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夏、8月…

夏、8月…

★以前のスケッチです。久しく奈良に行っていないので今の状況は分かりませんが、この二月堂周辺の風景はあまり変わっていないと思います。冬の二月には修二会で賑わうこの辺りも、炎天の夏は人も少なく、メインの東大寺から少々離れたところにあるために、ただ深緑の中でジッとしていた当時の風景でした。

途中で幾度かの再建事業があったものの、1000年を越える歴史がうかがえる古都が現存していることは、我々の誇りでもあります。

★でも、一方で、我が国は全国の各地で、数え切れない多くの命と膨大な文化遺産を戦災で失いました。私の住む町も基地が在ったために、昭和20年6月~7月に3度の大空襲に遭い焼け野原と化しました。
そして今年もヒロシマの日が過ぎ、ナガサキの日が来て、終戦の夏を迎えます。

★先日、新聞コラム欄の次の一節を読んで考えさせられました。
ある投稿句だそうです。
『 ヒロシマは夏の季語か 』 と問うサラに 冬には詠まむ我を恥じたり
日本文化を研究しているサラという名のフランス人の素朴な問いに、作者はハッとしたそうです。
そういえば私たちは ヒロシマ、ナガサキ、戦災、終戦、の辛苦の過去を思い起こすのは夏のこの時期だけです。
この時期にだけ、せっせと戦争のことを取り上げる風潮を皮肉って「戦争ジャーナリズム」という言葉もあるそうです。

★べつに昭和史の負の部分にもっとスポットを当てた教育をとか、先の大戦忘れまじとか、叫ぶつもりは毛頭ありませんが、その時々の歴史の事実をジッと見つめてきた奈良の風景のように、私たちもその事実はジッと心に留めておきたいものです。そんなに昔のことではないのだし…。

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秋の夜

秋の夜
★旅先の民宿で、二階から見下ろした夜の風景スケッチです。
まだ昼間は暑いというものの、静寂のなかに街灯だけが一つポツンとしていて、虫の声だけが響いています。そこはすっかり秋の夜の風情でした。

★「秋深き 隣は何をする人ぞ」 という芭蕉の句があります。
夏の間は、ご近所から聞こえてくる物音なんかちっとも気にしなかったのに、夏の喧噪が過ぎて、静かな長い夜が訪れる初秋、フッとご近所の家から、コンコン…トントン…、音が聞こえてくる。『あれっ?、何の音だろう、何かを作っているんだろうか…』と、私は思わず耳を傾けてしまいます。
芭蕉さんも、そんなシチュエーションの中で詠んだ一句でしょうか?。

★普段の生活の中で全く気づかなかったのに、何かの拍子にフッと気づいて『あ、そうだったの…』と、感慨に耽ることがよくあります。
この前も、夕方のウォーキングのとき、長男夫婦の家の前を通りかかったら、一年生になった上の孫が嬉しそうにカチャカチャと足音を立てて走りよってきました。「うん?」と思ってカチャカチャの足下を見ると、少し高めのヒールのサンダルを履いていました。『オッ、オシャレなヤツを履いてるな!』と言うと、『いいでしょ』と言いながら、自慢げにカチャカチャ足踏みをしました。
ついこの前まで、上も下もない裸足で外に飛び出していたヤンチャ娘が、気がつくと、もうこんなサンダルに興味を持つ娘になっていたのです。

★事ほど左様に、興味関心が広がりそして移ろい、人との交流の中で新しい知識を得ながら、どんどんキャパシティーを膨らませ、成長していく。
そんな感慨を孫に見た秋の夕暮れでした。

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馬籠・夜明け前

馬籠・夜明け前

★「木曽路はすべて山のなかにある」という書き出しで有名な島崎藤村の「夜明け前」の舞台になった、中山道・馬籠宿です。
先日、現役時代の同期生が、ここに参集して一泊し、宴会をしました。そのおりにスケッチしたものです。
ここは、恵那山系から下る山襞の尾根部分の急な坂につくられた宿場町で、中山道のなかでも珍しい難所に出来た家並みです。その風を煽るような急斜面の地形と高所のために水利が悪いことから、過去、幾度となく大火に見舞われました。既に、本陣も脇本陣も焼失してなく、現在の家並みは、大正の大火以降につくられた家並みです。

★彼方此方の現存する当時のままの姿を残す宿場町風景を見てからここを訪れると、その新しい建物の雰囲気にガッカリする者もいると聞きますが、とんでもありません。私には、急な坂道に敷き詰めた石畳の道、振り返れば遠く下界に広がる田畑や町の家々、ここにワラジをぬいでホッとした、旅人たちの安堵の光景に、十分思いを馳せることができます。そして、何回もの大火をくぐり抜けながらも、なお、この厳しい地形の土地に居続け郷土を守ってきた地元の人たちの逞しさも感じるのです。

★そして近代になり、島崎藤村がここに生を受け、高名になって、ここを離れ、東京、パリ、小諸と活躍の場を転々としても、常に、望郷の念に駆られ続けていたこの地への思い。その思いが、やがて、あの不世出の名作「夜明け前」につながったのです。

★私たちが集まった日は、日曜日だったものですから、観光客でごった返していました。近代文学の流れを膨大な蔵書類で展示した「藤村記念館」には、若い人たちが食い入るように資料を見ていて、これもまた素晴らしい光景だと感動したのです。

★さまざまな刺激と感動をもらった同期の会でした。もちろん、酌み交わす酒も最高でした。
おりしも、その夜は衆議院選挙の開票結果報道、一喜一憂しながら民宿のテレビにかじりつきの徹夜でした。果たして、ホントに「夜明け前」が、やってくるのか?!

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同窓会/声

同窓会/声

★先日、小学校6年のときのクラス同窓会がありました。クラス同窓会といっても、飛騨の山峡にあった私たちの小学校は2クラスあったのに、クラス替えが一度もなく、6年間同じメンバーという珍しい小学校でした。それだけに6年間のうちにクラスのメンバーの殆どの家に一度は遊びに訪れたことがあるというほどお互いに知りきった仲間だったのです。

★そんな仲間ですから、これまでも何回かクラス同窓会の案内をもらったのですが、私はずっと不義理をしてきました。今回、岐阜で開催との知らせが届き、何十年ぶりに参加したのです。飛騨の郷里に在住の者はクルマに分乗し、岐阜近在に居るものは自家用車で、遠く東京や神戸に住まいする者はJRで、長良川河畔のホテルに参集しました。
何年か前の高山市での中学校同窓会で会った顔もあったし、それこそ何十年ぶりに会った顔もありましたが、でも拍子抜けするほど‘久しぶり感’はなかったのです。少し誇張して言えば、つい昨日、あの小学校で『バイバイ』と言って別れて、次の日の今日また会った、という感覚でした。それほど、寸時にあの時に戻れるというのは、6年間一緒に生活をした仲間の絆が何十年を経てもなお生きているのでしょうか。

★もう一つ、ハッとしたことがあります。声です。声質、話っぷり、話の間の取り方、みんなあの時と全く変わっていませんでした。顔は面影だけを残しながら長い年月が変えていくものですが、声は変わらないものなのですね。少し控えめな優しい声、スポーツ少女だったときのメリハリのある話し方、いつもみんなを笑わせていたユーモア口調、それぞれにあの時とちっとも変わっていませんでした。酒を酌み交わしながら聞こえてくるその声が彼や彼女のあの時を彷彿とさせたのです。
いつも同窓会には不義理ばっかりの私でしたが、『同窓会もいいものだなぁ…』としきりに思った一夜でした。

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アマテ紙に描く

アマテ紙に描く

★これはCGではありません。アマテ紙というメキシコの民芸紙にポスターカラーで描いたイラストです。

★以前、メキシコの日本人学校に2年間出向していた先輩が帰国したときにいただいた珍しい紙です。先輩の話によると休日を利用して彼方此方をドライブしていたときに、とある小さな村でこの紙を作っているところに遭遇したそうです。長時間煮詰めた樹皮を岩の上に置いてこん棒でひたすらたたいて伸ばし薄く平らにして乾かしただけのものですが、その風合いと生成の色がいかにも素朴なところに惹かれ、何枚か購入してきたとのことでした。

★このアマテ紙、私たちが知っている紙とはおよそほど遠いバリバリの硬さ、ザラザラ表面とこの色では文字を書くのも困難な代物ですが、そこがナンとも言えない魅力的な紙なのです。さて、このいただいたアマテ紙、どう利用させていただこうかと、長い間、カルトンにはさんでままにしていたのですが、フッと思いつき、こんなイラストを描きました。先輩が回ったであろうメキシコ奥地の村々に残るなんか民族的な風習をイメージしたのです。そうです、世界各地に残るトーテムポールのイメージです。

★トーテムポールならずとも、外敵を威圧したり、寄せ付けないという意図をもった偶像はたくさんあります。日本にも険しい憤怒の表情を持った仏像彫刻などは同じような意図を持っているのだろうと思います。でも、私見ですが、トーテムポールに彫られた神々の顔の表情はオドロオドロして気味が悪いのですが、どこかユーモアがあり楽しささえも感じられます。何故でしょうか?、災害、病、等々見えぬ外敵にあい対しながらも、どこかで自然の流れや運命を受け入れるという、当時の人々の寛容さが、そのトーテムポールに表現された偶像の表情にあらわれているように思えてなりません。

★では21世紀の現在はというと、科学技術や医療技術の進歩は、当時の人々が運命、宿命とあきらめていたことの殆どを克服しかねない勢いです。が、一方でその勢いが地球という、かけがえのない大地の寿命を縮めているのでないかという懸念をだれもが抱いています。当時の人々が恐れた外敵どころか、もっともっと大きく恐るべき敵を自らが作りつつあるのでしょうか、そんな運命なら、そう易々とは受け入れることは出来ないのですが…。

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茶店

茶店

★先日、過去に描いたスケッチブックをめくっていたら、この絵が出てきました。

★もう何年前でしょうか、完全に10年は経っていると思います。そのとき奈良公園の片隅にあった売店の風景です。いや売店と言うよりも‘茶店'といったほうがいいようなたたずまいの店でした。
4月、歩き疲れた多くの観光客や修学旅行生たちが、この茶店の将棋椅子に座ってジュースを飲んだり、団子を頬ばったり、寄ってきたシカに餌をやったりしていました。
その光景がいかにも春らしくてスケッチブックを取り出したのを懐かしく思い出しています。

★この茶店、その頃すでにかなり老朽化していたように思いますが、まだ、そこに在るでしょうか。私の奈良公園のイメージは東大寺などの寺社は別にして、この茶店が奈良公園そのものなのです。
今度いつか訪れたときも、この茶店だけはあの時のまま、そこに居てほしい、と願っているのです。

★ところで、この3月の終わりに、なんと小学校の時のクラス同窓会をやる、という通知が来ました。私はいつも不義理をしているので、今回は出席しようと思っています。私が飛騨の郷里を離れてから数十年経ちますが、それ以来初めて会う顔も多分あります。こればっかりは奈良公園の茶店のように‘あの時のままで'というわけにはお互いにいきません。いや、むしろ‘あの時からどのように変わったか'を見るのが楽しみなのです。

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視点

視点

★先回の続きである。

★一枚目のスケッチを終えてから、南の方へ坂を登る。高台から、もう一度、その家を南から見る。さっき東側から見た光景とは随分、雰囲気が違う、茅葺きの古い家の西後ろに新しい家が新築されている。ただ、古い家の前が広い庭になっているので、洗濯物はまだそこを利用して干されているようだ。家族が多いのだろうか、たくさんの干し物が風になびいている。

★こちらから見ると、この古い家、住む人は居なくても、一家の生活仲間として踏みとどまっているようだ。これまでに、萱屋根の下方を切り取り、庇を造り、南側の外観の改装を繰り返してきたあとが見える。そんな代々の苦心を知る現在のご主人が、この古い家の処分を躊躇しているのかもしれない。

★勝手な想像をしながら、スケッチを続けた。

★一つの物事を、一つの方向からだけ見て、一つだけの判断をしてはならない。さまざまな視点を持って、さまざまな判断材料を持とう。もちろん、一人の人間に対しても…。と、思ったりもした日帰りのスケッチ行脚だった。

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やがて…

やがて…

◆きょうはスケッチをご覧ください。

◆国道ではないから、あまり広い道ではないが、郡上踊りで有名な郡上八幡町を通り抜けて、坂本峠を越え、飛騨高山に通じる道がある。最近は近くに富山につなぐ東海北陸道の完成が近い。既に、高山までは通じているので、この道はめっきり車が少なくなった。その分、ゆっくりと農村風景を堪能出来る。坂本峠の手前から脇道に入る。しばらく行くと懐かしい風景が開ける。段々畑、点在する農家、合掌造りの茅葺きの農家も何軒か見える。

◆そのうちの一軒をスケッチしようと近づく。近づくと人気は無い。でも、最近まで住居として使われていた気配もある。飛騨・美濃の脇道を辿ると、こういう茅葺きや藁葺きの家がまだある。しかし、殆ど住人は居ない。ここから、あまり遠くない世界遺産の白川村合掌づくり群の村の華やかさは、ここには微塵もない。

◆他人は言う『理にかなった建築工法、合掌造りは、まさに匠の技が息づいている』と、確かに、そうだろう。でも、そこに居を置き続けると言うこととは別問題だ。そういう家で少年時代を過ごした友人が居るが、彼は『修繕の繰り返しで、その管理たるや並大抵のものではなかった。そりゃ、現代の建築の住み心地には到底及ばない』と述懐していた。

◆ある人は近くに新築をするが、さらに、過疎が追い打ちをかける。屋根の葺き替えは少人数では不可能に近い。ある人はその家を離れ町にでる。古き伝統の家々は住人を失い、やがて朽ちる。日本の古き良き風景などという傍観者の感傷は、ここでは通用しないのだ。と思いながらスケッチをした。

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