月経って2回目の広告。で、今度はあわてずに『ま、いいか…』と、落ち着いて更新する次第です。

★ところで、先月、恒例の『二人展』を終えました。先輩の作陶と私のCGイラストのミスマッチ展です。
今年も拙作ばかりの作品にもかかわらず、この街の人々の温かい励ましをいただきながら、12年目の展示を終えたのです。

★今回は私にとって格別のサプライズがありました。
二年前の同展の記事で、40数年ぶりに遠く高山市から訪れてくれたKサンとそのご家族のことを書きましたが、今回、そのKサンが、さらに当時のWサンとHクンを誘って、いきなり会場に入ってきたのです。
40数年前、この子(?)たちは小学校の4年生でした。私は社会人ホヤホヤの世間知らずでした。ですから、この子たちとは一緒に遊び回ったり、笑い転げたり、した記憶しかありません。
やがて私は岐阜方面に異動になりましたので、それ以来の再会です。

★さっそく、4人で会場近くの喫茶店に行きました。喫茶店のママさんに『40☆年前の小学校4年生たちです。』と紹介してから、カウンターに座りました。
周囲からは、ジジイとオバサンとオジサンの世間話のようにしか見られなかったでしょうが、私は一瞬のうちに40数年前の自分になっていました。
どこかの歌詞の一節に『♪~白い花の咲く頃、ふるさとの遠い夢の日~♪』ってのがありますが、まさにそんな「遠い夢」を戻すひとときでした。
でも、この子たちと40年数年ぶりに会って、こうして話すことが出来るということこそ、「遠い夢」よりもはるかに嬉しい現実の夢なのでしょう。

★『またいつか、別の連中も誘って来るかもね!』と言って、3人は遠い帰途につきました。
私は『また、あの頃の悪ガキどもに会えるかもしれないない…』と思いながら、この街での展覧会を続けようと思ったのです。

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今年の「二人展」

今年の「二人展」

●ようやく11回目の「二人展」を終えました。
先輩の陶芸と私のCGイラストを並べる「二人展」を始めてもう11年目を迎えたのですが、今年は少々事情が違いました。

●会期の一ヶ月ほど前に、相方の先輩が体調を崩して入院をすることになり、もしかしたら今年の「二人展」は中止することになるかも、とギリギリまで案内状を出せませんでした。
『何だったら、今年は止めましょうか?』と、先輩の入院ベットに電話すると『いや、開催する!』とおっしゃるので、内心(大丈夫かな…)と思いながら心配していたのです。

●前日の飾り付けの日、先輩は陶芸作品を詰め込んだ幾つもの箱を車に積んでやってきました。『昨日、退院したよ!。点滴でずっとベットに寝ていたので、スタミナ不足だけど、もう大丈夫。』と言いながら展示を始めたのです。

●展覧会が始まり、皆さんが観覧に訪れ、あれやこれやと作品談をしているうちに、日に日に先輩の独特の毒舌も普段に戻り、会期の終わりにはスッカリ通常の先輩に復帰していました。
作品を創り、並べ、観ていただき、作品を通して交流する。これが元気回復の一番のクスリなのだ、と思った次第です。一方で、同じメンバーで10年を越す展覧会を続けることの難しさも感じながら、健康で物を創り続けていられることの幸せをしみじみと感じたのです。

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ランドセル童子

ランドセル童子

★今年も先輩が岐阜市長良の「カフェ&ギャラリーパウゼ」の1階と2階を使い、2月28日まで「酒井賢・作陶展」を開催している。茶碗や花瓶などの器物から、備前風細工物まで、多種多様な作品が並んでいるが、その一角にさまざまな鬼達が踏ん張っている。

★以前にも紹介したが、酒井氏は細工物を手がける過程で各地に残る鬼の像に興味を抱き、酒呑童子の鬼伝説で有名な京都府宮津の大江山に取材をする。其処で、鬼の原型は実は中央権力に抵抗した豪族あり、地元では今なお勇気と友愛の象徴として崇められていることを知り、さらに各地の取材の中で全国各地に存在する鬼伝説の多くに同じような伝承が残されていることを知る。

★その後、氏は盛んに善意の鬼像を作り始めた。上のユーモアに富んだ鬼の名前は「ランドセル童子」だと言う。
決して健全とは言えないかもしれない社会だが、子どもたちが元気に登校し、健やかな成長を願う若い親たちが結構この鬼を購入していくらしい。
私のところは、幸いにも、さして心配することもなくとっくに子ども達が成長してしまったので、『学校なんて行けなくてもいいんじゃない、長いスパンで考えれば、取り返せる機会はイッパイあるから。』などと言うが、その年齢の子どもを持つ親にとっては、やっぱり心穏やかにしてはいられない問題だろうと思う。

★過去、そんな悩み多い子ども達と多く出会ったが、総じて彼らはナイーブで心根が細やかで優しい。全くの私感だが、その優しさが孤独感や社会隔絶感を自らが自らの中に増幅してしまう。彼らに何の責任もない、かといって、世の中の長短全てを包括して大きく動いている社会に責任があるとも言えない。
彼らが学校や社会にステップアップする踏み台としてのフォロー機関や組織がもっと多くあればいいといつも思う。
「ランドセル童子」の中には、そういう苦難を乗り越えてきた連中もキッといるのだろう。

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子どもたちのセンスに脱帽/木の造形コンクール

子どもたちのセンスに脱帽/木の造形コンクール

★先月の話だが、隣の町で「全国子ども木の造形コンクール」というイベントがあった。
私どもの県は県土の殆どが森林で、それは昔から「御領」「天領」として皇室や幕府の資産であった。戦後、それが国有林という名に代わり、国に保護されてきた。私の小学生の頃には、まだ小さな町々にまで「営林署」という林野庁管轄下の役所があって、そこが森林管理をしていた。そこから切り出される木材は官材といい、全国の戦後の町づくり復興に大変な寄与をした。やがて、国有林の多くは民間に払い下げられ、あちこちに製材工場ができて、県内のどの町に行っても木材を切るジャーンジャーンという音が響いた。

★しかし、ご存じの通り外国から安価な木材が輸入されるようになってからは、国内材は衰退の一途をたどり、山は荒廃しつつある。山の仕事がないから、生活の中の会話から山の話題も消えた、だから子ども達も山を知らない。以前は縦横に張り巡らされていた山道は草やブッシュに覆われていて誰も怖くて踏み入れないのが現状である。毎日すぐそこに山を見ているのに、自分たちは山の子であるという認識は全くない。

★その意味で、数年前から始まった「全国子ども木の造形コンクール」は意義深い。
数百点のうち殆どの出品は近在の中学生たちだが、どの作品もスゴイ!。板材や製材の端材の形を生かしたもの、なれないノミで彫って木と木のジョイントを工夫したもの、大胆に彩色して意外な素材感を表現したもの、周囲に落ち葉を貼りつめて独自の自然観を主張したもの、等々、ダイナミックであり、いい意味で感覚が飛んでいる。
子どもたちのセンスには脱帽である。もちろんこの作品作りを指導した美術の先生たちにも敬服である。

★木を彫る、削る、切る、触る、失敗して壊す、ときどきケガもする、そのうちに木を知り、木を好きになり、郷土を知り郷土を好きになる。素晴らしい未来を想像させた展覧会であった。


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工藤静香さんの出品作/二科名古屋展

工藤静香さんの出品作/二科名古屋展

★この二日間、二科名古屋展の会場当番でしたのでずっと愛知芸術文化センターの会場にいました。
例年なら9月の東京本展が終わると、10月に名古屋に移動してくるのですが、今年は「あいちトリエンナーレ」という愛知県ぐるみのイベントが半年間続いたためにこんな年の瀬の開催になってしまったのです。
12月19日までと短い会期です。

★私のデザイン部門の出品作は過去にもご覧いただいたので小さくアップさせていただくことにして、ここでは今年の二科展の絵画部門で大きな話題を呼んだタレント工藤静香さんの入賞作品を紹介します。
東京での二科本展のときに話のネタにしようとカメラを向けたのですが、彼女の絵の前は黒山の人だかりでチャンスがなく、やっと今回の名古屋展で撮ってきました。
べつに工藤静香さんの特段のファンというわけではありませんが、作品を見た私感では、何回も色を重ねた光の表現やさまざまな構成要素の配置に腐心した工藤静香さんの努力が画面の随所に感じられるステキな絵でした。
たぶん彼女の心象風景なのでしょうね。衆目されるなかで忙しい日々を送る芸能人という立場のなかで、こんな大作を作るというのは、ただ絵を描くことが好きというだけでは出来ないことです。キッと大変な努力と集中力を要したのだろうと敬服することしきりです。お近くの人は是非ご観覧を。

★ブログでこうして会ったこともない工藤静香さんの作品と私の作品をアップすることが出来るのも二科展に出品していた役得か、あるいは私の厚かましさか、とにかくお許しあれ!。

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二人展終わる/45年ぶりの出会い

二人展終わる/45年ぶりの出会い

★昨日まで、隣町の関市で陶芸に取り組んでいる先輩とグラフィックデザインの私との「二人展」を一週間やっていました。これで今年の個人的な展示は全て終わり、ホッとしているところです。

★前にも書きましたが、このギャラリー、ビル街によくあるお高く留まったギャラリーとはちょっと趣を異にしていて、商店街の中にあるものですから、奥さん方が夕げに支度の買い物帰りに買い物袋を下げたままついでに立ち寄ったり、ウォーキング途中のお年寄りが覗いてくれたり、時には、お茶とお菓子だけをつまんでサッサと出ていくオッさんもいます。それほど敷居が低くて街の人たちに馴染んでいるギャラリーなのです。
毎年やっているものですから、街の人たちはほとんど顔見知りです。そんなギャラリーの魅力に惹かれて、10年間も続けて来ました。

★今回も街の人たちだけではなく、遠方からも多くの方々に観に来ていただきました。
いつも思うのですが、人それぞれに自分の時間があり、自分のためにその時間を使っているのですが、その貴重な時間を割いて、わざわざ私たちの作品を観に来ていただくことは感謝以外の何ものでもありません。

★今回、最も嬉しかったのは、飛騨高山に居る知人と45年ぶりに会えたことです。お嬢さんとお母さんと一緒に親子三人で訪れてくれました。ほぼ半世紀ぶりの出会いですから、見かけにはお互いに隔世の感があるのは当然ですが、遠い昔に引き戻してくれるのは声です。声というのは年を経ても本質的には変わらないものなのですね。
出会った人々の声が頭の中の何処かにインプットされていて、例え年月を経ても、その声の引き出しから当時のあれこれを思い出させてくれるのでしょう。

★絵を描き続けていたからこそ、さまざまな人に出会えるし、一方で新たな出会いを広げることが出来る。
特に私のような人見知りの激しい男は、絵が孤独を救ってくれていると思うことしきりです。
そんなことを思いながら、「二人展」を終えたのです。

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