
◆ヨーロッパのとある小さな町の風景です。ほぼ日本と同じ緯度に位置するこの町も、いま初冬の澄み切った空気の中でイチョウの黄色が輝いています。
◆
ウソです。大ウソですここは私の町のイチョウ通りです。ブログ友人の写風人さんのスタジオの前で撮った写真をフォトショップでいろいろ触ってウソ画面にしました。ウソ、いくつ分かります?
◆このイチョウ通り、道路沿いにお住まいの方々は毎年、秋口からちょっとしたパニックです。ここのイチョウ、街路樹なのにギンナンがつく樹が異常に多くて、それがボタボタ落ちて、車や歩く人が踏んでしまうものですから、辺りはあのニオイで大変です。さらに、夜陰に乗じてギンナン拾いの輩がウロウロして、なんか危ない感じも…。
◆秋が深まるとギンナンも落ちきって、つぶれた実が地面で乾燥して、ニオイもなくなり、ホッとしたら今度は大量のイチョウの落ち葉です。
◆少し冷えて、少し風が吹いた一昨日の夜、一気にこのイチョウ並木の葉が落ちました。ちょうど私は家内とウォーキングをしていたとき、その見事な光景に出会いました。前が見えないほど黄色い葉が舞い落ち、カサカサと地面に落ち葉が積もる音が聞こえるのです。自然のドラマを目の当たりにして、少し得をした気分のウォーキングでした。
◆次の日、沿線の家々は落ち葉の清掃に大変な朝でした。どの家の前もイチョウの葉を詰め込んだゴミ袋がズラッと並んでいました。イチョウ並木は、もう上枝がむき出しで葉っぱもまばらです。
◆さぁ〜て、いよいよ冬か…。
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◆海風に落ち葉の舞い上がる初冬の瀬戸内海界隈を旅行して、昨夜帰宅したところです。
◆自治会の仕事を通して知り合った気の合う十数人の地域の仲間たちと年に一度の旅行が恒例になりました。今年はなんかの拍子に姫路城の話になり、ほとんどのものが過去、旅行の行程の中で乗り物の中から見たり、近くまで行ったことはあるけど、天守閣に上がったことのある者は一人も居ない、ということが分かり、それならということで今回の旅行のメインは‘姫路城の天守閣に上がる’でした。
◆えてして、行ってみれば期待していたほどの感動がなかったというのが皮肉れ者の私の常だったのですが、今回の姫路城には度肝を抜かれるほど感動しました。高い丘の上に聳える巨大なお城の遠景の美しさもさることながら、天守閣の入り口に着くまでに見る巨大石の石垣の積み方、分厚い漆喰壁の見事さ、通路設計の緻密さに感嘆することしきりでした。
◆城は天守閣に上がるスペースしか開放されていないように見受けましたが、急な階段を登ると各階層の窓から急角度に反り上がった屋根が重なり、いにしえの瓦職人や大工職人の究極の技の跡を間近に見ることが出来ました。天守閣を貫く築城当時のままの二本の心柱に触れることが出来たのも幸せでした。
天守閣最上階からは、見晴るかす瀬戸内海まで眺望出来て、きっと、この風景を睥睨しながら、国盗りの遠謀術策を練ったのだろうと、当時の武将たちに思いを馳せました。
◆私は三十代の終わり頃、イギリスに行く機を得て、あちらの幾つかの古城を見ましたが、外観の華麗さ、美しさ、内部の細々にわたる機能的な工夫、そしてそんなところにまで施された造形的な細工のこだわり、等々において、西洋のそれとは比べるまでもなく我が姫路城のほうが勝っていると思ったのです。世界遺産にはなるべくしてなったのでしょう。
◆この後、山陽路の方へも足を伸ばしましたが、またいずれ。
◆最後に余談ながら…、帰りのバスでキムタクの「武士の一分」を鑑賞、前に見に行こうと思いながら見れなかった映画だったものですからラッキーでした。ジーンと胸を打ちました。厳しくて温かいいい映画ですね。この前、家内と「HERO」も見に行ったけど、いいなあ、キムタクくん。
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◆いろんな‘妖精’をたくさんつくって、さまざまな場面のなかに活躍させる、妖精シリーズの作品をたくさんつくってきました。幾つかは過去見ていただきました。これも、そのなかの一つです。
◆街の中では、車の喧噪にかき消されて葉擦れの音など聞こえないと思っていたのですが、この前、夕暮れ、家内といつものウォーキングをしていたら、車が行き交う道路にもかかわらず、街路樹の葉擦れの音が妙によく聞こえました。晩秋、夕暮れ、冷風、そんな辺りの雰囲気がフッと自然界に耳を澄ませる余裕を持たせるのでしょうか。
◆それ以来、葉擦れの音に少々興味があります。葉が落ちる前の今の時期の葉擦れの音は樹によって微妙な違いがあります。例えば、イチョウの葉擦れはシャ〜シャ〜という感じの湿った音です。イチョウ、確かに落ち葉になっても水気が多くて落ち葉焚きも出来ません。それに比べて、ケヤキの樹はカラカラいった感じの乾いた金属的といっていいほどの音です。そういえば、ケヤキの落ち葉は乾燥しているので、土に混ぜるとすぐ壊れて細かくなり土に馴染んで、畑の土改良剤になる、と聞いたことがあります。
◆まあ、当たり前といえば当たり前の話ですが、葉の性質や形状、密集度、枝のしなり具合のよって、その葉擦れの音も微妙に違うのだ、と、やっと気づいた今年の秋でした。
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◆北アルプスの岐阜県側の麓に新穂高温泉群があります。その突き当たりの場所と穂高連峰の西の端の尾根を繋ぐ長い長いロープウエイに乗ることが出来ます。あまり長いためか、斜面が急なためか、あるいは危険防止の理由からか、このロープウエイは海抜1200メートルあたりの所でいったん降りて別のロープウエイに乗り換えるようになっています。
この中継場所一帯が広い高原状態になっているので、観光客はすぐに乗りかえないで、しばらくここを散策して自然を満喫することをおすすめします。
◆この場所、秋の日、運が良ければまさに紅葉天国です。白樺と赤や黄色のコントラストが映える林の中を歩くと命が洗われる気がします。
でも、この場所の紅葉はホンのいっときで、一週間ほど経ってから友人を連れて行くと違った場所に来たのかと思う程、色の褪せた林になっています。まるで、あのときの紅葉が林ごと麓に向かって移動したのかと思うほどです。美しいときは一瞬です。
◆さて、紅葉狩りに行ったとき、どうしても自分が過去に見た最も美しかった紅葉が頭の中に残っていて、他人が『きれいだなぁ』といっても自分としては、その紅葉の色合いに不満だったり、ということはありませんか。私は、そのロープウエイの中継場所の紅葉の美しさが頭にあるものですから、どうも、近在の紅葉名所にいっても納得がいきません。
◆でも、こういうこと‘人間’には禁物ですよね。過去は全て‘幻影’ですから…。あの時出来たから今でも出来るはず、とか、久しぶりに会った彼を、昔の彼を見た尺度で判断するとか、いったことはよくあることですが、いけません。と、自分に言い聞かせているのです。過去は二度と戻らないけど、そのときどきにに何か新しい可能性が芽生えて居るはずだ、と、信じなければ人間生きていく力が湧いてきません。
◆【追記】…この人物のイラスト、以前も使いましたが、ブログ友人の写風人さんのお嬢さんをがモデルです。数年前ですが。
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◆多くの観光客を集める有名祭礼は別にして、昔は、小さなどこの町村でも地元の祭礼は結構大規模なものでした。私の郷里の祭りも、先頭に数頭の獅子が舞い、その後を笛、太鼓、鐘、の行列が続き、さらに少し遅れて、ワッショイワッショイのかけ声とともに四台の立派な御神輿が続いたものです。でも、そのお祭りに向けて、数ヶ月も前から夜遅くまで神社の社務所で笛太鼓の練習の音が聞こえていました。
◆地域に伝わる行事の伝承のためには、全てに優先して、それにあたるといった暗黙の了解があったように思います。しかし、時代が代わり、農林業が衰退し、若者のほとんどが勤め人になり、地域への価値観も代わり、お祭りの形も簡素化しました。かっての獅子頭や御神輿は神社の倉庫に眠ったままです。まあ、それは当然の変遷だろうと思います。
◆でも、現在、どこのお祭りでも、‘子どもみこし’が相変わらず盛んなのは嬉しい限りです。
御神輿に付き添っている子供会役員の元気のいいお母さんが『なにぃー!あんたち、もっと大きい声をだしゃー!』と叫びます。叱られた子どもたちは、大声で『ワッショイ!ワッショイ!』と出来る限りの声を張り上げます。そのお母さんは『よしよし、チャンと大きい声を出さんと、ご祝儀もらえへんでね!』と言います。
家々の前では、ご祝儀袋を手にした人々がニコニコしながら、子どもみこしを待っています。
伝統の祭りもいいけど、地域社会を実感する、こんな祭りの姿もいいと思うことしきりでした。
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◆昨日、伊吹山に日帰り登山をしてきました。標高1377メートルの山です。滋賀県と岐阜県にまたがる平野部に近い山としては結構大きな山で、私の家からは日帰りギリギリです。
この山、夏に登ると、岐阜県側からの立派なドライブウエイがあるために、頂上はドライブで来たあんチャンやねえチャンと登山姿がごちゃ混ぜの妙な山でもあります。
私はいつも、滋賀県の米原市の端っこの奥伊吹まで車で行って、琵琶湖を背にしての登攀コースです。
◆山登りは、寄る年波をモロに感じるスポーツです。でも、いつだったかTVで間寛平チャンが言っていました。『マラソン前は喰うに限る、腹一杯食っておれば、何とかなる』と、以来、私も登る前は腹一杯に喰いだめをするのです。今年の24時間TVの欽ちゃんもこの寛平言に従ったそうです。
それが体に良いか悪いかはともかく、確かにこの方法は‘正解!’と実感しているところです。
◆1000メートル前後の十月の山は静かでいいですね。夏の賑わいが去ってシーンとして、冬を迎える身構えのような風情があって…。
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◆先日、ブログ友人の
画面を開いたら、波打ち際で遊んでいる彼のお嬢さんのすごく可愛い笑顔が飛び込んできました。見ている私も思わず微笑みながら画面にしばらく惹きつけられたのです。
◆そこで私も、見ていただく人をニコッとさせるようなアップ作品はないものかと、過去の作品展に出したものの中からさがしてきたのが、この「十五夜」です。ちょうど時期のタイミングもいいし…。
◆さて、この歌ご存じではないでしょうね。若い方々は当然ご存じないにしても、私と同年代の人に聞いても『知らん』と、ほとんどの方が言うのです。〈雑木林に月が出た〉って歌です。
雑木林に月が出た
月が出たならソッと見な
抜き足 さし足 ソッと見な
耳をすませば歌ってる
オケラに ミノムシ モグラの子
イモムシ ネッキリ ヤモリの子
そ〜れ そ〜れ 歌ってる
いつも暗がり意気地なし
それでも生きてる 歌ってる
出てみろ 出てみろ 出てごらん
雑木林に月が出た
◆もっと長い歌ですが、後は覚えていません。多分、反抗期が始まる小学校の高学年のころだったと思います。これも多分ですが、NHKの「ラジオ歌謡」ではなかったかと…、もう一つ多分ですが、良からぬ方向に突き進んでいく当時の私が、歌詞中の
【いつも暗がり 意気地なし出てみろ 出てみろ 出てごらん】
というあたりに心が残って、いつまででも忘れられない歌として私に定着したのではないかと…。いま思えばですが。
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◆これまでに仕事上で創ったポスターや自分の作品のためにつくったイラストのパーツを寄せ集めてつくった絵です。
◆「古今集」だったか「新古今集」だったか覚えていませんが、藤原ナントカさんの歌に
‘秋来ぬと 眼にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる’という歌がありました。昭和庶民の名曲「小さい秋みつけた」の二番では
、‘お部屋は北向きくもりのガラス うつろな目の色とかしたミルク わずかな隙から秋の風…’と、サトウハチローさんは書いています。
◆平安の昔から、いまに至るまで、五感を澄まして季節の変わり目を感じ取ろうとした、我が日本人の繊細さを感じるのです。
特に、人々の季節への願いが集まるのは《暑い夏から爽やかな秋へ》《厳寒の冬から温かい春へ》でしょうか。
◆それもこれも、四季に恵まれた日本だからこそでしょう。日本文化の背景には四季の移ろいの美しさが大きく介在しているということは、言うまでもありません。
◆でも、でも、今年の猛暑は涼しい秋を期待するあまり、感性を大きく
狂わせました。九月に入って『オッ、今朝は涼しいな』と思いきや10時頃には33℃の急上昇、『やっと、風が出てきたな』と思いきや、台風の影響だったり…。きょう、9月9日、湿気と暑さのサウナ状態のなかで、こうしてアップ作業をしてます。お部屋は北向きですが秋の風は全く入ってきません。(=_=)
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◆以前、
早とちりでお話しした無駄になったイラスト、ギターのお兄ちゃんとドラムのあんちゃんをここに登場させることが出来ました。
◆この秋に私の町で一週間にわたって開催する《音楽週間》のポスターのイラスト部分です。今度はクラシックからジャズ、邦楽に至るまで、何でも有りの音楽行事です。
◆さて、《What kind of music do you like ?》とポスターの上に書くつもりですが、書いてみてフッと思いました。『どんな音楽が好きですか?』と、問われても、なかなか答えにくいものですね。特に、私なんか、子どもの頃音楽の成績も悪かったし、楽器も出来ないし…。それぞれのジャンルに、この曲は好きだけど、これはイヤ、ってものがあるし。
◆まあ、そのジャンルが総じて好きというものをあげれば、私はタンゴです。この前、ブログ友人がタンゴの演奏楽器バンドネオンの写真を載せていたのを拝見して、『アッ、若い子の中にもタンゴファンっているんだ』と、嬉しくなりました。
◆以前、
写風人さんと一緒につくった私の町のシンボルマーク、そのとき、そのマークの趣旨説明のアニメもつくってBGMに始めから最後まで、タンゴの《碧空》をながしました。評判上々でしたよ。
◆激しい情熱と望郷の念をかき立てるような哀愁、タンゴ大好き!皆さんは、《What kind of music do you like ?》
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某市の秋の音楽イベントのポスターのために作ったイラストです。私は人物のイラストを描くとき、いつも自分の身の回りの人々を想像します。どちらかと言えば特徴的な人物の方が脳裏に浮かびます。この絵の場合は「あいつがもしトランペット吹いたら…」「あの子がバイオリンを持ったら似合うのに…」と言った風です。いつも面白い服を着ているあの若者、泣いたり笑ったりわがままな可愛い孫、カラッとしたショートカットの女性、みんな私の中でモデルになって楽器を奏でているのです。